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回答者:01-3061 鹿目 裕一
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提出日時:2002.1.15
15:59:28
問1.
身振り手振り
人と人とのコミュニケーションの手段として利用される。言語を使ってのコミュニケーション以上に発信者の意思を形として発信することができる。しかし、発信者の意思が受信者に完全に伝わるかということは受信者に依存するので、確実にメディアであるといえるかどうかは定かではない。
問2.
鏡的利用については、身振り手振りで表現した事柄を完全に保存することはできないし、ある人には伝達できたメッセージも他者に同じ動作で同じメッセージが伝わるかどうかというのは定かではないので、鏡的利用としてかのうかどうかは、わからない。
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回答者:02-2046 波津久 明子
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提出日時:2002.1.15
15:48:28
Q1 「服装」を選択。
服装は、着ている人、またはデパートなどでマネキン に着させている人と、それを目にする人を媒体として
その服を選択した人の趣味・趣向や好きな色、マネキ ンであればお店のカラー、または時に生活様式などを 伝えていると思う。たとえばミニスカートにへその出 た上着を着、派手な感じの服装をしている人であれ ば、女の人ならギャルや奔放な感じの人、男の人なら 女装癖のある人かニューハーフ(?)かと言うメッセ ージが見る人に伝わる。また、名門校の制服を着てい る人を見ればその人の偏差値までも、大体は見当がつ く。
Q2 鏡的利用は可能だと思う。その服装を見ることで、た とえばロシアに旅行に行ったときの服を見て、分厚い コートなどであれば「ああ、モスクワは寒かったが日 本ではこんな厚いコートは要らないなあ」などと振り 返ることができるからだ。
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回答者:02-3001 安部 一寿
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提出日時:2002.1.15
10:58:46
問1 「富士山の写真」について考えてみたが、十分メディアにもなりえるものだと思う。 「富士山の写真」はそれを撮った人と、観る人が富士山と写真を媒介にして、日本の四季の美しさ・富士山の魅力・写真を撮る人の感性などを伝え、感じ取っていると思われる。
問2 同じ写真を観るにしても、その時期や気分によってメディアとしての役割は異なるから鏡的利用は可能であると思う。
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回答者:02-3005 岡本 裕志
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提出日時:2002.1.15
16:00:59
身振り手振りというのは人と人、想いと想い、考え方を考え方などを媒介して伝えていることにより、自分自身を分かってもらっていると思う。伝達目的はコミュニケーションをとることだとおもう。視覚と視覚
聴覚と聴覚に訴えることが大事である。
鏡的りようは自分自身で振り返ることができるので可能となる。
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回答者:02-3008 徳永 晃司
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提出日時:2002.1.15
12:35:39
問1.私はロダンの「考える人」について考えてみた。これは、製作者ロダンとその作品を見る人を媒介してロダンの何らかのメッセージを伝えていると思う。様々な芸術家は自分の気持ちや想いというものを絵や、彫刻、音楽などによって伝えようとする。言葉では伝えにくいことをこのような形に表すことによって多くの人々に何らかのメッセージを残しているのである。つまりこのロダンの「考える人」も同様、この彫刻がロダンのメッセージを残し、時代を超えて語り続けているのである。このように「ロダンの考える人」はメディアとなると考えられる。しかし、ここで考えるメッセージとは見る人の受け止め方によって違ってくるだろう。ただ、どの人もこの彫刻を見て自分について考えるきっかけを与えられるのではないか。こういう意味の上では同じなのかもしれない。
問2.この場合において鏡的利用は可能であると考える。ロダンの「考える人」の彫刻を見る人は、これを媒介にして、自分自身について振り返るきっかけをまず与えられる。それは自分自身の考えている姿であるかのように
それを鑑賞し、自分の考えや感情、過去の経験などを振り返ることができるのである。
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回答者:02-3016 石坂 幸子
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提出日時:2002.1.15
14:10:32
問1.私は、「服装」は着ている人とそれを見る人を媒介して、その服装をしている人の個性や性格、その時代の流行を伝えていると思います。また、時には身分を伝えることもできると思います。例えば学制服を着ていれば学生とすぐに判断できるし、制服しだいでは職業も伝えることができます。(この世の中では学生でなくても学生服を着る人もいるようなので、なんとも言えない部分もあるかもしれませんが。)
私は多くの人は「服装」の伝達目的を「個性の表現」としていると思います。だからこそ、流行にとらわれやすい人とそうでない人もいるのではないでしょうか。
問2.鏡的利用は可能だと考えます。流行の服であれば、しばらく経ってそれを見たときに当時の出来事や気持ちなどを思い出すことができるし、鏡の前で自分が選んだ服装を見ることで、全体の色合いなどで自分の性格を客観的に教えてくれるからです。
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回答者:02-3019 江頭 麻衣子
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提出日時:2002.1.14
0:37:11
問1 「服装」は、人と人、(自分と他人)を媒介しています。「服装」は、その人の趣味や性格、裕福か、といったその服を着ている人に関する「事項や性質」と、服を着る民族か、ある民族は布を巻いて体を隠すだけ、とか裸族は裸であるとか、その人に関する「環境」を伝えると思います。例えば、街で「全身黒っぽくヒラヒラがついているような服を着て、派手なメイクをし、髪も派手に染めている」ような人を見ると、その人は「ロック歌手のおっかけだ」などと服装などの見た目だけで判断してしまいます。
「服装」の伝達目的は、「人間の(その人の)個性」だと思います。自分に服装という、着飾る事で自分の個性を他人に伝えるからです。
問2 「服装」の鏡的利用は、やはり「鏡」だと思います。自分の選んだ服を着て、鏡で確認する事で、自分が選んだものの判断をしたり考え直したりするからです。
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回答者:02-3026 佐藤 那智
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提出日時:2002.1.15
10:49:59
1.
