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回答者:01-3061 鹿目 裕一
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提出日時:2002.1.21
13:39:08
問1
最も強く感じたのは、同じ質問に対して、他の人の考えることが、千差万別で、すごい面白いなと思ったことです。同じような内容でも微妙に解釈が異なってたり、また逆にほとんど同意見のものがあったりと、人間の不思議を感じてしまいました。これもいわゆるひとつの「メディア」の形であると考えると、やはり受信者中心のメディアの形になるなと思いました。
問2
カンニングと違うところは、評価基準が定かでないので、他の人の意見をそのまま写したところでその回答に
価値があるのかどうかがわからないということではないかと思います。また、カンニングしたときの罪悪感や達成感がそれよりもかなり薄いのではないかなぁとも思いました。
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回答者:02-2046 波津久 明子
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提出日時:2002.1.21
16:59:30
問1
他の人の回答を見ることは、自分の回答に自信がある時でもない時でも、その両方において有益であると思う。自信があって提出したにもかかわらず、全体的な意見と何となく方向が違っていればまた考え直すし、自信がない時でも自分と同じような意見をもっている人がいるとわかると、安心することもできるからだ。これだと他人の意見を着にしているように聞こえるかもしれないが、そうではなく、他の人の意見を見ることで自分のものを自分なりに評価できる、という意味である。
問2
カンニングとは全く違うものだと思う。それは、このような課題にはっきりとした回答が存在するわけではないと言うこと、またあったとしてもそれをそのまま書くことは「回答」として全く意味の無いことだからだ。カンニングは人のものや、教科書の公式などをそのまま見て書くだけのものだと思っている。しかし、この課題の提出の仕方は人のものをそのまま書くのではなく自分なりにいろんな意見を参考にして、自分のものとまぜたり、自分の意見はなく他の人たちの回答をいくつか織りまぜて書いたものかもしれない。しかし、後者の方では色々な意見を読んで、自分で選んで、それを自分なりに書き直すといった作業は、充分カンニングではないと言える。
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回答者:02-3005 岡本 裕志
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提出日時:2002.1.21
11:09:13
問1.他の人の回答を読むことで、自分の考えを
客観的に見ることができたり、自分の考えの中で
足りなかったところを補い自分の意見に説得力を
つける意味で、自分の文章とともに人間をも成長
させることができるものであると思う。それによ
って意見が変わったりしても、それはそれで自分
にない物を他の人は持っていたという、相手を認
める効果もあり、相手も認めて自分も成長すると
いう相乗効果なるものもあるのではないかと考える。
問2.カンニングと違うところは、カンニングとは
その場しのぎでテストのとき回答を丸写ししたりとか、
自分の成長には全く作用しない行為であると思う。
カンニングは違反行為であるので、むしろ成長には全く
作用しないどころか人間の本当に姑息な部分がみえる、
正に悪い意味で人生観を変えたり人生を破滅させることに
成りかねない行為だと思います。
よって他人の回答を読むことと違うのは、人間を成長させ
るものであるか否かであると考える。
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回答者:02-3008 徳永 晃司
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提出日時:2002.1.21
15:03:36
問1.自分以外の回答を読むことによって、自分の考え方などをいろいろな角度から見ることができた、というのが一番大きなことではないかと思う。自分とはまったく違う意見や自分では思いつかないような考え方をしている意見も多かったので、自分自身についても客観的に見ることができたと思う。他の受講生の回答をみて、「その考えはどうだろう・・・」とぶつぶつ独り言を言っているうちに、頭の中で何かひらめくものがあったり、「この人すごい」と思って、自分の回答が恥ずかしくなってもう一度考え直したりしている自分もいたような気がする。このように参考程度に見るだけでなく、独り言をぶつぶつ言いながら自分の考えをさらに深めていくのにとても効果的だったと思う。
問2・「カンニング」とは、他の受講生の答えを丸写しすることであり、もしそれを行った場合、その回答には自分の意志や考えなどが反映されていない。問1で答えたものとはまったく違う。カンニングとの違いというのは、まずは、自分で考え、自分の回答を作っているということ。そして、その後他の回答を見るにしても、問1で述べたように、批判したりしながら自分の考えをさらに深めていく、というところだと思う。カンニングして作られた回答には、自分の考えや気持ちがまったく入ってなく、自分の回答として成立しないのではないかと考える。
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回答者:02-3011 宮下 人勢
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提出日時:2002.1.19
17:27:47
問1
自分の答えは絶対だ、間違えはない、と思っていても一億人いたら一億通りの考え方があるわけで、なるほどなぁ、その考えは斬新だ、など再考する機会を多々持つことができた。それにこの課題提出に正解、不正解を問うような意図はほとんど感じられなかった。これは、自分の思考、しいては人生観を大きく、そしてよい方向にかえてくれるものであった。また、読んで終わるだけでなく、それをまた書き込むという作業の機会をもてたのでより一層の話題の発展が期待できたと思う。
問2
カンニングとは前述のものとは違い、まったく自分の思考が入っておらず、テストができた、できないの世界になるとセコい、と扱われるもの。確かに楽ではあるが、した方もされた方もいい気持ちはしないもの。ちなみに私は高校時代、カンニングをさせた経験があるが、そのカンニングをしたやつのほうが点数が上だったのでそう思うのかも、、、、、。
