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課題9

長谷川貞夫(1997)を読み、「視覚障害者も参加可能な情報化社会」のあるべき姿について考察してみよう。

回答数:43 人

回答者:01-3061 鹿目 裕一

提出日時:2001.12.17 16:39:18

視覚以外の感覚で情報を入手したり、発信したりできるようになれば一番いいと思うし、そのためにはやはりよりリアルに電子的なソースを具現化できるような端末が開発されることが望ましいと思う。(音や触感や匂いなど)また、私生活に役立つようなものとして、盲動ロボットが開発されて、アンテナからあらゆる情報を自動でダウンロードしていろいろやってくれるやつができたらすごい助かるのではないかと思う。しかし、実際、視覚的な情報の入手が困難だということがどれほど不便であるかということが自分にはいまいちピンとこないので「あるべき姿」の具体像がハッキリと見えてこないというのが正直なとこで、率直に言えば、あまりいい考えは思いつきませんでした。

回答番号:

回答者:02-2046 波津久 明子

提出日時:2001.12.18 1:50:04

今現在の科学の進歩だけで考えれば、聴覚・触覚・嗅覚を使って情報を取り入れることが上限なのでしょうが、将来的には、何でもありで考えるなら、「障害」という言葉はなくなり、どんな人でも参加可能な情報化社会ができると思います。
しかし、夢のような装置はいくらでも考えることはできても、今すぐには手に入りません。そう考えた時に私たち健常者ばかりが便利な情報化社会を先にどんどん進めていくのではなく、(今の時点で、もうかなり情報に関しては不自由がないので)私たちの方は少し立ち止まって、視覚障害の方たちも「参加可能」な情報化社会を作っていくことが大切です。
よって、(予期されている答えの方向とは違い、道徳的な回答になっている気がしますが)健常者の人たちが視覚障害者の方たちの立場に立って、視覚障害者の方たちが参加しやすい情報化社会作りに今よりももっと貢献していくべきなのではないでしょうか。

回答番号:

回答者:02-3001 安部 一寿

提出日時:2001.12.18 16:07:31

前回の課題でカーナビを利用したコンピュータという回答をしていて、久米先生が授業中にそれは現在開発中だと言われていたので安心もしたのですが、よく考えてみると視覚障害者は死活問題であるのに、カーナビなんて無くても困らないので順番が逆ではないかと思いました。また長谷川貞夫(1997)の中のバーチャルマシーンも長谷川さんが使ってもわからないのがたくさんあったので、各企業は障害者部門をつくって(つくらなくても)障害者をアドバイザーとして招くべきだと思いました。
「視覚障害者も参加可能な情報化社会」とは少し違いますが、政治家にも障害者がいなければならないとおもいました。

回答番号:

回答者:02-3005 岡本 裕志

提出日時:2001.12.18 15:40:12

視覚障害者にも参加可能な情報化社会でもっとも必要な
ところは健常者も視覚障害者も平等に情報が手に入るようなこと
が実現できる社会ができればいいと思う。具体的にははっきりしないけど、
視覚障害者の頭の中の絵を情報としてそのまま伝えられる
ような機会ができるといいと思います。バーチャルの世界を、
健常者くらいに伝えられるようになると、もっと視覚障害者の潜在能力などももっと
引き出されるようになるし、健常者にしか見えない世界というのもまだたくさんあると思うので、
健常者の世界と視覚障害者の世界とを議論したりしてお互いを深めあった利していける社会がくればいいと思う。

回答番号:

回答者:02-3011 宮下 人勢

提出日時:2001.12.18 3:53:05

現代は情報化という言葉通り、視覚、聴覚などを使うことによってあらゆることを知り、体験することができる。しかしながら、これらを創る側の意図するレベルまで駆使できるのはほんの一握りであり、まして視覚障害を持つ人々にとっては取り入れられる情報というのは半世紀前のそれとちっとも変わっていないと思う。ここ10年、世界はめまぐるしい発展を遂げた。しかしながら、それは一部の人のためであって本当の発展ではないような気がする。確かに、人は平等である、という言葉に対して私はすべてが平等であるとは思わない。むしろ何事かに対してチャレンジするチャンスが平等であるということであり、なんでも与えてしまいみんな一緒というのは真の平等とは違うと思っている。だからこそ、ここで一歩立ち止まってそのチャンスをすべての人々が生かせるような情報化社会を創っていく事に発展という努力を持っていってはいかがなものか?
大昔は視力が何らかの原因で下がってしまえばそれきり物がはっきり見えなくなってしまっていた人々も今ではメガネやコンタクトレンズがあるためになんら支障なく生活している。(それがあるから頼りきってしまい弱視化がすすんでいるという問題もあるが、、、)需要さえあれば開発者はでてくくるし、みんなの関心も引くはずである。ゆえに、私たちがこのように考える場も必要であるのはもちろんのこと、視覚障害者ももっと自分達の存在、必要としているものをアピールするべきであると思う。
もう21世紀、そろそろドラえもんの開発にとりかかってもよいはずなのだが、、、、近い将来、不可能を可能とするような世界がやってくるのだろうか?確かに50年前には現在のことなど想像もつかず、まさに不可能を可能にした典型であると思うが、これ以上進んで果たして楽しいのかな?しかし、それでも期待はしてしまう。人間の欲というのは尽きないものだ。

回答番号:

回答者:02-3013 吉田 武

提出日時:2001.12.18 13:02:12

「特殊なディスプレイに手を入れて、仮想の物体を手でつかむ」という表現を最初に読んだとき、迂闊にもよく考えずに不可能だと思ってしまった。物質に触れるためには、そこに何らかの粒子・物質が必要だと考えてしまったからだ。立体映像・ホログラフと呼ばれるものは粒子でも物質でもないただの光の集まりなので、それに触れることは理論上不可能だと考えてしまったのだ。それで、本文を読んで「指にキャップ状のものや指輪を付ける」という方法には少なからず驚かされた。たしかにこれなら、機械の処理精度さえ上がればかなりの触覚を再現できるだろう。今は指二本程度かもしれないが、やがては五指、手のひら、手首、腕、全身へと技術は進んでいくだろう。ただし、氏が指摘するようにこれだけでは不十分なのだ。感覚を二つ以上、すなわち聴覚などを平行して使用することが不可欠になってくる。それには、キャップや指輪をもっともっと進歩させると同時に、それと音声をリンクして動作させるような技術の開発が必要になってくる。これは今の技術水準から考えて、そう不可能なことではないように思える、というと楽観しすぎだろうか。近い将来には、そういう時代が来るのかもしれない。

回答番号:

回答者:02-3016 石坂 幸子

提出日時:2001.12.18 12:04:48

視覚障害者は、実際に物に触れて感じることでその物を理解することが多いと思う。長谷川さんもおっしゃっているように、これからは3次元の立体的なバーチャルリアリティが情報には必要なのではないだろうか。以前よりは障害者にとって生活しやすい社会になった部分もあるとは思うが、目で見るからこそ近代化を感じるものもあり、そうすると、視覚障害者はそれを見ることができず、その発展がわからないと思う。すべてをコンピュータで3次元の世界が作り出せれば、例えば色も視覚障害者にとって理解できるようになるかもしれない。ピンク色であるなら、赤色ほどではないが温かみを感じるように赤外線センサーがはたらいて、尚且つ立体的にも表現できるというようになるかもしれない。少し課題からずれるかもしれないが、さまざまな障害をもった人々や子供やお年寄りなどあらゆる人々に平等に情報が提供されるようなれば、まさに情報化社会といえるのではないだろうか。

回答番号:

回答者:02-3019 江頭 麻衣子

提出日時:2001.12.18 1:30:26

 長谷川さんが考察の最後で述べている事は、情報化社会というよりは、バーチャル化社会といったほうが適しているのかもしれないが、私も同じように、科学の発達で色々なことが可能になった現代だからこそ、更に創造を膨らまし、視覚障害者も参加可能な情報化社会のあるべき姿を考えてみようと思います。アメリカでは「ジンジャー」という電動式の三輪車(?!)が表れました。このような機会をドラえもんの中で見た事がある。世の中は、これからあらゆる事が可能になってくると予想します。
 私は視覚障害者用のバーチャルマシーンが出来れば良いと思います。頭にはめる小型の帽子の様な形で、目で見るのではなく、頭や脳に直接映像を訴えかけるような機械です。周りの景色、人、またTV等の映像も、バーチャルマシーンがその機械の中に取り込み、処理し、視覚障害者の人の頭(脳)に直接映像を映し出します。私たちが睡眠中に夢を見る時と同じで、直接視覚で見なくとも、脳で映像を映し出す事が出来ると思います。
 しかし、これは本当に理想論であって、そのバーチャルマシーンがどのような構造で作られるか、見当もつきません。しかし、さほど遠くない未来だと思います。

回答番号:

回答者:02-3019 江頭 麻衣子

提出日時:2001.12.18 1:35:16

 長谷川さんが考察の最後で述べている事は、情報化社会というよりは、バーチャル化社会といったほうが適しているのかもしれないが、私も同じように、科学の発達で色々なことが可能になった現代だからこそ、更に創造を膨らまし、視覚障害者も参加可能な情報化社会のあるべき姿を考えてみようと思います。アメリカでは「ジンジャー」という電動式の三輪車(?!)が表れました。このような機会をドラえもんの中で見た事がある。世の中は、これからあらゆる事が可能になってくると予想します。
 私は視覚障害者用のバーチャルマシーンが出来れば良いと思います。頭にはめる小型の帽子の様な形で、目で見るのではなく、頭や脳に直接映像を訴えかけるような機械です。周りの景色、人、またTV等の映像も、バーチャルマシーンがその機械の中に取り込み、処理し、視覚障害者の人の頭(脳)に直接映像を映し出します。私たちが睡眠中に夢を見る時と同じで、直接視覚で見なくとも、脳で映像を映し出す事が出来ると思います。
 しかし、これは本当に理想論であって、そのバーチャルマシーンがどのような構造で作られるか、見当もつきません。しかし、さほど遠くない未来だと思います。

回答番号:

回答者:02-3019 江頭 麻衣子

提出日時:2001.12.18 1:43:30

 (お詫び)
送れていないと思って、二回も課題を提出してしまいました。それから、6行目の「機会」→「機械」の間違いです。すいません。

回答番号:

回答者:02-3030 角 恵美

提出日時:2001.12.18 15:53:47

 この、長谷川さんの書かれているとおり、視覚に障害がある方たちが少しでも、不自由なくコミュニケーションをとるためには、このような、バーチャルリアリティは、今後必要になってくると思います。このように、視覚に障害がある方たちは、触覚や、聴覚、嗅覚などからしか情報を得ることができません。健常者の人たちと変わらないくらいに、情報を得るためには、このようなバーチャルリアリティは、とても有効だと思いました。この、科学が進歩している現在だからこその手立てだと思います。正直、ここまで、科学が進歩しているとは思っても見ませんでした。

回答番号:

回答者:02-3050 湯野 留美子

提出日時:2001.12.18 15:02:56

長谷川さんのおっしゃっているように視覚障害者が健常者との情報の格差をうめるには立体映像を触覚や力覚で認知することが必要となってくる。私はこのプリントを読んではじめて技術がここまで進んでいるのを知った。わたしは視覚には問題がないので今まで気づかなかったが視覚があることで人は前に前進しているということがわかるというのにびっくりした。
 これを読んでもっとVRというものがみじかなものになればいいと思った。触れるプラネタリウムというように身近にいつも触覚嗅覚などの感覚でもって認知が可能なシステムづくりが必要である。
 なかなかいい回答がだせなくてすいません。

回答番号:

回答者:02-3059 児玉 忠浩

提出日時:2001.12.18 15:43:36

長谷川さんの考察を読んで、視覚障害者の能力というか出来ることが、自分の想像とはずいぶん違っていたことを思い知らされました。
それは例えば、先端技術を駆使してつくられたものでも、長谷川さんが使うと全然わからなかったり、電車もどっちに進んでいるかわからないなど例を挙げればきりがないのですが・・・
しかしこのことは私だけではないと思います。何故なのだろうと考えてみると、視覚障害者と触れ合う機会が少ないことと、今まで受けてきた教育でそういうことを教えてくれなかったということが考えつきました。 視覚障害者と多く触れ合うというのはすぐに実現可能というわけにはいかないかもしれませんが、教育というのはすぐにでも始めることが出来るだろうと思います。

回答番号:

回答者:02-3077 猿渡 由佳

提出日時:2001.12.18 15:58:54

長谷川さんのプリントを読んで、視覚障害者と健常者との情報の格差をうめるためには、立体映像を触覚などで認知することが必要になることがわかった。そのような技術が今どんどん進んでいるようなのでとても驚いたし、すごいなと思った。これからもっと技術が進歩して便利になればいいなと思う。

回答番号:

回答者:02-3082 田浦 佳代子

提出日時:2001.12.18 15:55:57

02-3082 田浦 佳代子
長谷川さんは視覚障害の本質は、情報障害であると述べています。実際、視覚障害者は見えない為に色々な情報を知ることができません。物に触れろことによって知ることができろと思います。長谷川さんの文章を読み全盲のVR体験においての香りを伴うVRは特におもしろいと思いました。
これから3次元などの映像情報をいかに視覚障害者に与えるかによって、彼らの未来がかなり変わってくるのではないかと考えさせられると同時に何か少しでも支援することがあればしていきたいとも思いました。

回答番号:

回答者:02-3090 蓮香 智子

提出日時:2001.12.18 15:59:30

長谷川さんは考察で「健常者は、視覚と触覚など、2つ以上の感覚が統合され働くとき、認識がいっそう正確になる。」と述べている。以前、「あなたが見えなくても」という映画を観たことがある。これは、全盲である主人公の男性が手術により奇跡的に視力を回復するという話である。始め、男性は光がまぶしすぎ室内でしか過ごせなかった。少しずつ視力が回復するが、今まで触覚でものを認識していたため、生活する上で、戸惑うことが逆に多くなったのである。まず、ものを認識することが視覚ではできないのである。幼児と同様に、「りんご」は赤いもの、「バナナ」は黄色いものといったようにものの形や大きさ、色など確認しながら、認識していかなければならないのである。次は、見分け方である。絵と物体の見分けがつかないのである。例えば、「りんご」では、今までは、触れて形や香りで見分けていたが、視覚で見ると、絵のりんごも本物のりんごも同じに見えてしまうのである。ここで、主人公の男性は「目はウソをつく。」と言う。確かにそうである。写真や絵は、いかにもその物体がそこにあるかのように描いている。今回の作品を読んで、少しでも視覚障害者にないする理解が深まったのではないかと思う。

回答番号:

回答者:02-3100 松尾 沙織

提出日時:2001.12.18 15:53:22

 視覚だけより視覚とその他の感覚があった方がVRの物,場の意味が分かりやすくなる。目が見えるなら視覚情報だけでもVRを体験できる。それは体験者が視覚からその他の感覚を想像して感じているからだと考えられる。視覚のみのVR制作者はそのことを期待しているのではないかと私は思う。長谷川貞夫(1997)から、情報を提供する者が、情報を受け取った相手がある情報から他の情報を得ることを期待して発信したら情報は伝わらないこともあると分かった。ならば情報を発するものは期待しなければ良い。情報の発信方法を感覚ごとにかえ,少なくとも視覚,聴覚,触覚の3種以上の方法をとる。そうすれば情報を受け取る側が受け取る方法を選択でき,発せられた情報により近い情報を得ることが可能になる。方法を感覚ごとに変えるのは情報発信者にとっては手間が掛かるが、視覚障害者にとって健常者にとってもより正確に情報を得られ、また発信者にとってもその反応、情報が得られるのではないかと思う。

回答番号:

回答者:02-3106 藤原 幸代

提出日時:2001.12.18 13:31:17

視覚障害者の情報化社会への参加方法として、まず本文でも述べられている3D空間の把握が必要となるだろう。この把握には人間の五感のうち、聴覚と触覚が主となる。ここで、聴覚を利用したアプローチ法を考えると、超音波といった音の反射で空間を把握することが考えられる。ただ、それはまだ瞬間的な物の感知でしかないと私は今のところ認知している(違うかもしれないが・・)ので、記憶を保持するという面での、空間状況の維持ができるようになればいいと思う。また触覚を使い、立体的情報を捕らえるようになるとおもしろい。立体とテキスト情報を統合でき、またその情報が保持でき、且つその情報が頭の中に映像となることが可能な機器ができればいいと思う。それを使い、例えばテレビや映画のも視覚からでなく頭の中に映像となり、またラジオ放送などの音声も映像となるとおもしろいように思った。

回答番号:

回答者:02-6046 杉原 久美子

提出日時:2001.12.18 14:07:51

長谷川さんの話を読んで、実際にはありえない世界や本当は今、目の前にないものに触れたり、そこにいるかのような3Dの世界を体験するためには、目で見えていることが大きな条件になっていると思いました。ものによれば、においや振動、音などを演出してより臨場感を出すものもありますが、ほとんどのものが3Dを体験する人が本や写真、TVなどで一度は見たことがあるからこそ「あっ、あれか」とか「へぇ、こんなふうになってるんだ」とわかるのであって、視覚障害者には見たことのない世界というものは想像するしかないので、3Dを体験することはあまり意味がないものになってしまうと思いました。
現代の社会で視覚障害者が情報を得るためには、聴覚から得る情報でそこに立ったり触れたりすると音声による案内があるとか、ふわふわとか、ちくちくするといった触覚で安全・危険などと考えたりして情報を得る方法などが考えられます。将来的には映画の世界などの話になってしまうけれど、モニターやセンサーに映った情報を、脳波に直接送り込んで情報を得るような装置ができるかもしれません。

回答番号:

回答者:02-6047 田中 陽子

提出日時:2001.12.17 0:20:40

 私は視覚障害者の方も美術館で絵画を楽しんだり、博物館で展示物を楽しんだりできるようになればいいなと思います。情報収集を目に一番頼ってしまう美術館や博物館の展示を視覚障害者の方が楽しもうとすることはなかなか難しいことなのかもしれませんが、あえて参加可能な方法を考えたいと思います。 例えば、絵画や展示物に(凹凸があるものは直接触れることができれば一番いいのですが、)直接触れることはできないので、その絵画や展示物を立体映像にしたものに触れることができるようにするといいと思います。もしくは、絵画などは平面上の映像でも、絵の輪郭線の部分だけを立体というか凸にすれば視覚障害者の方がさわったとき何の絵か分かるのではないかと思いました。色は赤は点々、青は縦線、黄色は横線とか、決めておけば視覚障害者の方もイメージできるのではないかと思います。そして、その映像に触ったとき、その絵画や展示物の解説を音声で流すとともに、どの部分を触っているのかも音声で解説できれば何を触っているのか分からないということはなくなるのでよいのではないかと思いました。また、これは美術館や博物館にしかない大きな機械だとしても、小型化され改良されて、家にいても好きなときに絵の映像に触れたり、写真にも使えたりできるようになればもっと情報化社会に参加できるようになると思います。しかし、この絵画や写真の立体映像に触るということは、まだ夢のような話なのだろうと思います。

回答番号:

回答者:02-7601 平尾 信晃

提出日時:2001.12.18 12:39:11

長谷川さんが本文で述べられている「通常のディスプレイ装置のように、別の触覚機能を伴う特殊なディスプレイ装置を置く。そしてディスプレイにてを差し入れるような動作で画面の中の仮想の物体を手でつかむ」と言う考えは驚いた。最も印象的だったことがVRの実験で健常者は画面をみながら触れるから触覚の意味がわかると言うことだ。僕は自然が好きでよく登山やキャンプに行くがその時感動を味わうのがやっぱり視覚による映像である。滝の姿を見てるからこそ、そのすさまじい音が統合される。視覚障害者も可能な情報化社会とは先の長谷川さんのことばで特殊なディスプレイ装置が触覚、力覚、臭覚、聴覚、味覚など視覚以外に対応できるものができればなと思う。それが応用されれば心の中の映像がディスプレイに表示されそれを感じることができる可能性につながる

回答番号:

回答者:02-8089 花田 信一

提出日時:2001.12.18 12:35:52

 私は長谷川貞夫の本を読んで、「視覚障害者も参加可能な情報化社会」のあるべき姿とはハリーポッターのような幻想の世界なんだろうなと思った。その世界が、健常者と視覚障害者の間にある情報の格差を確実に減らしてくれるとは一概には言えないが、人間の果てしなき夢と情報技術の高度化により、近い将来具現化されるだろう。
 例えば、海外旅行をしたい場合、個室の部屋に入って、行きたい国を設定すればどこへでも行けるというそんなVR装置があれば、旅費を出さずに旅行した気分になる。アメリカの自由の女神像に登りたければ強風が吹き、サハラ砂漠に行きたければのどの渇くような灼熱の太陽を浴び、南極大陸に行けば零下の世界で凍えるような冷たさを体感できるだろう。そして実際、自分がその場でやりたいことを選択ボタンで押せば、アマゾン川でピラニアを釣ることもできるし、イスラム世界で断食することもできる。そしてそこには、必ず仮想の人間も登場し、いろんな情報を提供してくれる。ただしこの装置にもいくつか欠点があり、行動選択数が限られていたり、味覚を満足することができないこともある(例えば、本場のインドカレーを食べたくても実際食べているカレーはボンカレーの味だったりするetc.)。
 他にも、歴史を勉強したい場合、その時代にタイムスリップしてティラノサウルスやプテラノドンに触ったり、フランス革命や関ヶ原の戦いに参戦したりすることもできる。また人体を勉強したい場合、ジェットコースターに乗るような感覚で血液の中の血しょうに流され、赤血球にぶつかったり白血球に食べられそうになったりする。
 このように、実際に見たり体験できたりするような健常者・視覚障害者併用のVR装置が広まれば、視覚障害者も参加可能であり、そのうちグループでVRの旅行をすることもできるだろう。

回答番号:

回答者:03-2001 安藝 哲朗

提出日時:2001.12.18 14:24:38


「まさかそんなものが」というものが実際に形となって目の前に登場するようなこんな時代、映画「マトリックス」のような話も現実にあって良いような気もします。コンピューターと向かいあうのではなく、コンピューターの中に入ってしまうのです。そこではなんでも出来ます。目も見えます、空も飛べます。一つのバーチャルな世界をコンピューターの中に形成するのです。そこで活動したものが現実の世界に反映される−たとえばバーチャル世界でコンピューターのソフトを製作してそれが現実世界のパソコンにインストールされる、など−となると、目の見えない人はおろかその他何らかの身体的障害をもった人でもコンピューターを通じて情報化社会に参加できる、ということができると思います。
ただ、ここまで技術が進むころには医療現場の方も随分進化するでしょうから、医学的な治療法で目が見えるようにするということもできるようになるのかもしれません。そこで当面大事なのは医療とコンピュータ技術がさらなる強力なタッグを組んで協力することだと思います。そうやって目の見えない人自体が減っていけば成功です。つまりは「『視覚障害者』という言葉が死後となるような情報化社会」が最終的な理想だと思います。

回答番号:

回答者:03-2001 安藝 哲朗

提出日時:2001.12.18 14:27:23

「まさかそんなものが」というものが実際に形となって目の前に登場するようなこんな時代、映画「マトリックス」のような話も現実にあって良いような気もします。コンピューターと向かいあうのではなく、コンピューターの中に入ってしまうのです。そこではなんでも出来ます。目も見えます、空も飛べます。一つのバーチャルな世界をコンピューターの中に形成するのです。そこで活動したものが現実の世界に反映される−たとえばバーチャル世界でコンピューターのソフトを製作してそれが現実世界のパソコンにインストールされる、など−となると、目の見えない人はおろかその他何らかの身体的障害をもった人でもコンピューターを通じて情報化社会に参加できる、ということができると思います。
ただ、ここまで技術が進むころには医療現場の方も随分進化するでしょうから、医学的な治療法で目が見えるようにするということもできるようになるのかもしれません。そこで当面大事なのは医療とコンピュータ技術がさらなる強力なタッグを組んで協力することだと思います。そうやって目の見えない人自体が減っていけば成功です。つまりは「『視覚障害者』という言葉が死語となるような情報化社会」が最終的な理想だと思います。

回答番号:

回答者:03-2056 一ノ瀬 京子

提出日時:2001.12.14 17:53:40

視聴覚障害者が一番したいことは、実際に目で見たいということだと思う。しかし、目で見ることができないわけであるから、他の何らかの方法で実際に見ているかのような感覚を味わうことができれば、よい情報化社会といえるだろう。実際にはインターネットなどもアクセスすれば、音声でながれてきて、写真などの画像も3Dのように浮き出てきて、指で触ればイメージとして感じ取れるなど。また、医学や科学技術の進歩で魔法のメガネのようなものが発明されて、それを視覚障害者がかけるとどういうわけか見える、なんてものが発明されればみんなそれを買って視覚障害者は一人もいなくなるでしょうね。それができないからもっと他の方法を考えなければならないのですが、難しいですね。視覚障害者の方は多分、色が一番伝わりにくいのでしょうか。なんとか色覚を補う方法はないものでしょうか。

回答番号:

回答者:03-3005 土田 晃久

提出日時:2001.12.18 13:50:17

 長谷川貞夫さんの「イネーブルウェアのページ」のところで、「これからの映像情報社会において、健常者と視覚障害者の格差がいっそう大きくなる」とあったが、本当にそうなるかもしれないと思った。現代の流れはバーチャル化つまり映像などで情報を提供しようという風潮なので、長谷川さんの言うように視覚障害者の方にはより一層、情報入手が困難になってくると思う。
 確かに今の世の中は便利になってきていると思うが、それは健常者にとっての言い分ではないかと思う。障害者の方たちにとってみれば、逆に生活しにくい社会になっていっているのではないだろうか?
 障害者問題とか部落問題とか世間で話されている〜問題とか言う場合は、実際にはその対になる人たちの問題ではないだろうか?
 要は、その対になる人たちの意識を変えることが、何よりもまず重要なのではなかろうか。
 さすれば、おのずといろいろな道(可能性)が広がってくるはずである。






「視覚障害者の障害の本質は情報障害である」とある

回答番号:

回答者:03-3005 土田 晃久

提出日時:2001.12.18 13:53:29

 長谷川貞夫さんの「イネーブルウェアのページ」のところで、「これからの映像情報社会において、健常者と視覚障害者の格差がいっそう大きくなる」とあったが、本当にそうなるかもしれないと思った。現代の流れはバーチャル化つまり映像などで情報を提供しようという風潮なので、長谷川さんの言うように視覚障害者の方にはより一層、情報入手が困難になってくると思う。
 確かに今の世の中は便利になってきていると思うが、それは健常者にとっての言い分ではないかと思う。障害者の方たちにとってみれば、逆に生活しにくい社会になっていっているのではないだろうか?
 障害者問題とか部落問題とか世間で話されている〜問題とか言う場合は、実際にはその対になる人たちの問題ではないだろうか?
 要は、その対になる人たちの意識を変えることが、何よりもまず重要なのではなかろうか。
 さすれば、おのずといろいろな道(可能性)が広がってくるはずである。

回答番号:

回答者:03-3007 西口 崇

提出日時:2001.12.18 13:25:19

視覚障害者にとって、自分の見たいものを見ることができたらこれ以上の喜びはないでしょう。現在、カメラと脳を直結させて外界の映像を取り込めるところまで技術が進歩していますが、モノクロでしかも静止画像のため、実用化には程遠いようです。もしこの装置がもっともっと改良されていつか世の中で活躍するような時代が来たなら―視覚障害者という言葉はなくなるんじゃないでしょうか。それ以外にも言葉を発することでタイプライティングができるパソコンや、目的地をいうだけで自動で動く車などが発明されると、視覚障害者だけでなく、健常者にとっても大きな助けになること間違いなしです。そうすれば交通事故もなくなって人が悲劇に巻き込まれることも減ると思います。