壊れたコップは、コップを壊した本人の「現在」と「過去」を媒介していると考えます。
ふと戸棚を見ると、少し縁のかけたコップがあります。使い物にはならないけれど、大切な人からプレゼントされたお気に入りのコップなのでどうしても捨てられないわけです。
またあるときは、職場の人間関係がうまくいかず、むしゃくしゃして その辺にあったコップを思わず床にたたきつけて割ってしまいました。次の瞬間床に散らばった破片を見て冷静になり、「ああ、片付けなきゃ…」と思い、その破片を拾い集めます。ついさっきまでの怒っていた自分を思い出しながら。
このことに伝達目的があるのかというと、意図的ではないにしろ、そのものの存在が過去の事実を表す明らかな証拠なので あるのではないかと思いました。
2. 鏡的利用はもちろん可能だと思います。壊れたコップを見ることで過去の自らの思考、感情を思い返すことができるからです。
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回答者:02-3030 角 恵美
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提出日時:2002.1.15
13:43:26
問1 私は、「富士山の写真」について考えてみました。この「富士山の写真」は、この写真を撮った人と、その写真を見る人を媒介にしていると思います。そして、その写真から、富士山の形、雰囲気、日本の季節、撮った人の富士山に対する思い、などを伝えていると思います。この写真を見ることで、富士山を見たことがない人は、富士山を知ることができるし、また「行ってみたい」という気持ちがかき立てられるかもしれないし、富士山や日本のイメージをよりはっきりと思い浮かべることができると思います。また、富士山に行ったことがある人は、自分が富士山を見たときのことを思い出させるだろうし、季節が違えば、富士山の様子も違うということも知ることができると思います。
問2 鏡的利用は可能だと思います。この写真を見ることで、撮影した人はそのときの様子を振り返ることができるからです。
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回答者:02-3050 湯野 留美子
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提出日時:2002.1.15
12:50:11
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1、「服装」について考えてみました。「服装」は着ている人の情報を如実にあらわすものでメディアとなると思います。今この人が何に夢中か、どんな趣味をしているのかなどはじめて出会う人であればあるほど「服装」がメディアとなり受信者にある程度の情報を与えてくれます。例えば、ギャル服をきていたら、この人は流行り物が好きだな。うるさそう。明るい人。など。また逆に地味だとその人さえも大人しそうに見えたりします。
また、仲のよい人同士でも「服装」から情報を得ることがあります。例えば、合コンでかなり気張った格好をした友人を見ると、「今日は本気だな。」などとその人の心理状況を把握することができたりします。
これらは着ている人とその服装を見た人を媒介として成り立っており前に述べたように着る人の趣味や考え、心理状況などの個人情報を伝えていると思います。
しかし、これらは見た目だけで判断しているので受信者中心の偏った情報であることが多いと思います。実際、イメージと違った、というようなことがたびたびおこります。
2、鏡的利用は可能だと思います。過去の自分の着ていた服を見ることでそのころの感情や思考などを確認することができるからです。
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回答者:02-3059 児玉 忠浩
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提出日時:2002.1.15
11:05:41
問1.身振り手振りは人と人とが会話する際に、人の意思 と意思、気持ちと気持ち、考えと考えを媒介して自分 自身を伝えている。伝達目的は自分という人間・人を 他人や会話している相手に知ってもらう、分かっても らうことだと思う。身振りや手振りで、話すだけでは なく、視覚に訴えてその人の言っていることを理解す ることもできる。また視覚障害者や聴覚障害者の方々 とも会話できるのではなかろうか。両者がお互いにも っと相手のことを知れば知ろうとするほど、身振り手 振りは増えてくると考える。
問2.自分が何かを考えたり、身振り手振りを考えたり、 姿を想像したり、浮かべたり、また自分を振り返った りできるので、鏡的利用は可能であると考える。
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回答者:02-3061 津山 裕史
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提出日時:2002.1.15
11:55:02
問1.身振り手振りは人の気持ちや意思、動きを媒介して相手に伝えたい情報をより分かりやすく伝えるという目的がある。また身振り手振りは人それぞれであるのでその人自身を示しているものでもある。
問2.身振り手振りで相手に伝えることができたか振り返ったり、考えたりすることができるので鏡的利用は可能である。
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回答者:02-3077 猿渡 由佳
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提出日時:2002.1.15
15:59:35
問1 私は、服装を選びます。服装は、着ている人とそれを見る人を媒介にして、その人の趣味やまたはその人のだいたいの人柄、年齢などを伝達していると思うからです。また、もし見ている人が、違う国の人であった場合は、その服を着ている人の国の文化なども伝えることがあるのではないかと思います。
問2 鏡的利用は可能だと思います。昔着ていた服や流行を思い出すと、その当時の自分の年齢やあるていどの性格や気持ちを振りかえれると思うからです。
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回答者:02-3082 田浦 佳代子
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提出日時:2002.1.15
15:43:10
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02-3082