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回答者:02-3013 吉田 武
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提出日時:2002.1.21
15:37:07
問一
ある学習をしたまま放っておくと、すぐに忘れてしまうことはよくある。学習した内容は、それ以上に熟考されて深められることなく徐々に減衰して消えてしまう。これに対し、レポート提出後に他者の回答を読むことで、自分には思いつかなかった考え方を学ぶこともでき、自分の考えを再度振り返ることができる。深められた見識は消えにくいだけでなく、自分と他者の意見を素直に比べられることは そのまま人間形成にも深くかかわってくると思う。
問二
カンニングは利己的な動機に基づくものなので根本的に違うと思う。
「問題集を解き、解けなくて、回答を見て、再度 挑戦して解く」
という状況と、
「テスト問題を見て、さっぱり分からなくて、他者の回答を覗いて、そのまま(または参考にして)書く」
というのはまったく違う。
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回答者:02-3016 石坂 幸子
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提出日時:2002.1.20
16:17:34
問1.他の人の考えを知ることで、自分には思いつかなかったことや、違う考え方もあることがよくわかり視野が広がったと思います。そして、まだ私には型破りの発想が足りないなと感じました。一番そう感じたのは、課題4で噂話もメディアと考えられるという意見を見たときでした。また、次の課題であらためて自分の回答を提出するということは、まさに鏡的利用でもあり、考えがより深まったと思います。
問2.カンニングは単に点数がほしいためや、その場しのぎのために人の答えを写すものだと思います。この授業では、人の回答を参考にしながらも、自分で意見をまとめて自分の言葉で書いているのでカンニングとは違うと思います。
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回答者:02-3026 佐藤 那智
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提出日時:2002.1.21
15:03:46
問1
自分とは違う考えを持つ人がいることを知ることができるよいチャンスだと思う。ほかの人の回答に納得したり、新たな疑問が生まれたりして、より学習が深まるのではないだろうか。
私にとっては他人の言い回しや考え方が勉強になることがある。自分が浅薄で表面的な考え方しかできないときに、他の受講生の回答を読むと、別の見方ができるようになりよい刺激になった。
問2
カンニングは他人の答えをそっくりそのまま写すことである。だから回答を見て自分の考えの参考にしたり、見つめなおしたりするやり方とは違っている。
カンニングでは自分の主観的な思考が入らないし、視野も広がったり、深まることもない。
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回答者:02-3030 角 恵美
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提出日時:2002.1.21
16:52:25
問1:とても効果的だったと思います。自分で考えるだけで、他の受講生の回答を見ることができなかったら、まわりの人がどのような考えを持っているかを知ることができず、自分の考えを深めることができなかったと思います。みんなの意見を知ることで、自分の考えをより深く考え直すことができるようになったと思います。
問2:「カンニング」というものは、答えだけを求め、人の意見を見て、自分で考えたりせずにそのまま答えを写すことだと思います。この自分以外の受講生の回答を読むことは、ただ答えを求めて読むのではなく、自分の意見をまとめる上での参考にしたり、考えを深めていくうえでの手だてにしたりという目的でした。そういった点で、「カンニング」とは違うと思います。
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回答者:02-3050 湯野 留美子
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提出日時:2002.1.19
16:43:50
問1、自分以外の受講生の回答を読むことは自分の視野を広げる効果があったと思います。課題が難しく感じたとき、ほかの人の意見をきくような感じで参照することで「こうゆうことか!」など気づかせてくれました。また自分の書いた意見に対して「それはちがうよ」といったコメントが載っているともう一度自分の意見を振り返るきっかけになり「変に断定しすぎたかもしれない・・・。」などと反省したりしました。反対に人の回答を見ていて自分にない考えを持っている人を見つけると「こんな意見もあるんだな・・。」といいものは参考にしたりすることもありました。花田さんの回答はいつもわかりやすく書いてあり
読んでいくと自分の知識も増えるような気がしました。
問2、「カンニング」は自分の意見を反映させずただ人の意見を丸写しすることだと考えています。この課題で人の回答を見ることは自分の回答を振り返り反省したり、参考にして前回の回答をより自分の考えに近づけたり、よりよいものにするという意味があったと思います。自分の考えが入っているか否かで違いが出てくると思います。
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回答者:02-3059 児玉 忠浩
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提出日時:2002.1.21
14:20:42
問1.自分の考えていたこととは違う意見を持つ人はたくさんいると思います。つまり違う視点から人の意見と自分の意見を比べることもできるということです。
問2.カンニングとは他人の意見を丸写ししあたかも自分の意見であるかのようにすることだと思います。この授業では他人の意見を見ることが許されていますが、これはカンニングではないと思います。他人の意見を参照し、自分の言葉で意見を述べたりするので、カンニングとは異種のものだと思います。
