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1
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091809
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河上 祐香
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2000/07/28
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11:37:05
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課題1 問1 服装がメディアとなる場合を考える。 服装:例えば、制服は着ている人は、「ある組織に所属し ているんだ。」ということを周囲の人に伝達してい る。警察の制服を着ている場合には、きている人 と、その制服を見る人とを媒介して着ている人が警 察官であることを伝えている。 問2 服装は鏡的利用が可能かどうか吟味する。 服装が乱れていると(ボタンを掛け違えた等)、な にか心理的にも動揺していたんだと、振り返ること ができる。 よって、鏡的利用は可能である。
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2
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091809
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河上 祐香
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2000/09/09
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16:29:54
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課題2 問1 私は、松原さんの回答に共感します。服装がメディアとなる場合は、やはりその人の属している集団を伝えていると思う。 問2 特に訂正することはないが、私はボタンの掛け違いなどの乱れを礼にだしている。けれど、乱れていなくても、その服装自体を振り返り、そのときの自分の状況を振り返ることができる、と思った。
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091937
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日高 亜希
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2000/09/07
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20:25:27
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問1 ロダンの考える人がメディアとなる場合。ある人が友人に自分の状態を伝えるために、座っている写真と、考える人の写真を送ったとする。この時、2枚の写真と受信者の「この像は『考える人』だ」あるいは「考えている姿だ」という理解を媒介として、受信者は発信者が考えているのだ、しかもよーく考えているのだというメッセージを受け取ることができる。 問2 上記の人物が後日考える人の像なり写真なりを見た時、考え込んでいた自分を思い出せば鏡的利用は可能といえる。と思うが皆様のご意見求む。
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4
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091938
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深見 由紀
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2000/08/31
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9:41:10
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問1 「服装」がメディアとなる場合を考える。服装は他人に対してのメディアになり易い。もし自分(20代)がノーメイク、T-シャツ、短パン、サンダル、麦藁帽子で天神にショッピングに行ったとすると、すれ違う人々は「場違い」「変な人」「夏」などの情報をその服装から得る。もっとわかりやすい例で言うと、「コギャルファッション」と聞くとすぐに「10代の女の子」「短いスカート」「キャミソール」「厚底」「ラメメイク」など、いろいろな情報が引き出せる。 問2 服装は鏡的利用が可能である。特に色に対して鏡的利用がしやすい。自分が着ている服装を見直してみると、暗めの服ばかりを着ていると、普段無意識であっても「今はおとなしくしていたいのかな」と意識化することができる。逆に華やかで、丈の短いスカートなんかをはいていると「積極的に外に出ていこうと思ってるんだ」と考えることができる。
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5
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091938
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深見 由紀
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2000/09/12
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0:22:46
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課題2 問1 林さんの「服装」が発信者の所属する集団、気分、経済、個性を伝えるという回答に共感した。主に服装は発信者がどういう人間かを伝えることがわかった。そうなると、それ以外にも年齢、性別、人種、居住地域なども伝えることができるだろう。
問2 私の回答には「何と何を媒介し、何を伝えるか」という明確なものがなかった。これは皆さんの回答と同じように「発信者と受信者を媒介し、その人の職業や個性などを伝える」という回答になる。また、問1と問2の複合回答となるが、「服装」は受信者中心のメディアとなりやすく、受信者への影響も強い。例えば髪の色も服装の一部と考えると、50代の人が受け取る「金髪」と20代の人が受け取る「金髪」は全く違う。「金髪」を「金髪」とそのまま受け取ることはめったにないというのはどの世代でも同じだろうが、50代はそれを「チャラチャラしている若者」と受け取ることが多く、20代のほとんどは「かっこいい髪」「すてきな色」と受け取る。20代の私たちは、目上の人たちが多く集まる場所(会社など)にはスーツなどのかっちりした服装、同世代の人たちが集まる遊び場ではカジュアルな服装または流行の服装などで決める。これは無意識のうちに鏡的利用をしていて、自分の服装を見直すことによって、「相手に見せたい自分」をつくっているのである。
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092301
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井之 元