田浦 佳代子
問1 服装というのは、「洋服を紹介する人(普通その辺を歩いている人も含む)」と「着る人」を媒介していると思う。誰も皆、服装を選び着ることによって表現し、それぞれの個性がでていると思う。
ファッション雑誌やテレビに出ている芸能人、インターネット、道を歩いている人の服装を参考になると思う。(自分で洋服を作っている人も、言えないことはないのではなかろうか。)
伝達目的があるかというと、やはり参考にして着てもらえるとそれなりの効果がでるだろうし、何よりも嬉しいと思う。たくさんの人に着てもらうことを目的ともいえる。
問2 鏡的利用は、可能だと思います。前述でも述べたように、紹介する人の意図によるもので、紹介された洋服が認められると、流行します。そのことによって振り返ることができるからです。
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回答者:02-3090 蓮香 智子
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提出日時:2002.1.15
15:29:21
問1 「服装」
ファッション、つまりは服装の流行はある集団の中で一定の間、流行する装いの習慣であり、スタイルである。そこには、優位性を、たいていの場合、文化的な優位性を認められる集団のスタイルが広がっていくという基本原則が見られる。現代では、ミュージシャン、バスケットやサッカー選手、そしてスーパー・モデルといった大衆のヒーロー、ヒロインのスタイルが、電子メディアで世界の隅々まで広がっている。
ファッションが受け入れられるためには、物が作られること、それが情報として、伝えられ認められること、その結果、物が現実に動くこと、といえる。作り手であるデザイナーと、情報伝播のメディアとなるジャーナリストや批評家、バイヤーなどが、ファッションの流行を大衆に伝えるのである。
問2 現代、電子メディアによるスピーディな情報で、同質のファッションになる現象が起こっている。そのため、これからは逆に独自性のあるファッションが探し求められるように考えられる。
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回答者:02-3100 松尾 沙織
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提出日時:2002.1.15
13:31:27
問1
服装がメディアになる場合、服装をしている人が情報の発信者でそれを見た人が受信者である。発信者は色のバランス、型などの感覚を通し、その日の気分や予定にあわせて服を選ぶ。それを見た受信者は受信者の服装の感覚で発信者がどのような気分か、どこへ行くのか、どのような生活かなど発信者の意図する情報、しない情報を受け取っている。発信者の発した情報であるけれども受信者の中で組み換えられた受信者用の情報を伝えたことになる。
問2
服装の鏡的利用は不可能である。情報の発信者は発信者であると同時に、その情報を受け取る受信者でもあると思うので。つまり、発信者自身が発した情報も受信者としての情報に変化していると考えられるから。
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回答者:02-3106 藤原 幸代
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提出日時:2002.1.15
15:59:02
問1 服装がメディアとなると考えた。服装とは、年齢であったり、四季や職業などに応じた用途であったりと、個々の様々な状況の把握が前提としてあり、着ている人とそれを客観的に見る人が媒介として存在する。着る人の自らの個性を、周りの人に表現し示すことで、周りがどんな反応であろうとも(例えば、その格好が変であるとか、素敵であるというような反応)、認知されて初めてその人の個性や状況を、伝えることができる。また制服で職業を判断するすることが可能な場合もあるから、伝達していることは、個々人の現在における状況や、個性であると考える。
問2 鏡的利用が自らの思考・感情を振り返る過程ということから、服装は鏡的利用は可能だといえる。例えば、学生時代の制服をみればそのころの感情がよみがえるからである。
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回答者:02-6046 杉原 久美子
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提出日時:2002.1.15
13:15:49
問1.富士山の写真を選びます。
富士山の写真はその写真を撮った人とそれを見る人の媒介となり、富士山の写真を撮った人(発信者)が感じたもの(感動であったり、何か訴えようとしたり)を富士山の写真を見る人にも伝えようとする手段であると思います。
富士山の写真といっても、遠くから富士山の全景を撮ったもの、実際に富士山に登って富士山にある植物や景色といった自然、また富士山に捨てられたごみなど様々あり、見る人に写真を撮った人が見た現実を伝えることができます。その写真を見た人が、自然がきれいだとか、自分も登ってみたくなったとか、ごみを見てただ汚いと思うか何とかしなければと思うかなどは写真を見た受信者にゆだねられると考えられます。
問2.発信者は写真を撮ったときどうして撮ったのか、このときあんなことがあった、こう感じたと振り返ることができ、受信者は前にこの写真を見たときこう思った、など自らの思考・感情を振り返ることができるので鏡的利用は可能だと思います。
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回答者:02-6047 田中 陽子
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提出日時:2002.1.14
23:25:23
問1 ロダンの「考える人」は作者ロダンと彫刻を見るひとを媒介して、ロダンのメッセージを伝えていることになると思います。伝達目的は彫刻が時代をこえて残れば作者が亡くなった後もロダンのメッセージを伝え続けていくことができることだと思いました。ただ、彫刻を見る人それぞれに「考える人」の感じ取り方が異なるので、ロダンが伝えたいメッセージが何か正しいことはロダンしか分からず、見る人中心の解釈が行われるコミュニケーションになると思います。
問2 過去に悩んだり、ものを考えたりして生きてきて、ロダンの「考える人」を見たとき、悩んだ過去を思い出したり、改めて何かを考えてみようという気にさせられたり、人や自分がものを考えるときの姿を思い浮かべたりと自分自身を振り返ることができるので、鏡的利用は可能であると思います。