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回答者:02-3061 津山 裕史
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提出日時:2002.1.21
17:00:31
問1.自分の回答を出して人の回答を見ることは、自分の考えを深める意味でよいと思う。例えば自分が考えて会とことをほかの人がいい表現を使って書いていたり、なるほどこんな考えもあるのかと知ることができるので、自分の考えを深め成長することができると思う。
問2.カンニングと違うのは、人の回答をそのまま見て答えていないところである。同じ考え方でも書き方を違えて自分なりの表現を加えて書けばカンニングにはならないと思う。カンニングはそのまま盗み見ることであり、人の回答を見ることは、参考になるということなので不正行為ではないと思う。
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回答者:02-3077 猿渡 由佳
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提出日時:2002.1.21
3:22:30
問1 自分以外の受講生の回答を読むことは、自分の考えを再確認したり、他の人の考えを知ることができるよい機会になったと思います。同じ課題について考えても、自分と同じような考えをもった人もいれば、自分が考えつかなかったような回答を出している人がいて、「なるほど、そういう考えもあったか。」と思わされることもありました。他の受講生の回答を読むことで、じぶんの考えにもいろいろなきっかけがうまれることにつながると思うし、プラスになったと思います。
問2 「カンニング」というのは、他の人の回答を見て、そのままその回答を丸写しするという感じがします。しかし、この授業での自分以外の受講生の回答を読むということは、問1でも述べたように同じ課題に対するほかの様々な人の考えを知り、自分の考えを振り返ったり、プラスしたりする機会だと思います。「カンニング」は自分にプラスになるということはないと思うのでちがうと思います。
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回答者:02-3082 田浦 佳代子
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提出日時:2002.1.21
16:32:15
02-3082
田浦 佳代子
問1 自分以外の受講生の回答を読むことは、自分にとっ てとても刺激になることであった。自分と価値観が同 じであったり、違ったり、いろいろな考え方があるこ
とを目の当たりにさせられることだったと思う。人の 意見を読むことによって、自分を追い詰めることによ
り、より深く深く考えようとすることができる。自分
に納得いく意見でないといけないとまで思わせられま
す。このことによってよりよい意見が浮かんできたと
思います。
問2 人の意見や回答を見ることをカンニングという場合
は、大学受験や採用試験のような人の意見や回答を見
てカンニングとみなされるようなときをカンニングと
いえると思う。人の意見や回答を見てもいいような場
合や教授がいいと言う場合のときには、カンニングと はいわず、まねや模倣という言葉が適切であると思
う。また、たまたま意見や回答が同じだったという可 能性もありうると思います。
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回答者:02-3090 蓮香 智子
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提出日時:2002.1.21
16:31:30
問1
自分の考えは、主観的になりがちである。物事を自分の目線で見て、自分の立場に置き換えて考えてしまうためである。それらを防ぐためにも、他人から意見され、また他人に意見するという意見交換は、とても大切なことだと思う。物事を多面的に、あらゆる角度からみることは、人間性を豊かにし、思考力を深めてくれる。自分では、気づかなかったことにも、気づかせてくれるのだ。そのため、自分以外の受講生の回答を読むことは、自分自身の学習に対してプラスであり、学習していく上では、不可欠なことであると思う。
問2
「カンニング」との大きな違いは、自分の意見であるか、他人の意見であるかということだ。つまり、オリジナルであるか、コピーであるかという違いである。もちろん、他人の意見に共感することは大切であるが、それがそのまま自分の意見として用いては、それは、コピーであるといえる。どの部分に共感し、それはなぜなのか、自分の中でしっかり吟味することが大切なのである。
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回答者:02-3100 松尾 沙織
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提出日時:2002.1.21
17:04:05
問1
まずレポートの提出で自分の考え・意見という軸を持ち、他者の回答を読むことによって様々な方向へ考え・意見が広がり枝別れし大きな木になった。最初の自分の考えは完全には捨てきれないが、他の人の意見を取り入れることによって自分考えが発展して行くように思う。
問2
カンニングは他者の意見であるが、他者の意見を見て回答するのは自分の意見である。
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回答者:02-3106 藤原 幸代
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提出日時:2002.1.21
12:13:44
問1 自分以外の受講生の回答を参照することで、新しい考え方に遭遇することができた。特に、一度提出した課題に対して、他の人の回答を参照にした後に再び自分の回答の変更をするやり方は、多くの講義が授業の内容を暗記し同じ答えが求められる中、自分の思考について様々な角度から見直したり、もっと考えを深めていくことができたように思う。思い返してみれば確かに今まで多くの講義を受けてきたが、提出したレポートに対して更に意見を求められることはなかったと思う。
問2 カンニングとは、他人の考えや解答をそっくりそのまま引用し、その中には自分の考えは含まれていないものであると考える。英語ではCheat(だますような意味)をさす。確かにカンニングした答えをあたかも自分の意見のように他の人をだますことのように思える。それに対して、他の受講生の回答を参照する行為には、自分の回答を作成する過程において、他の意見に自らの思考や意見が加味され、更なる考えの広がりが見て取れる。したがって、カンニングとは異なると思う。