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2000/09/02
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2:27:06
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問1 服装について 服とは、本来寒さや暑さなどを防ぐために作られたものである。これは、人間が厳しい環境下で暮らしていく上での知恵である。しかし、現在では、そのような目的で服装を決めている人は、ほとんどいないだろう。特に若い人は、オシャレや趣味として服を選び着こなしている。そこには、その人のセンスや価値観、その時の気分などが十分に反映されているだろう。服の色などは、その時の気分がよく映し出されているだろう。白や赤や黄など明るい色は、気分が明るいときに着るし、逆に黒や青などの落ち着いた色は、比較的気分が暗いときに着がちである。まあ、その人の趣味で、気分が暗い時に、赤い服を着たりする人もいるだろう。しかし例えば、お葬式の事を考えてみよう。出席者はすべてと言っていいほど黒い服を着る。これは、日本だけでなく外国においてもそうである。このように服装の色というのはその人の気分、気持ちを大いに反映している。
問2 鏡的利用は、できると思う。服装で大胆な服装だといつもなら、できない事でもやれたり、無意識のうちに選んだ服装で自分がどんな気分なのかわかるだろう。
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092301
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井之 元
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2000/09/11
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11:03:01
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課題2 問1 自分は、服装の特に色について注目して意見を述べました。他の人の意見を読んでいると制服も又コミュニケーションの手段にもなると書いてありなるほどと思いました。警官の服装は、それだけで威圧感があり「何か悪い事をすると、すぐ捕まえるぞ!!!」と言っているようにおもえます。 問2 上記の意見に共感できる一方でこの意見や自分の意見にも疑問を覚えました。確かに服装は相手に色々な情報を与えますが、必ずしもその情報は、正しくないでしょう。なぜなら、人は、先入観や概念的なもので見てしまい、物事の本質を見誤ってしまうからです。警官の服装をしているからいい人だとか黒い喪服を来ているからこの人は今悲しんでいるんだとかは、一般的な事であってその人そのものを見ている訳ではない。
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101101
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浅山 大輔
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2000/09/10
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14:52:20
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課題1 問1 富士山の写真がメディアになる場合、写真を撮る人とその写真を見る人を媒介に、富士山の美しい景色や富士山を見た感動などを伝える事が出来る。しかし、家族で富士山に行きそこで撮った写真の場合は、富士山の美しさや雪が積もっているといった状況を伝えるとともに、家族でそこに行ったという思い出も伝えたいはずである。だが、その写真に家族が写っていなかったら、家族での思い出は伝わらない。さらに、富士山をしらなかったら発信者の意図はうまく伝わらない。このように、受信者の概念とその時の状況(例えば、この場合の家族での写真を見る時、旅行先で撮った写真と一緒に見せる、など)によって、大きく伝 わることもちがってくると考えられる。 問2 鏡的利用は、自らの思考・感情を振り返る過程であり、写真を見る事はそこでの思い出やその時の感情を思い起こさせる事が出来る。従って鏡的利用は可能である。
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9
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101101
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浅山 大輔
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2000/09/10
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15:32:29
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課題2 問1 私は、前回「富士山の写真」について意見を述べたが、「壊れたコップ」について書かれていた三小国佐藤さんの、地震が発信者だった場合の考え方にとても共感しました。また、いろいろな人の意見を見ると、発信者の意図がちゃんと受信者に伝わらないケースが多くみられ、一つのメディアだけではうまく伝わらない可能性があり、様々なメディアを通して情報をより正確に伝える事が出来るのだと感じました。またそこでは、今教育の場でいわれている自ら学び、自ら考える力が不可欠だと思いました。
問2 もうすこし色々な場面について考える事が出来ればよかった。富士山をまったく知らない外人の場合などの例も考えていければよかった。基本的には変える所はないが、もう少しわかりやすい文にできればよかった。
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101103
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石松 富士子
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2000/08/31
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11:27:14
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課題1 問1 服装がメディアとなる場合、ファッションショーのときには、デザイナーとショーを見る人とを媒介していることになる。このとき、伝達目的としては、デザイナーの作ったデザインそのものや、そのデザインを通してデザイナーの考えるテーマやイメージするもの、個性などがあげられる。
問2 鏡的利用は、服装の場合可能であると思われる。 人が着ているものや、ファッション雑誌などと見比べて自分の着ているものは流行に乗ったものなのか、その場、状況にふさわしいものなのか、など振り返ることができるものであるから、可能だと考えられる。
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11
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101103
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石松 富士子