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回答者:02-7601 平尾 信晃
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提出日時:2002.1.15
12:57:55
問1 富士山の写真
これは、受信者と富士山を媒体にした、コンテキスト依存、解釈、受信者中心のコミニケーションにおいて、人間によって意味付けられた情報を物理的にささえる働きをする。つまり、富士山が「俺は、綺麗だろ」とは、発信してない。もし外国人観光客が日本の富士山をみれば、「これが日本のかの有名の富士山か」と素直に感動するかもしれないし、山登りの大好きな私にとっては、富士山の写真をみて季節を想像したり、山頂からみた景色を想像したりする。受信者によってその受け止め方はさまざまである。
問2
富士山の写真自体は、思考、感情を外に出して振り返ることが可能であり、メディアの鏡的利用(リフレクション)は可能であると思う
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回答者:02-8089 花田 信一
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提出日時:2002.1.15
12:03:34
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課題10の提出が手違いにより送信できませんでしたので再度提出させていただきたいと思います。
問1
・882の回答
脳からのテレパシーという飛躍的な概念には少々興味をそそられたが、そこまで科学の進歩が発達したら使い方次第では「諸刃の剣」になってしまいそうである。人の考えていることが分からないからこそ、人の気持ちを理解しようとするし、他人に対して思いやりを持つことができる。本人もおっしゃっているように、それが良いことなのか悪いことなのか深く考えさせられた。
・889の回答
「コンピュータディスプレイの中に直接手を入れるのではなく、むしろ飛び込むくらいの勢いが必要」だという発想には驚嘆した。すごくおもしろい。また私が以前提出した回答では、味というものを再現するのはなかなか困難ではないかと思っていたがそれを現実にするのが情報化社会。将来可能になるのを楽しみにしている。
・908の回答
人は視覚があることで情報量を多く取得し、いろいろなものを生み出してきた。このことについては改めて再認識させられた。しかし、それと同時に忘れてはいけないことはハンディを負っているからこそ、その人たちのために情報技術の基礎を作った人たち(ex.トーマス・エジソンやルイ・ブライユetc.)もいるということである。これからの前進は社会性の前進だけではなく、自己の内面性における前進でもあるように思われる。
・923の回答
とある美術館では、ネパールの障害者の人たちによって創られた作品展が公開されていた。視覚障害者の人も芸術を堪能できるよう彫刻をじかに触ることができるようにしてあった。今度は絵画に触れて堪能できるようになればと思った。
問2
皆さんの回答を読んでいると、私の回答だけが少し突出したものになってしまっていたので、もう少し自分の回答を改善したい。
総合的に考えると「視覚障害者も参加可能な情報化社会」は次のような流れで実現できればよいと感じた。
@その他の感覚(ex.聴覚・嗅覚・触覚・味覚・力覚・平衡感覚etc.)を利用したVR装置の開発
↓
A視覚を補助するために脳で映像化する技術の発達
↓
B視力を回復する治療方法の完成
私が具体的に出した旅行や時空を超えたタイムトラベルの例はAの段階までしかいたっていないが、「視覚障害者も参加可能な情報化社会」の実現であれば、「視覚障害者」という前提がある以上Aの段階にとどまるのが妥当ではなかろうか。
よって、改善すべき点があるとしたら、889の回答のように更なる技術の進歩により、例えば多種にわたるカレースパイスを舌で味わえるよう味も完全に再現できれば良いと思った。
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回答者:02-8089 花田 信一
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提出日時:2002.1.15
15:45:55
問1
ロダンの「考える人」をメディアとして捉えた場合、「考える人」という彫刻をメディアとして活用したのがNOVAのCMである。「入ろか、やめよか、考え中」というフレーズで一躍脚光を浴びた(?)「考える人」は、NOVAのマスコットキャラクターとして起用されてきた。この場合で考えてみると、NOVAの宣伝企画部はテレビ視聴者に対してテレビと視聴者の脳にある記憶(人間の心理)を媒介にしてNOVAで語学を勉強してもらうよう宣伝(伝達)している。ここでいう「視聴者の脳にある記憶」とは、入るか入るまいかという人間のついつい悩んでしまう優柔不断な心理を表象した代表的なイメージ像を指す。そして、そのイメージ像こそがこのロダンの「考える人」にほかならなかった。実際、ロダンが理解されず苦悩に満ちた人生を送っていたとか、代表作には『地獄の門』があるとか、そんなことを知らなくてもCMを見て納得できるのである。そういう意味では、人間の脳にある知識は媒介にならない。例えば、ピクミンの『愛のうた』などもインパクトと宣伝効果により人間の心理を媒介としてブレークさせた一種のメディアであるといえるだろう。
問2
例えば、NOVAのCM後もアリナミンEXのCMにおいて東山紀之似の「考える人」を使って薬品を宣伝している例もある。これはアリナミンEXの宣伝企画者がNOVAのCMを参考にして振り返ったかどうかは分からない。しかしただ一つ言えることは、各々の宣伝企画者の間でCMを評価し、それに似たCMを創り出すことは間違いなくあるであろう。そういう意味では、鏡的利用は可能であるといえる。ただし、可能であればCMも似たり寄ったりのものが多くなるので、そこは注意しておかなければならない。
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回答者:03-2001 安藝 哲朗
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提出日時:2002.1.15
11:15:19
「壊れたコップ」をメディアと考えます。
前提・コンテキスト:家で留守番中の小学校一年生がジュースを飲もうとした際、誤ってコップを壊してしまう。帰宅した母親に壊れたままのコップをそのまま黙って示す。
問1.