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回答者:02-6046 杉原 久美子
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提出日時:2002.1.21
12:22:03
問1.自分の回答がこれでいいのかなと思ったとき他に同じような回答を読んだときは安心するし、こんな考え方もあったのかと改めてその課題を考え直すことができます。他の授業でのレポート提出や試験のときでも他の人は何を書いたんだろう、見てみたいと思ったことがあったので、この授業が絶対的な正解というなかったこともあるけど、他の回答を見ていろんな考え方があることがわかったし、後で書き込みをし直すことで他の人の考えを自分に取り入れもう一度考え直すので、自分の考えに広がりができたと思いました。
問2.カンニングはその場しのぎ、逃げという感じがします。自分がしなければいいとも思いますが、実際に人がしているのを見て決していい気はしません。カンニングは見る人は得をして(罪悪感はあるかもしれないけど)見られた人は自分の努力を横取りされて損をする、つまり片方が一方的に利益を得るけれども、他の受講生の回答を読むことは自分の考えの参考にしてもう一度考え直す、回答を読まれた人は自分の回答に肯定・否定の意見があるのを見て、また考える機会ができるので、両者が利益を得ることができると思います。
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回答者:02-6047 田中 陽子
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提出日時:2002.1.20
23:32:02
問1 他の受講生の回答を読むことで、こんな考え方やアイデアがあるのかという発見につながり、改めてちょっと違った角度から自分の考えを見直すことができたように思います。もし他の人の回答を読まなかったら自分の考えの中だけで行き詰まりを感じていたと思いました。特に課題5や課題7では自分の回答に対して不安だったときに、他の人の回答を読んで考え直したり、新たに気づかされたり、同じ回答に安心したりしたことは考えを深めることにつながったと思います。
問2 カンニングは人の回答を(こっそり)見て丸写しすることだと思います。カンニングと違うところは自分以外の人の回答を読むことが公にされていれ、読んだ人はあとで自分の考えを取り入れてまとめ直しているところだと思います。
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回答者:02-7601 平尾 信晃
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提出日時:2002.1.18
16:05:13
問1
まず、他人の考えを知るということは自分の考えを深め確かめるという意味でも非常に大切なことだと思う。歴史を振り返ってみても、第一次世界大戦後世界は右翼(ファシズム)左翼(共産主義)が出てくるが偏った考えが結局は崩壊していく(ファシズムは第2次世界大戦後、共産主義は1991年に滅んだ)
それと同時に他人の考えから「みんな違っていい」と思うことも大切であると思う。国際理解教育においてもこのことは大切なことだと私は考えている。そしてこのことは、主題からそれるかもしれないがいじめ問題の原点だと思う
問2
問1で述べた点を考慮すると「受講者の回答を読むことが」他人の考えを単に写す、悪く言えば「盗む」カンニングと明らかに違うことは明白であるだろう
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回答者:03-2056 一ノ瀬 京子
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提出日時:2002.1.21
16:05:55
問1:私はこの授業のレポート提出の際には最初はなるべく他の回答を見ずに自分の最初の考えを書くようにした。それは、自分が書く前に他の回答を見てしまうと、どうしてもそれに影響され、本当の自分の回答ではなくなってしまうような気がするからである。しかし、自分が出した次の週にまた次の課題を解く前に他の回答を参照することは大変面白かった。同じ問題を問いているのに、回答は千差万別である。人の頭の中にはそれぞれの考えがあって、人の考えを自分で見ることができるのは大変貴重なことである。人の考えをみることによってそれは自分の頭の中にもはいってくる。当然、受け入れられない情報もあれ場、同調できるもの、自分の頭の中にあるものと比べたり、中に取り入れたり。どんな情報にしろ、他の人の回答を見るということは自分の考えに幅を持たせる、視野を広げることにつながる。
問2:カンニングは自分の能力に自信がないために偽った方法で自分の評価を上げようとすることである。そのため、カンニングした結果というものは人に披露できるものではない。自分の心にも罪悪感が生まれるし、実際よい結果を得られたとしても、その罪悪感というものは消えるのに時間がかかる。それに対してこの授業の場合は、罪悪感も生まれることなく、自分のために他の人の回答をみる。そのことで、よりよい回答が書けるし、自分の考えにまたプラスすることができる。カンニングは手段も目的も偽りのものであると考える。
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回答者:03-2078 陶山 望
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提出日時:2002.1.21
17:06:17
問1.課題を提出する際には、じっくり吟味して提出するのだが、その時に視点が1ヶ所にかたまってしまうことがあった。提出後、他の回答をみることで、その視点を返るヒントを得ることができ、課題に対してより深く考えることができた。すなわち、他の回答を読むことが、モニターとしての働きをしていた。
また、この授業の目標とも言える「情報メディア(ここでは、他の受講者の回答)の活用」を実際に体験することができた。
問2.「カンニング」との一番の違いは、この授業の課題に対する答えが1つではないということだ。どの答えが正解というわけでもなく、「カンニング」する必要はない。また提出する側も、「課題提出」というよりも「自分の考えを聞いてもらいたい」「人が思いつかないような答えを出してやろう」という気持ちで課題に取り組んでいるように思えた。