回答番号:

回答者:03-3013 石崎 由貴

提出日時:2001.12.18 13:28:16

視覚障害者が情報化社会に参加するためには、障害をもたない人もそうであるように情報の入手と発信という二つの条件を満たす必要がある。そのうちの発信という領域に関していえば点字ワープロや音声認識機能の開発によって、その最低限の活動は保障されるようになってきていると思われる。これからは文章だけでなく、様々な発信の手段が開発されていかなければならないと考えるが、長谷川氏の論文を読むと、より早急な対応が求められているのはもう一つの条件である情報の入手に関してだと分かる。将来、視力が回復する画期的な治療方法が発見されたり、周囲の情報を直接脳で映像化する技術が開発されれば、視覚障害そのものがなくなると思う。これは視覚障害による情報の不足を解消するために視覚そのものの獲得を目指したものだが、その研究と同時に視覚障害を補うため他の感覚を利用した情報入手の方法も研究される必要がある。その技術が着々と研究されているということをこれまで知らなかったが、長谷川氏が指摘されているようにその技術もまだまだ不十分だということも今回初めて知った。そして障害のない人ばかりで研究を進めるのではなく、視覚障害者が研究開発に携わることが必要不可欠だと思った。積極的に自分たちの求めるもの、必要とするものを世の中に訴えていくべきだと思うし、障害のない人も自分たちが暮らしやすくなることばかり考えずに、視覚障害者の意見をきちんと取り入れるべきだと思う。そうしていけばより効果的に技術が進歩するだろうし、同時に相互理解も深まって視覚障害者が参加できる社会が創っていけると思う。

回答番号:

回答者:03-3031 佐藤 美幸

提出日時:2001.12.17 12:55:59

視覚障害者はやはりものを実際に見て、色や形を感じたいと思うので、めがね型や帽子型のものを装着して、VRで街(道)の様子などの見たいもののソフトを入れたら、頭の中に小さな世界が現れて、形が立体化してピアスぐらいの大きさのセンサーをつけた指で触れると、ものの様子が触覚とVRで伝わるようになればいいと思う。それに触ると音声で色や部分の説明が流れ出すとよりイメージがわきやすいだろう。また、テレビやコンピューターなどもリモコンひとつで画面が立体化して、ものや点字に触ることができるといいと思う。一番いいのは目や脳に視覚の機能をもった小さな機械などを人工的に入れて、視力を手に入れることだと思うが、視覚障害者が持っている力を引き出してより視覚に近い感覚をもてるような情報化社会になればいいと思う。

回答番号:

回答者:03-3041 田中 真順美

提出日時:2001.12.18 13:00:51

前回の授業で、私は初めてヴァーチャル・リアリティーが触覚的に感知できる物まで登場しているという事を知りました。以下に述べるのは、それらが発展してこんな事までできたらいいなぁ・・・という私の想像の話です。

<VRの絵本・図鑑>
本を開くと絵が立体として知覚できる。振動やきめの細かさ、硬さ・柔らかさなどからその絵(写真)の色なども分かる。背景の雰囲気を暖かさや音、風などから感じることができる。また、音声ボタンがついており、それを押すと朗読が始まり点字のわからない人でも絵本を楽しむことができる。また、図鑑ににおいてはその立体の写真に加え、どのくらいの大きさであるかなども分かるように大きさなどの説明も加え、特に興味のある部分については拡大したり、その奥の構造を示すこともできる。

<VR歩道>
イメージとしては地下街がガラス張りになったような感じ。そのガラスの壁には手すりがついており、横断歩道や店の前にはボタンがついており、それを押すと「横断歩道です。」だとか「スーパー○○です。」のようにそこに何があるのかを教えてくれる。その店に入る場合にはもう一つのボタンを押すと、店員が誘導してくれる。

視覚障害者がどのようなことが不便なのかがよく分からないので今のところ思い浮かぶのはこれくらいですが、科学の発展と人間のあたたかみが視覚障害者も参加可能な社会ができるのではないでしょうか。

回答番号:

回答者:03-3077 赤司 麻美子

提出日時:2001.12.18 15:55:28

 今までの社会は、目の見えない人々が我慢をしなければならない社会であった。視覚障害者の数が健常者よりも少ないからだ。健常者に合った、社会が主に築き上げられている。ただ、健常者の人々も、視覚障害者の人々の声、「物が見たい」という気持ちを知る機会が少なく、また、知っていたとしても、「見えない事は事実なのだから」と諦めてしまっていた気持ちもあると思う。
 しかし、これからさきは、視覚障害者も健常者も両方、みんなが違う方法であっても、同じものを、感じられる時代になっていくのではないか、と期待している。
 長谷川貞夫さんの書き物を読み、今、コンピューターの世界は、三次元の世界へと進みつつあることをしった。私は、見ること、と、触れて感じることは、別物と思っていた。それは、私が目が見えるからそう思うのだろう。しかし、視覚障害者にとって、触れる、という感覚は、目と同じものであることを知る。健常者にとって、やはり、視覚障害者の実状を理解できることは難しい。
 視覚障害者も参加可能な情報化社会が実現されるにはまず、その作っていく段階から健常者と視覚障害者が手を組み、あらゆる問題を一緒に解決していくことが成功の秘訣となる。