何と何を媒介するか−子供と母親。
何を伝えていることになるか−発信者である子供が伝えようとしているのは「コップが(を)壊れた(壊した)」というdenotativeな情報と、「ごめんなさい」「びっくりした」というconnotativeな情報。
受信者である母親が受け取るのは「コップが壊れている」というdenotativeな情報と、「ケガはなかったかしら」「この子が割ったのかしら」といったconnotativeな情報。
この場合のコミュニケーションは、発信者がコンテキストと受信者の解釈に大きく乗っかっていると思われます。自分の意図するところは受け取ってくれる、と期待して、上で述べたようなメッセージを壊れたコップでシンボル化しています。
問2.発信者の鏡的利用は可能と思われます。発信者(子供)は、自分の注意力・握力の至らなさ、それに、ものを使って相手とコミュニケーションしようとする自分の(ずる)賢さをモニターすることができます。
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回答者:03-2056 一ノ瀬 京子
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提出日時:2002.1.15
12:26:15
問1:ロダンの「考える人」の場合について考えてみたいと思う。この場合、発信者はロダンの彫刻、受信者はその鑑賞者ということになる。あるいは、発信者はその作品を作った彫刻家と考える事もできる。彫刻家を発信者と見た場合、彫刻家は彫刻を媒介として、鑑賞者に何かを伝えていることになる。何を伝えているかというと、「考える人」を芸術的に彫刻で表現することによって、作者のとらえる人間の考える姿、その姿から人間の奥の深さを伝えようとしている。伝達目的としては、自分の彫刻の技術を用いて、鑑賞者に人間の悩み、頭、心に潜む様々なこと、それを真剣に受け止める姿を伝える目的があると考える。
問2:この場合の鏡的利用については、その彫刻の姿、ロダンの置かれている状況を想像し、自分と置き換えることによって鏡的利用が可能だと考える。ロダンの考える姿を受け止めることによって、自分の過去の思考や感情を見直しことができるであろう。
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回答者:03-2078 陶山 望
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提出日時:2002.1.15
14:29:25
問1.「富士山の写真」について
富士山の写真は写真を撮った人と写真を見る人を媒介して、“撮影者の意図”を伝える。“撮影者の意図”とは、ただ富士山(←四季、時間帯、見る場所によって様々な表情を見せる)のある特定の瞬間の様子の美しさ・もの悲しさ・壮大さなどをそのまま伝えることかもしれないし、写真を通して撮影者の心理状況を伝えることなのかもしれない。そう考えると、「富士山の写真」は十分メディアとなりうる。
問2.鏡的利用は可能である。なぜなら、前述した通り、写真は何らかの撮影者の意図を反映するからである。もちろん撮影者自身もその写真を見返すことで、撮影時の思い出・心境をふり返ることができるだろう。
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回答者:03-3005 土田 晃久
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提出日時:2002.1.15
15:21:20
問1富士山の写真
富士山の写真は、その写真をみる人と富士山、あるいはその写真をみる人とその写真を撮った人とを媒体とした、コンテキスト依存・解釈・受信者中心コミュニケーションにおいて、人間によって意味づけられた情報を物理的に支える働きをする。
実際は、富士山の写真はその写真をみる人とその写真を撮った人とを媒体とする意味合いが強いと思われる。もしその写真が富士山を遠目からみたものだとすると、富士山の四季折々の風景がみれて、受信者は誰もが綺麗、美しいだといった感情をおぼえ、そこに行ってみたいと思うだろう。反対に近くからみると、富士山の岩肌はゴツゴツしていて、まだ富士山を間近から見たことのない人にとっては綺麗なだけだとというイメージはもたなくなるだろう。取る側が純粋に富士山の魅力を受信者に言いたくても、その写真を使う側によって目的も違ってくる。例えば遠目からの写真だったら観光むけ、近めからだと登山者むけなどといった具合に。そういった時は撮る側も発信者と受信者の媒体となってしまう。
問2
問1で述べたように写真には撮る側の何らかの意図が含まれていているので鏡的利用は可能であると思われる。
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回答者:03-3007 西口 崇
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提出日時:2002.1.15
13:51:47
問1
これは、受信者と壊れたコップを媒体にした、コンテキスト依存、解釈、受信者中心のコミニケーションにおいて、人間によって意味付けられた情報を物理的にささえる働きをする。「コップが壊れて危険だ」よりも、「コップが壊れていて危なそうだな」と、受信者が感じるのが自然な、ごく当たり前のことである。コップはただ壊れているだけであって、それに対して何かを思うのは受信者である私たちである。
問2
これについては可能であると思う。過去に体験したことや、そのとき思ったことをある出来事によって思い出すことができるからである。
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回答者:03-3010 有田 さやか
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提出日時:2002.1.15
15:48:18
問1 身振り手振りは言葉では伝えたりなかったり、言語が相手に通じない場合など補助的なものとしてメディアになると思う。私たちは日常自然に指や体全体で使っているものである。これは相手により自分の気持ちを正確に伝えようとするためである。普段、情報を受け取るときにラジオよりテレビを選ぶのは、言葉だけでその状況を把握しなければならないものより、伝える人の様子や身振り手振りがありわかりやすいからだと思う。