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回答者:03-3005 土田 晃久
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提出日時:2002.1.21
15:45:49
問1
自分以外の受講生の回答を読むことは、それまでの自分の思考を解体し、そしてまた再構成することを繰り返し行うことによって、自分の考えはより深められ、それと同時に新たな観点を与えてくれるものとなったと思う。
同じものを見るにしても、それを見る角度によって色んなモノの見え方があることに気づかされた。そうゆうモノの見方が自分の思考にプラスされ、今までつまずいていたことなどに新たな展開をもたらしてくれるものとなった。
また人間関係で問題が生じた時も相手の立場に立って考えてみたり、なぜ問題が生じたのかを客観的にみれるようになったように思う。
勉強の方でも、見方を変えただけで今まではなかなか解けなかった数学の問題が解けるようになった。
このように、色んな意味で他の受講生の回答を読むことは、自分にとって効果があったと思う。
問2
「カンニング」とは人の答えをただ写すだけのものであって、自分の新たな思考の展開、深まりへとは結びつかないものであり、また目的もただヘマをしないためだけのものであると思う。
例えばテストで隣の人の答案用紙をみて、そっくりそのまま写して書くのはカンニングであると思うが、それを見て自分なりに考えて回答するのは、いわゆる「カンニング」ではないのではないかと思う。
要は自分の思考をさらに深めるものであるかないかだと思う。
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回答者:03-3007 西口 崇
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提出日時:2002.1.21
16:07:07
問1
自分以外の受講生の回答を読むことで、自分の意見をさまざまな角度から分析することができた。今までの課題は、ほとんどすべてといっていいほど「出したら終わり」的なもので、そこから先のステップはなかった。人にはそれぞれさまざまな考え方・意見があり、似ているものもあればまったく違うものもある。「なるほど!」という意見もあれば、「それはどうかな?」というものもあった。それらの意見をしっかりと見極め、「これは使える」と思ったものを自分の言葉で置き換え、自分の意見に肉付けすることによって、自分の意見をより高度かつ明確にすることができた。自分一人ではとても思いつかないような意見を参照し、自分の言葉で噛み砕き、新たな考えとして確立することは、最も効果的な学習法のひとつであると思う。
問2
カンニングとは、自分ではどうすることもできないときに行う「逃げ」の行為であり、その場しのぎ的なものである。例えば、カンニングをしたテストの後にそのカンニングしたところの知識が自分の中に残っているかどうかを考えると、まず残っていないだろう。「カンニングする」ことは、人の意見をまるまる鵜呑みにしてしまうことであり、その意見を噛み砕いて考えるといった行為は存在しない。そこには当然自分の考えなど入っているはずもない。この授業での「人の意見を参照する」行為は、ほかの人の意見を取り出し、自分の言葉で噛み砕き、自分の考えに取り込むことであり、自分の意見をさらに高みのものへと昇華させることにつながる。そこで確立したものはいつでも取り出すことが可能である。その点がカンニングとは大きく違うところだろう。
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回答者:03-3010 有田 さやか
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提出日時:2002.1.21
15:16:18
問1レポートを作成する上で参考文献やインターネットなどで検索したりして文書をまとめ、できあがった時には達成感や満足感があるものだ。そしてそれと同時に「これでよかったのか?」という不安も出てくる。この授業の提出課題の場合は普段なかなか考える機会がないような問いなので私は不安の方が大きかったと思う。他の人の回答を参照するということで自分以外の受講生の意見や考え方を知ることができたり、自分の考えと照らし合わせることができる。そこで全く及ばなかった考えや、自分と似た回答を見比べることで吸収したり、もう一度見直す機会ができる。この授業のレポートは出したら出しっぱなしではなく、他の人のレポートを参照でき、そしてそれについての感想をいえる場があるのは上記に示めしたことをさらに考察を深めることができるものと思う。
問2カンニングとは自分の知識や努力の不足から、他社の知識を不法にとりいれて自分のものにする行為である。これは自分自身で考えた意見ではないためそのときしのぎで終わり、自分自身の知識としては残らず後々役に立たない。しかしレポートを見ることは、自分自身の知識や努力を補完し向上させていく行為である。この行為は自分自身によって得た知識と他者からえた知識を共に吸収、吟味でき今後に活かせることができる。
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回答者:03-3013 石崎 由貴
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提出日時:2002.1.21
14:19:33
問1
自分がレポートを提出する前に他の人の回答を読むこともありましたし、提出した後に読むこともありました。特に問題が難しくて意味がわかりにくい場合には、参考することによって思考の範囲が明瞭になり、理解が深まることが多かったです。今までは課題があると数人の身近な友人としか意見交換をすることが出来なかったので、今回のように受講者全員の意見を知ることが出来たのは、とても自分の学習にとってプラスになったと思います。自分が考えるときに、思考を深めていくと、どうしても一点に集中してしまいます。いろんな方向から考えようと思っていても、それらを全部まとめる力はありませんし、具体例も多く挙げることは出来ません。しかし他の人の意見を見ると、自分の考え方の不十分な点が見えてきたり、まったく新しい考え方に触れることが出来たり、こんな具体例があったのかといった発見をすることが出来ます。それを基にさらに考察を深めていくことによって、自分の意見に説得力が出てきたり、より良い回答になっていったように思います。いろんな考えを持つ沢山の人が集まることは、それぞれが他の人の良い意見を吸収して自分の意見を振り返り、思考を深めることが出来たと思います。そして何より、一人ひとりが違った意見をもっているという、そんな当たり前のことに気付き、意見の交流の大切さを改めて感じることが出来たことは、今後の学習に大いにプラスになったと思います。