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回答者:03-3086 兎洞 摩衣子

提出日時:2001.12.18 9:42:32

 長谷川さんは「コンピュータディスプレイの中に直接手を入れて3次元立体映像をつかむ」という風に表現されていたが、これからはコンピュータディスプレイの中に飛び込むくらいの勢いが必要だと思う。物に触るだけでなく、音、匂い、味など、実際の世界と同じように再現し、そこから情報を入手することができるようになれば、ハンディがある人たちも今よりはやりやすくなるのではないかと思う。
 しかも、スーツを着込まなくてはならないような大がかりな装置ではなく、例えばそれこそピアスくらいの大きさの装置を指や鼻やその他各ポイントにつけるだけというような手軽なものがいい。
 とはいえ、視覚障害者の方の望みは、やはり「見る」事かもしれない。頭に電極を埋め込んで・・・というのは怖い気もするけれど、それで見えるようになるのであれば、そういったものも必要なのかなと思った。

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回答者:03-3095 黒木 千草

提出日時:2001.12.18 15:57:29

長谷川氏のバーチャルリアリティの世界を読み、とても胸が熱くなりました。3次元立体映像を手でつかむという発想にも興味をもったし、しかしそれ以上に全盲の人の苦悩や願いに深く考えさせられました。私たちが何の苦労もなく、当たり前のこととしてみている世界を現実化するのがいかに困難であるか、という視覚障害者の視点に改めてきずきました。しかし長谷川氏の言っているように映像を触覚ディスプレイで触れることが可能になったら、視覚障害者も参加可能な情報化社会につながっていくと思います。最近、バリアフリーという言葉が盛んに言われていますが、視覚障害者も当たり前のようにものを見ることができる技術が発達し、聴覚障害者も当たり前のように音を聞くことができる技術が発達されることこそ本当の意味でのバリアフリーと言えるのかも知れないと考えました。そんなの夢のような話だと思うかも知れませんが、長谷川氏の言うように、夢は実現すると思うし、そのような技術こそ最優先に開発を進めるべきだと思います。私はその夢を信じます。

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回答者:03-3114 中村 祥子

提出日時:2001.12.18 14:32:00

 視覚障害者の方に対しては、視覚による情報を十分に得ることができない分、その他の感覚(聴覚、嗅覚、触覚、味覚)によって情報を補うことができるように配慮することが必要ではないだろうか。そこで、本文にもあったように映像と同時に匂いによって嗅覚でも楽しむことができる、また、触覚だけでなく、聴覚によってより詳しくそのものを捉えることができるというのはとても良い情報提供の方法だと思う。特に触覚は、その手触りによって様々なことを自由に想像することができるので、(鑑賞し自分なりにそこに含まれた意味を想像することができる)絵画を手触りによって表現した作品を集めた美術館ができれば面白いと思うし、誰でも楽しめるのではないだろうか。
 どうしても障害のある方を特別なものと捉え、その人のためにという恩着せがましい発想になってしまうが、いろいろな人がいて当たり前だし、各々で情報入手の方法が異なることを前提とした社会になれば、自然と情報提供の方法も多岐に亘り、視覚障害者に限らず、全ての人が自分の好みにあった方法で情報入手ができるようになるのではないだろうか。

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回答者:03-3124 堀田 舞

提出日時:2001.12.18 15:49:16

五感の中で脳に直結しているのは目だけであり、人は外からの刺激のほとんどを目にたよっているため、今の社会は視覚障害者にとっては少々住みにくい。視覚障害者も参加可能な情報化社会のあるべき姿とは、視覚障害者が触覚、力覚、平衡覚、嗅覚、立体音場感覚などで情報を受け止めることができるということだと思う。カーナビのように、視覚障害者の頭の中に風景が思い浮かび、音声で案内してくれるコンピュータや、視覚障害者用の自家用車、などがあればいいなと思う。また、長谷川先生の体験3にSPIDARの装置を2台使って、他の人がキャップを人差し指にはめて、ひらがなの「の」の字を大きく書くと、隣の装置で、キャップをはめた長谷川先生の指が受動的に動くというのがあった。このように、視覚障害者の人がした動作をまねして、視覚障害者のかわりに実際の動作をやってくれるロボットもあったらいいなと思う。料理、洗濯、掃除など家事にはとても便利ではないでしょうか。

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回答者:03-4098 山口 幸子

提出日時:2001.12.18 13:44:45

「視覚障害者の障害の本質は情報障害である。」という長谷川さんの考えを読んで、殆どすべての情報は目(視覚)から入ってきているのだということに初めて気がつきました。情報化社会と表される現代で、自分は就職情報サイトから送信される膨大な量の情報に今にも溺れてしまいそうな状況にあるのに、一方で情報が得られない不自由を感じている人がいることを考えるとおかしな気がします。
視覚障害を持つ方が不都合なく生活するためには、過不足なく情報を提供できる空間・環境づくりが必要です。外見的なことを言えば、目を閉じていらっしゃる視覚障害のかたを見たことがあるのでそのような場合には無意味かもしれませんが、状況をよりはっきり写し出す本来の機能とともに前回述べたピアス型コンピューターと同じ働きをするコンタクトや眼鏡型のコンピューターがあればいいのではと考えます。そして機能については、長谷川さんもいわれていたように立体映像を香りや質感・力感もそのままにつかめることが望まれますが、この時熱いものやとげのあるバラなどを知らずに触ると危ないので、もちろん身につけたコンピューターからは情報が発せられるものとします。
凹凸のある物体として触れることができれば、点字も覚えやすいのではと思いました。ただし点字を覚える過程はいうまでもなく健常者にも必要があります。
こうして少しずつでも点字が広まっていけば、今では不便さの多いであろう行政手続もスムーズにでき、視覚障害者の社会参加も促進されると思います。機械技術の発展とともに健常者と障害者が寄り添いながら生きていくことが「あるべき姿」なのではないでしょうか。