問2 自分がそのとき何をしたか、何を伝えたかったか、あの人は何を言いたかったのかを思い出したいとき、会話や言葉だけでは思い出せないものも、その時の様子や行動、身振り手振りをしたことを思い出せば、当時の感情や思考を振り返ることにつながりやすいと思う。したがってこの身振り手振りというメディアの鏡的利用は可能だと思う。
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回答者:03-3013 石崎 由貴
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提出日時:2002.1.15
12:00:21
問1 服装は人間と人間を媒介して情報発信者(その服装をしている人)の考え、趣味や個性と言った内面を伝えていると考える。また内面と同様に、服装によってその人の職業が分かったり暮らしぶりが豊かであるかといったことも情報となっているし、着物やチマ・チョゴリ、サリー、キルトスカートといった伝統的な服装はその人の国の文化や環境まで伝えている。そして特にその人の人柄や考え方を知らない場合ほど、人は服装によって判断されるし、相手を判断している部分が大きいと感じる。それは顔の表情についても同じことが言えると思うが、外見的なものは容易に情報として取り込まれるので、それが第一印象となりやすいからだろう。よって初対面の人と会うときには、自分が相手に持たれたい印象を与えるような服装をすることになる。たとえば就職活動を行うとき、自分はまじめで責任感がある人柄だという印象を面接官に与えたいといった伝達目的を持っているとしたら、アイロンをかけたシャツを着て、シャープな柄のネクタイをきゅっとしめるだろう。まさかそこで汚れたよれよれのシャツにドラえもんの柄のネクタイを締める人はいないと思う。しかし、いわゆるリクルートスーツを没個性とみるか、社会常識があるとみるかは面接官の判断にゆだねられる受信者中心コミュニケーションとなるだろう。
問2 服装がメディアとなる場合、鏡的利用は可能であると考える。なぜならある服装を見たり思い出したりすることによって、そのときの記憶や感情がよみがえったりするからである。制服や結婚式の衣装を大切にとっておいたりする人は、その服装を持ち続けることで、そのときの記憶も大切にしているのではないだろうか。
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回答者:03-3015 一木 朋枝
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提出日時:2002.1.15
11:37:12
問1 身振り手振りは、自分と異なる語を話す人と会話するときや、話をよりリアルにするときなど、言葉だけで会話するに足りない場合にメディアとなる。このとき身体と視覚を媒体として発信者の考え・感情・意図などを伝えている。伝達目的は、やはり発信者の考え・感情・意図を相手に分かってもらう、発信者の意思表示だと思う。
問2 思考・感情を振り返る過程で、身振り手振りはより振り返りやすくする。思い出すときに、身振り手振りから言葉につながっていくときもあるし、言葉だけではその程度が分からない場合がある。例えば、あんなに怒った、あんなにおなかを抱えて笑ったなど、そういった身振り手振りが悲しかった、楽しかった記憶として残る手助けをするのではないだろうか。よって、鏡的利用は可能である。
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回答者:03-3031 佐藤 美幸
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提出日時:2002.1.15
14:01:39
問1 「富士山の写真」について考えてみると、富士山の写真を媒体として、写真を撮った人(発信者)の富士山に対する美しいとか雄大とかいう感動を写真を見ている人(受信者)に伝えていると思う。また写真を撮った人も写真を媒体としてそのときの感動をもう一度味わうことができる。このように富士山の写真を通して、実際に富士山を見なくていないたくさんの人にも富士山の素晴らしさ伝えることを目的にしていると考えた。
問2 鏡的利用は可能だと思います。それは問1で書いたように写真を撮った人は写真という媒体物をみることでそのとき感じた気持ちを振り返ることができるからです。
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回答者:03-3041 田中 真順美
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提出日時:2002.1.15
15:28:19
<問1>
服装はコンテキスト依存型のメディアになりえるのではないかと思う。例えば、「○○さんがこういう服を着ていてかわいかったからまねしてみようかな?」と情報の受信者が考えた場合それは十分にメディアの役割を果たしている。また、ファッション雑誌やファッションショーにおいてはコード依存型のメディアとなりえるであろう。
<問2>
これは十分に鏡的利用ができるであろうと思う。コード依存型の場合においては、発信者が情報を外に出し、その服装(色や形など)が世間で受け入れられ流行するかどうかでそれを振り返ることが可能であろう。
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回答者:03-3077 赤司 麻美子
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提出日時:2002.1.15
15:28:05
問い1・身振り手振りがメディアとなった場合、身振りをした人と、それを見た人が媒介となり、身振りをした人が表したかった事柄が伝えたかったことになる。身振り手振りとは、同じ人種であれば、十分伝達可能な、メディアであると思う。二者が物理的に遠くに離れていて、しかも、声を発せない状況にある場合、このメディアの力が大いに発揮される。また、言葉を発することができた場合でも、身振り手振りにより、相手の気持ちをよりよく理解することが可能になることを、誰もが経験したことがあるだろう。
問い2・身振り手振りがメディアとなった場合、鏡的利用は、不可能かもしれない。そのときそのときに自分がした身振り手振りを客観的に後から見ることができないからだ。もし、どうしても、鏡的利用にまで発展させたければ、常に、ビデオカメラなどで、自分の姿を記録しておく必要があるだろう。