問2
カンニングは、他の人の意見を正しいか正しくないか吟味することなく全てを鵜呑みにしてしまうことだと思います。鵜呑みにするどころか、ある人の解答用紙に書かれてある文字を、自分の解答用紙に転写するだけです。そこには思考活動は見られず、ただ文字を書くだけのロボットと同じであると言えます。そして自分はなんらの努力も払うことなく、努力をしてきた人と表面的には同じだけの成果を獲得できます。しかし自分で噛み砕いたものではないので、後には何も残りません。よって、自分の成長にはなんら関わっていない点がカンニングの特徴で、他の回答者の意見を参考にすることと違う点だと思います。
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回答者:03-3015 一木 朋枝
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提出日時:2002.1.21
12:11:08
問1 これは毎回思うことだったのだが、ほかの受講生の回答を読むことで、自分が気づかなかった点が見えてくるし、自分の考えが広がる(視野が広がる)と思っていた。「自分の考えと似てるなぁ。でも私より詳しく書いているなぁ。」「こういう考え方もあるのか。」など思ったりして、その回答を参考に自分の回答を見直したり、自分の回答と比較して考えたりすることができた。いろいろな人の意見を読むことで、自分の考えが深まっていったと思う。
問2 カンニングは他の人の回答を見てそのまま写すことではないかと思う。途中自分で考えるという過程がないので、後から振り返ったときに、自分が気づかなかったところが見えてきたとか、視野が広がったということには結びつかない。自分でよく考えて回答を練り直すことがカンニングとの違いであると思う。
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回答者:03-3031 佐藤 美幸
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提出日時:2002.1.21
16:38:11
問1 自分以外の人の回答を見ることで、自分一人では考えつかないような発想に出会うことができたし、その発想を自分の持っている考えとかけあわすことで自分の考えがより深まったり、新しい考えが生まれたりした。また、他の人の考えを見て、自分の考えをまとめ直す課題では、再度自分の書いた課題を見直すことになったので、復習と言うか自分の過去の思考を振り返ることにもなったのでとても意義があったと思う。つまり、私にとって自分以外の人の回答を見ることは、自分自身の考えを再確認するとともに、自分の考えの乏しさを実感したり、他の人の考えに感銘を覚えて、自分の中に取り入れ、考えが深まっていたり、新たな自分の考えにつながっていったりといいことだったと思う。
問2 カンニングとは試験など自分が今までの成果や実力などをはかるときに他の人の回答やカンニングペーパーなどを盗み見て、丸写しを自分の回答として出すことだと思う。この時カンニングした人は自分でまったく考えておらず、回答がその人の言葉で表されていないので、カンニングは人を成長させないマイナスの意味を持っていると思う。しかし、問1の行為は他の人の回答を丸写しするのではなく、あくまで参照として、自分の考えを補ったり、自分の考えと他の人の考えを比べて自分の考えをよりとよいもの、深いものにしようとしている。これは自分できちんと考え、成長しようとするプラスのイメージを持っているのでまったく別のものだと思う。
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回答者:03-3041 田中 真順美
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提出日時:2002.1.16
11:25:16
<問1>
私にとって自分以外の受講生の回答を読むことは、「考えることのきっかけ」となりました。同じ課題に対しても私と同じような意見を持っている人もいれば、まったく異なった発想の人もいました。自分がまったく思い浮かばなかったような意見を述べる人もありました。そのような中で「こういう考えかたっていいな」と思ったり、「それはちょっといきすぎなのでは・・・。」と思ったりすることが自分の意見を見直すことにも直接つながっていました。先生はそれに対するちゃんとした「答え」を提示されませんでしたが、だからこそ「これはどういうことなんだろう」と真剣に考えることができたのではないかと思います。「メディア」に関する課題でしたが、それを通して自分自身の考え方について振り返ることができたような気がします。
<問2>
問1でも触れましたが、この方法が「カンニング」と違う点は私に「考えるきっかけ」を与えてくれたことだと思います。カンニングでほかの人の意見を「写す」ことは、まったく「ほかの人の意見」のままであって、それが自分に反映されていないと思います。ほかの人の意見を「自分のもの」にするための考える時間というものが「カンニング」には欠けているのではないかと思うのです。この方法こそ「コード依存型」メディアの鏡的利用ではないでしょうか。
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回答者:03-3077 赤司 麻美子
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提出日時:2002.1.21
16:59:56
<問い1>
あらかじめ自分が考えた答えがある。考えがうまくまとまらなかったり、見当違いなことを書いてるのではなかろうか、と不安になったり。そんな時、ほかの受講生の回答を見ることは、自分の回答、自分の考えをより明確にしてくれる作用がある。他の回答を見て、共感したり、反感をもったり、自分がなにを言わんとしているのかが、だんだんとひとつのつながりになって、頭の中に現れてくる。また、人の数だけ違う考え方を目にすることができ、楽しいうえ、勉強にもなった。
<問い2>
カンニングはその場限りの代物だ。一瞬をつなぎとめるものでしかない。「自分の考えなど、入らなくてもいい!今だけ!」というのが、カンニング。