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回答者:03-4139 野口 絵里

提出日時:2001.12.18 13:33:46

視覚が使えないというのは、逆にいえば触覚や聴覚がずばぬけていることなのだと、この長谷川先生の話を聞いて感じた。
そこで私が考えたのは、「リンクコート」である。
それぞれのリンクにいくと私たちならば、こういう色を使ってこういう製品でこういう特徴があるんだなとわかるが、そのリンクコートを着れば温度調節はもちろん感覚や音も発し、「この会社はいい音つかってるな」とかそういう批評もでたりする。次のリンクには右のポケットをたたけば進み、戻るときは左のポケットをたたく。いまは画像の走査線の数を競っている傾向を感じるが、将来はどれだけ緻密な音かで製品が選ばれたりする。
しかしコンピューターから普通のリンクまでには健常者がそばにいないといけないのかもしれないが・・・。

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回答者:03-5058 大舘 沙織

提出日時:2001.12.17 22:51:45

長谷川貞夫さんの「イネーブルウェアのページ」を読み、視覚障害者の方は「これからの映像情報社会において、健常者と視覚障害者の格差がいっそう大きくなる」、また、「視覚障害者の障害の本質は情報障害である」とある。さらに、先生が講義の中で「脳と視覚(目)は直結しているから、私たちが入手する情報はほとんどが視覚から。」それと「奇想天外な発想でもいい」と言われ、その言葉から私は、ある本の内容を思い出した。それは、人間がこれから文明が進みすぎて(例えば、歩くことがほとんどないから足が発達しない、テレビやテレビゲームばかりやるから会話機能がなくなる、等。想像図はまるで宇宙人)どんどん退化していって、遂には人や動物、ものとのコミュニケーション全て脳からのテレパシーで行われるというものだった。物を見るのも脳から直接、人の考えてることも脳から分かり、何もかも全て脳からのテレパシーを使うというものだった。もし本当にそうなれば、目の見えない人も、耳の聞こえない人も、健常者も同じだけの情報を得ることができる。あまりに奇抜な発想だが、いつかそれに近い時代が、人間の文明により来るのかもしれない。それはいいことなのか、良くないことなのか・・・

回答番号:

回答者:03-5058 大舘 沙織

提出日時:2001.12.17 22:52:03

長谷川貞夫さんの「イネーブルウェアのページ」を読み、視覚障害者の方は「これからの映像情報社会において、健常者と視覚障害者の格差がいっそう大きくなる」、また、「視覚障害者の障害の本質は情報障害である」とある。さらに、先生が講義の中で「脳と視覚(目)は直結しているから、私たちが入手する情報はほとんどが視覚から。」それと「奇想天外な発想でもいい」と言われ、その言葉から私は、ある本の内容を思い出した。それは、人間がこれから文明が進みすぎて(例えば、歩くことがほとんどないから足が発達しない、テレビやテレビゲームばかりやるから会話機能がなくなる、等。想像図はまるで宇宙人)どんどん退化していって、遂には人や動物、ものとのコミュニケーション全て脳からのテレパシーで行われるというものだった。物を見るのも脳から直接、人の考えてることも脳から分かり、何もかも全て脳からのテレパシーを使うというものだった。もし本当にそうなれば、目の見えない人も、耳の聞こえない人も、健常者も同じだけの情報を得ることができる。あまりに奇抜な発想だが、いつかそれに近い時代が、人間の文明により来るのかもしれない。それはいいことなのか、良くないことなのか・・・

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回答者:03-8092 久富 博幸

提出日時:2001.12.18 13:14:07

視覚障害者の方々にとっては視覚の機能を補完する技術が必要です。
いくらバーチャルリアリティの世界などで視覚以外の他の感覚を駆使させたとしても、視覚により得られる情報には及ばないと思います。
目が見えないと、料理の味・においを楽しむことはできても(味覚・嗅覚)、見た目の美しさを味わうことはできないだろうし、触覚に関しても同じような硬さ・大きさのものだと区別しにくいのではないでしょうか?
目の前の映像を直接・即座に脳に送り込めたらよいと思います。

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回答者:03-8521 松崎 一子

提出日時:2001.12.18 15:54:30

障害者には情報との障壁があると一般的にいわれている。そこでよく情報のバリアフリーということが話題になったり、取り上げられたりしている。現代の情報化の急速な展開は果たしてバリアフリーの方向へ進むのか、さらに壁ができてしまうのでは、と不安に思っていました。しかし、長谷川さんの文章を読み、こういうふうに、障害者の立場にたったところからの開発がすすみ、社会に取り入れられるようになっていったら(まだまだ難しそうではあったが、ぜひ、前向きに考えたい)理想である、情報のバリアフリーが達成されるような社会になっていくのでは、と考えた。抽象的でごめんなさい。

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回答者:03-8524 弓岡 千紋

提出日時:2001.12.18 13:20:30

視覚障害者にとって一番望ましいのは、やはり目で見ること、あるいはそれに相当する何らかの技術が開発されることだと思うが、それはとても難しいと思うので、視覚で捉えなくてもいかにリアルにその情報に触れられるかが重要になると思う。具体的にはアイディアが浮かばないが、聴覚、触覚、嗅覚などをフルに活用して目で見ているかのような映像を脳に与えるようなそういう働きのできるものができたらいいと思う。こう考えると、現在の情報化社会において視覚というものが重要であるかということに気づかされる。目を閉じていても脳に直接情報を送ってくれるようなものが開発されたら視覚障害者も健常者も情報化社会においては何の差もなくなり、理想の社会だと思うが、とても難しい問題だと思う。

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