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回答者:03-3086 兎洞 摩衣子
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提出日時:2002.1.15
10:36:55
問1 服装は服を着る人と、その人を見る人々を媒介している。服装が伝えるものは、着る人の趣味・思想・そのときの気分などで、伝達目的は、自分という人間(趣味など)を他人に知ってもらうことではないかと思う。また、民族衣装はその人の所属する民族や文化を見る人に伝えるし、日常とは違う服装をしていると、その人にとって特別なことがあるということが伝わる。成人式の日に振袖を着ていればその人が新成人、入学式の日にスーツを着ていれば新入生というようなことである。ただし、日常の服装ではそこまで厳密に伝えることはない。普段着ているものによってその人の性格を判断するとすれば、受け取り手の解釈が中心になってくると思う。
問2 着ている服によって所属感や、そのときの状態・気分などを、自分で確認することができるので鏡的利用は可能だと思う。
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回答者:03-3095 黒木 千草
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提出日時:2002.1.15
15:27:06
富士山の写真がメディアとなる場合を考えると、富士山の写真をとった人と、その写真を見た人を媒介として、富士の山の情景、美しさ,また、写真をとった人の富士山への思いさえも伝えていることになると思う。伝達目的は、実際に富士山を見ていなくても、その写真を見るだけで富士山の情景、美しさを見ることができることだと考える。
この場合、富士山の写真をとった人は、その写真を見ることで、写真を撮ったときの富士のすばらしさや思いを再び思い出すことができると思うので鏡的利用は可能だと思う。
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回答者:03-3114 中村 祥子
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提出日時:2002.1.15
14:03:01
問1.「身振り手振り」―「身振り手振り」という行為を行う人の動きや顔の表情を媒介にして、言葉では伝えることのできないその人の言わんとすることを伝えることができる。この「身振り手振り」は、外国の人と意思疎通を図る際、言葉でコミュニケーションをとることができないときに使用するジェスチャーと同じものだと考えられる。例えば、何か食べたいときには、食べる仕草をしたり、お腹が痛いときには、お腹を押さえ、苦しそうな表情をする。もちろんこれらも「コード依存・解読・発信者中心」または「コンテキスト依存・解釈・受信者中心」のため、伝えようとする側とそれを受け取る側ではその「身振り手振り」が意図するものは違ってくるかもしれない。しかし、発信者の望む結果が受信者によってもたらされたなら(例えば、お腹がすいたという仕草に対して、食べ物をもらえた)、コミュニケーションは成立し、「身振り手振り」はメディアとしての働きを果たしたことになる。
問2.「身振り手振り」によってコミュニケーションを成り立たせることができたとき、お互いにどのような動きや表情をすれば自分の意図することを伝えることができるかを学ぶ。今回受信者であった人が次回発信者となった時、この時の経験を活かして同じような仕草で別の人に意図を伝えようとするなら、自らの思考・感情を振り返っていると言えるのではないだろうか。そこで、鏡的利用は可能であると考えられる。
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回答者:03-3124 堀田 舞
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提出日時:2002.1.15
14:31:18
問1.服装がメディアとなる場合、その服を着ている人と、その服を着ている人を見るまわりの人を媒介して、その服を着ている人の置かれている状況を伝えていると思う。例えば、お葬式の黒い服は悲しみの気持ちが、結婚式の華やかな服装には喜びの気持ちが表されており、自分の気持ちを服装を媒介として相手に伝えるという目的が考えられる。制服は、学生であることを伝えていることになるし、細かく言えば、どこの学校の生徒かまで伝わることになる。
また、ブランド物など高そうなものばかり身につけている人はお金持ちなのかなと思うし、逆に薄汚れた汚い格好をしている人は貧乏なのかなと思う。この場合は、自分であえて伝えようとしていなくても、その服装によって、ある程度見ているまわりの人から、その服装をしている人がどのような状況におかれているか判断されてしまう、受信者中心のコミュニケーションである。
問2.服装は、そのとき自分がどのような気持ちでその服を着たか振り返ることができるときは鏡的利用が可能だと思う。でも、思考、感情を形に残しておくわけではないので、いつも着ているような服ではなく、成人式や結婚式などの特別な日にした服装でないと、鏡的利用は難しいかなと思う。
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回答者:03-4098 山口 幸子
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提出日時:2002.1.15
11:22:09
問1 富士山の写真がメディアとなる場合を考えた。
この場合は、メディアを「コンテキスト依存・解釈・受信者中心」の解釈型コミュニケーションにおいて人間によって意味づけられた情報を物理的に支えるはたらきをするものと捉えることができる。具体的に言えば、コンテキストである富士山と受信者である(富士の写真を見る)人を媒介して、雄大な富士の姿を伝えていることになるだろう。ただしここで「雄大な富士の姿」はあくまで一側面からの見方であることに注意しなければならない。"ありがとう"という言葉が感謝の意味にも、時には皮肉的にも使われるように、情報の発信者が存在せずコードもない情報・メッセージのイメージは、受信する人やその時の状況によって変わり得るからである。したがって、人は、ある場面において東海道五十三次で富士を描いた歌川広重に思いを馳せ、「この山を多くの戦闘機が越えていったのだ」と戦争を思い出して感傷的になり、また或いは日本一と呼ばれる富士山の雄大な様子から、将来へ向けての目標や希望を抱いていく。