私たちが回答を公開し、参照し合い、見ていることは、情報の交換であって、そのまま写す、というものではない。他の回答を見て、それをそのまま使うのではなく、自分の考えと合わせ、更なる考えへと発展させる効果がある。その発展させた回答を誰かが見て、更なる発展へとつながるうることも考えられる。カンニングは、その場限り、回答参照は、続きがある。
回答をひとつのメディアと考えた場合、回答を書いた人、見た人が媒介となる。作成者、受信者は固定されているわけではない。常に作成者が受信者、受信者が作成者である状況であり、その情報は、ひとつのところにとどまらず、めぐりまわっていく。情報メディアの活用が存在する。ここが、カンニングとは大きく違う点である。
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回答者:03-3086 兎洞 摩衣子
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提出日時:2002.1.21
10:33:51
問1
いつも他の授業でレポートを提出する時、他の人ならどんなことを書くのだろうということを考える。自分の考え方でいいのか、別の発想はないのか、本当はいろいろな考え方に触れることで自分の思考が深まっていくと思う。
たくさんの面白い回答や感心する回答を読んで、自分ももっと柔軟に、深く考えないと・・と思ったし、視野が広がったと思う。
問2 カンニングは、人の答えをそっくりそのまま写してしまうことで、そこには自分の思考というものがないと思う。人の回答を読んで再提出するときは、読んだものをかみ砕いて自分なりに再構成するという思考過程が必要となるので、ただ写すだけのカンニングとは全く異なると思う。
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回答者:03-3095 黒木 千草
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提出日時:2002.1.21
16:59:46
レポート提出後、自分以外の受講生の回答を読むことで、自分の考えを再確認するきっかけになるとおもう。同じ課題について考える場合、この人はこういう風に考えたのか、また、この部分は自分と同じだけど、他のところは違う、その考えはどうだろうと批判することもある。このように他の人の考えを読むことで、再びその課題について考えるきっかけになり、自分の考えを改めたり、より深めることにつながったと思う。
問2 レポート提出後自分以外の受講生の回答を読むことで、なるほどこういう考えもあるのか、ナイスアイディアだ、他の人の回答より自分の考えは納得できると再認識したりできる。このように自分の考えを振り返ることで、鏡的利用におけるメディアの利用になっており、これこそが情報メディアの活用になっているとかんがえる。「カンニング」の場合、ただ他の人の考えを真似するだけで一方的であり、情報の活用になってないと考える。
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回答者:03-3114 中村 祥子
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提出日時:2002.1.21
15:37:47
問1.自分の考えというのはどうしても絶対的なものとして捉えがちである。そのため、ある意味偏った見方しかできていないわけである。しかし、他の人の回答を見ることによって、今まで気づかなかったいろいろな考え方があることを知ることができ、それによって、もう一度自分の回答を新たな視点から見ることができたのではないだろうか。ただし、私の場合、自分の意見はあくまでも一つの意見として尊重されるべきだと考えていたので、他の人の意見を読んだ後でも、なかなか自分の回答を書きなおすことはできなかった。
問2.「カンニング」というと、他の人の答えを丸写しして、自分の回答とすることだと思う。それはある程度その回答は正解だろうと目星をつけてやるのだろうが、この授業の場合、問1でも述べたように人によっていろいろな考え方があるので、どの答えが正しいということは誰にもわからず、丸写しのしようがない。それに丸写しをしようものなら、先生にもばればれである。他の人の回答を参考にしている人はたくさんいるだろう。しかし、参考にした場合、きちんと論の中に自分の意見を入れ、自分の言葉で回答するだろうから「カンニング」とは違うと思う。
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回答者:03-3124 堀田 舞
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提出日時:2002.1.21
15:41:43
問1 自分の意見を提出して、はいこれで終わり、というのではなく、同じ問題に対して他の人がどういう意見を出していて、また自分とはどう違う考えをしているのか知ることができてよかったと思います。例えば、課題12で、服装、身振り手振り、ロダンの「考える人」、富士山の写真、壊れたコップ、の中から選ぶ場合も、私は、ロダンの「考える人」や壊れたコップをメディアだと考える場合は難しいと感じ、これらを選ぶ人はいるのだろうか?とさえ考えていたのに、実際何人もいて、私が考えつかなかったようなすごい意見を出しているわけです。こうして、他の人の意見も読んで、自分の意見も改めて考えなおして、新しい考え方を自分の中に取り込むことができたところがよかったと思います。まさにメディアの鏡的利用でした。
問2 最初、「他の受講生の回答を参照した場合のみ、『回答番号』を半角数字で入力」というのを見たときは、他の人のを見てもいいのか??と思いました。確かに他の人の意見をそっくりそのまま‘写し’てそれをそのまま評価に結びつけようという悪い心があれば、それはカンニングになるかもしれません。でもこの授業で、なぜ他の人の意見を参照するのを認められているかというと、それがあくまでも‘参照’であり、参照することによって新しい考えがどんどん生まれてくる方が得だからだと思います。また、いわゆるカンニングとは、こっそり盗み見るという意味合いの方が強い気がします。この授業では、盗み見るのではなく、堂々と見ているし、盗み見て写しても、みんなが見ればバレるので結局は自分の意見を書き加えなければなりません。こういうわけで、いわゆるカンニングとは違うと思います。
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回答者:03-4098 山口 幸子
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提出日時:2002.1.21
16:29:17
問1 ほかの受講生の回答を読むことが自分にどう影響したかということについて、端的に表すならば、「考え・推敲する力がついた」ことだと思います。
パソコンで課題を提出し、しかも同じ問いに対する他人の答えを自由に見ることができるという試みは初めての経験だったので、はじめのうちは「みんな同じような回答になるのではないか」と思っていました。そして実際、初回から数回の課題に対する回答を見ても、類似する回答が多く、文章も短いものでした。例に漏れず、自分も先に回答している人の意見をみて、それが正しいのだろうと思い込み、似たような思考で回答していたと振り返ることができます。しかし、ふと気づいた時、自分の回答はその分量を増していました。ひとつの課題にかける時間も長くなっていました。人の真似ではなく、自分の考えをまとめて"打つ"ことが、以前より少し苦でなったと思います。また、自分以外の考えを発見して面白くもありました。たとえば「まったく目の見えない人とまったく耳が聞こえない人がコミュニケーションをとるにはどうしたらよいか」という課題6において「におい」「味」という回答には、頭から水をかけられたような感覚でした。
問2 問1でも触れましたが、「カンニング」との最も大きな違いは"他の受講生の回答を読んだ後どうするか"だと考えます。いわゆるカンニングでは読んだもの・そこにある考え方を「盗む」のであって、読んだものを基にして自分の思考を深め「推敲していく」こととは区別されるのではないでしょうか。
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回答者:03-5058 大舘 沙織
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提出日時:2002.1.21
15:57:36
問1:誰一人として、同じ考えの人間なんていないのだから、様々な違った意見が聞けておもしろかった。自分がまったく思いもつかなかったような回答は、とても新鮮で、
いい刺激になった。「こんなことを思いつく人がいるのか!」とびっくりすることもしばしばで、自分の意見ももっといろんな方向から見つめなおさないと、と思った。自分一人の狭かった視野が、広がったような気がした。
やはり、自分の考えに自信を持つことも大事だが、他人の意見にも耳を傾けないと、人として成長できないと思う。
普段の大学の授業は、ほとんどが先生からの一方的な講義形式で、私たちは受身で授業を受けるだけで、そこには生徒同士が自分の意見を述べ合う場は、ほとんどない。しかし、この授業は、授業中こそほとんどコミュニケーションはなかったが、授業外、しかもパソコン上で、ある程度生徒同士、互いの意見の交換ができていることをすごいと思った。実際、名前は分かっても、授業で隣に座っている人が「○○さんだ」なんて分からず、でも、その「○○さん」の意見は知っているのだから、おもしろい。一緒に授業を受けている人の考えを知ることにより、自分の意見と比較・考察して、自分の考えをより深めていく手段としてなった。
問2:「カンニング」は、わからない答えを自分の考えなしに、ただ丸々写して提出することである。この講義で、他人の意見を参照させてもらうことは、自分の意見と照らし合わせたりして、自分の意見をもう一度見直したり、考え直したりすることができる。そこには、自分にとってプラスとなる、有意義な行為が存在するのではないか、と思う。「カンニング」はテストの点は取れるかもしれないが、「自分の考え」というものを取り入れてないため、結果的に無意味になってしまうのではないか、ただの模倣である。
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回答者:03-8092 久富 博幸
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提出日時:2002.1.21
16:10:11
問1 個人でレポートを作成、提出した後に、他者がレポート内容(回答)を発表したり、参照できる機会がなければ自分の回答が正しかったのか(数学などと違って必ずしも正解があるとは思いませんが)、あるいは不足した部分はなかったのかなど振り返ることはできないと思います。また、自分とは異なる視点からの回答や発想があることを認識しづらいと思います。自分の意見だけにとらわれてしまう可能性も大いにあります。各自のレポートに対して先生が意見・感想をつけて返却することで、どのように考えるべきだったのか、不十分な部分を補うことはできますが、自分とは正反対の意見があることを分からないなど限界があると思います。学習する際に答えを他者から教えてもらうことは真に自分のものとなっていない可能性があり、他者の意見を聞いた上で(本当は議論をするのが望ましいのかもしれません)再度自分の意見を形成することは、今までの考え方で不十分な部分があることを認識してどう付け加えればよいのかなど復習できるし、意見が変わったり、全く新たな発想が生まれるという効果があると思います。物事を論理的に考察する力を養うことができる効果もあると思います。
問2 カンニングは他者の回答(解答)をそのまま自分の回答(解答)として書き写す不正なイメージがあります。この講義の他者の回答を読むことは(そのまま他者の回答を拝借すればカンニングとあまり変わりはないかもしれませんが)課題への着眼点をどこにつければよいのかを示してくれるものだと思います。例えばある人の回答と同じ視点であってもよく考えることで微妙な違いを発見することで新たな意見を形成することができます。カンニングとの違いはその回答を読む人が自分の回答をつくる過程で考える行為をするかだと思います。
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回答者:03-8524 弓岡 千紋
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提出日時:2002.1.21
16:06:46
自分以外の受講生の回答を読むことは、新しい自分ではとても思いつかないような考え方を発見できてとても勉強になった。私に関していうと情報メディアの活用の講義だた考えただけですごく難しく課題を考えすぎてしまって、上手く自分の考えが思いつかなかったのだが、いろんな考えがあって、参考になった。
カンニングは「見てはいけない」と禁止されているにも関わらず見てしまう行為なのに対して、これは許可されて他の受講生の回答を見ているという点が大きな違いだと思う。
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