このようなメディアの拡大はコンテキスト依存の伝達目的であり、芸術作品や自然などが同じ「コンテキスト依存・解釈・受信者中心」の方法で伝達されていると考える。
問2 鏡的利用とは外に出した思考や感情を後から振り返る過程だということを踏まえると、例えば日記や俳句・詩、または講義ノート(試験前に見直す)を挙げることができる。
富士山の写真については、問1で述べたように戦争の過去を振り返る場合は、鏡的な利用という面も含んでいるかもしれない。しかし、写真を見たときの状況によって受け止め方が変わるという受信者中心の性格を考えると、鏡的利用は不可能であると思われる。
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回答者:03-4139 野口 絵里
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提出日時:2002.1.15
13:27:15
ロダンの「考える人」を使った有名な某CMをもとに考えました。なぜなら、実際に用いられた「コード依存・解読・発信者中心」コミュニケーションの分かりやすい例だと考えたためです。この場合、受け手は、あるCMプランナーに限定します。
問1
対象:ロダンの「考える人」
媒介物:対象物が掲載されている雑誌、写真、展示している美術館、自らの予備知識
伝達目的:考えることの重み、重厚さ、大変さ→疲労、考えすぎることへの皮肉(ここから例のCMプランナーのなかで、→「栄養ドリンク」「英会話教室」の宣伝へと、新たに意味づけされた‘情報’に転化した。)
問2
この場合、彼(前出のCMプランナー)にとっては、「考える人」は自分の手がけた仕事・作品のアイデアにすぎず、作品として批評・反省・回想することはあっても、「考え人」そのものについて鏡的利用が可能とは言い難い。しかし、このCMをみた受け手である視聴者が、何年後かに「あのCMに出ていた俳優が好きだった」、「あのCMに感化されて英会話を始めた友達がいた」などと、鏡的利用することは可能であると思われる。
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回答者:03-5058 大舘 沙織
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提出日時:2002.1.15
15:58:47
問1:「富士山の写真」は、その写真をとった人と見る人を媒介にして、その写真を撮った時点の富士山を伝えることができると思う。その写真一枚で、その時の富士山の天候・季節・おおよその時間など、多くの富士山に関する情報が伝わる。
問2:その写真を見ることによって、その時の自分の気持ちや、旅行で行ったとするならば、その旅行の思い出などを思い出すことができる。よって、可能である。
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回答者:03-5064 郡嶋 真夢
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提出日時:2002.1.15
15:32:25
問1
私は服装について考えてみました。服装は充分メディアになりえると思います。私たちは初対面の人に対して第一印象というものを持ちます。その中ではもちろん服装というものが大きな役割を果たしています。それがすべてではありませんが多かれ少なかれその人の雰囲気を表しています。さらに自分の服を選ぶときもそうです。そのときの気分が如実に現れていると思います。それを見た相手は服装から今日、この人はこんな用事があるんだろうかといった推測が可能となります。そういう意味でも服装は充分、メディアになりえると思います。
問2
鏡的利用はもちろん可能です。出来事とそのとき着ていた服には意外なほど強い結びつきがあります。服を見るたび、その時のことが思い出され、もちろん自分から思い出そうとすることもできるからです。
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回答者:03-8092 久富 博幸
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提出日時:2002.1.15
14:24:51
問1 富士山の写真は、写真を撮った人と写真を見る人を媒介しています。例えば富士山に登った時の感動、富士山が噴火したならばその状況を伝えることができるように、撮影者の思いを伝えることができると思います。同じ対象物を撮ったとしても撮影者の訴えたい内容は様々です。(富士山の美しさを伝えようと撮影しても、美しさを感じた富士山の部分は微妙に異なるはずです)
伝達目的は、撮影者の伝えたいメッセージ、思いを他者に表すことだと思います。それが写真を見る人にうまく伝わるかどうかはわかりません。見る人の解釈で様々に変わってくるでしょう。説明文、コメントを付け加えれば、ある程度撮影者の思いを伝達できるのではないでしょうか。
問2 撮影者と見る人が同一人物であるならば、アルバムを眺めるなどして、撮影した時の思いや情景を思い出すことができるので鏡的利用は可能だと思います。(撮影者と見る人が異なる場合は必ずしも鏡的利用は可能とはいえないのでは…)
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回答者:03-8521 松崎 一子
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提出日時:2002.1.15
15:38:20
問1
服装はその服装をしている人と、それを見る周りの人を媒介するメディアとなる。その場合、普通ならその人の好みや趣味、性格、個性などを伝えることになる。また、特殊な例で言うと葬式の場で、喪服という服装は、その服装をしてる人と亡くなった人、喪主や親族を媒介して、誠意や哀惜の念なんかを伝えるメディアとなるのではないか。
問2
服装がメディアとなる場合、鏡的利用は可能だと思う。自らが選んで決めて、何らかの服装をするので、もちろん、思考・感情を振り返ることもできる。
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