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2000/09/11
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11:10:14
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課題2 問1 服装がメディアとなる場合の他の人の解答を見て、私が考えた「発信者の個性を伝える」ということ以外に、その人の所属や、感情も伝えることができることに気づかされた。私は受信者側のことを考えていなかったが、確かに、発信者側が伝えようとしたことと、受信者側の受け取り方とは必ずしも一致しないだろう。 もっといろいろな面から考えるべきだったと思う。
問2 私は、その時(今)の鏡的利用についてしか思い付かず、「思い出」として服装や、服そのものを通して、思考・感情を振り返ることができる、という解答を見て、そのとおりだなと思った。しかし、話題は少しそれるが、昔のことを振り返っても、その時の考えを正すことはできないのだから、ちょっと物足りない気もする・・・。
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12
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101104
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五十川 直美
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2000/09/08
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12:35:55
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課題1 問1 服装がメディアとなる場合、発信者(その服装を身につけている者)の服装と受信者(その服装を見た者)の概念を媒介として受信者の職業・好みやその時代の流行を伝えている。説明すると、Aがシャネルのバッグをもって歩いているのをBが見た場合、もしBがシャネルについて無知識であれば(シャネルという概念を持っていなければ)、8万円のバッグも2980円のバッグとして伝わってしまう。受信者がそのメディアの概念を持たなければ発信者の「私をリッチなおしゃれさんだと思って!」という伝達意図は全く伝わらないのである。私服については、発信者自身の意識的な伝達内容であるが、スーツ・作業服・制服などは、発信者自身以上に、彼らを管理する立場にある者が、管理上の便宜・受信者へ与える印象のため、その服装を身につけさせていることが多い。この場合、管理者の伝達意図が、発信者を媒介として受信者に伝わることになる。 問2 服装がメディアとなる場合、鏡的利用は可能だろう。問1で述べた発信者と受信者の関係を、過去の発信者と現在の発信者自身に置き換えてみる。当然、過去の自分の持っていた概念は、現在でも持ち合わせているにちがいない。よって、鏡的利用は発信者から受信者へ、という場合よりも、より正確に伝達意図が伝わるのである。同様に説明すると、Aが過去にシャネルのバッグを持ち歩いていたことを「あの頃はシャネルに凝ってたなー、彼氏にゴージャスな君が好きだ!なんて言われてたんだっけ」という、受信者が見ただけでは伝わらない想い出も振り返ることが出来る。
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101104
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五十川 直美
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2000/09/08
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13:49:12
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課題2 問1・問2共通 「何と何を媒介し、何を伝えていることになるか」という課題文の意味を取り違えていたようだ。私が課題1で述べた考え(服装がメディアとなる場合)は、「発信者と受信者を、発信者の身につけている服装と受信者のその服装に対する概念が媒介となって、発信者の意図を伝えている」ということなのだが、他の受講生の回答を見て、私の回答は、媒介されているものではなく、媒介となっているものについて述べてられていると気付いた。服装がメディアとなる場合の鏡的利用について、なぜ他の受講生は写真を見るのに、それを媒介として扱わないのかという疑問を感じたからだ。考えを訂正すると、課題文の「何と何」は、服装を身につけている人とそれを見た人である。
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14
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101105
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井上 仁美
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2000/08/31
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17:29:23
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課題1 問1 私は服装がメディアとなる場合を考えた。 この場合は服を着ている人とそれを見ている周りの人々とを媒介して、大まかに言えば、その人の個性が伝えられる。個性はあらゆる角度から捉えられる。その人と会話したことで初めて分かる個性の中には特にその人の声、言い方、癖などがあらわれると思う。その一方で服装がメディアとなり、その人の個性が初めてあらわれるのは例として、その人のイメージ、体型などではないだろうか。 また服装は時と場所に応じて選ぶものだから入学式、卒業式にはフォーマルな服を、スペースワールドやキャンプに行くときはカジュアルな服を着るべきだ。それを間違えたのであれば、周りの人たちはその人のセンスや考え方を疑うことは間違いない。
問2 服装がメディアとなる場合には、鏡的利用が可能であると思う。「鏡的利用」というその名のとおり、服を着た人は服を着るときほとんど鏡を見ているはず。それは自分を自分【発信者】がどのように人に自分がアピールしたいのかを知る手立てとしてとなる。 大人っぽく、またはかわいく見られるのか、そのために襟を出した方がいいのか、スカート・パンツにするのかなど、いろいろと自分の容姿がどう見られたいのか考えると思う。そう考えている時に、「自分は今からこの服を着て会おうとしている人にこういう風にみられたいなだなあ。」と、自分の中にもう一人、客観的に見つめる自分を発見することが出来る。 これは発信者の鏡的利用だ。 受信者も人の服装を見て「人の振り見て我が振りなおせ」 で自分の好みや考え方を発見できると思う。 これは受信者側のものである。 両者ともにとって鏡的利用は可能でありうる。
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15
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101105
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井上 仁美
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2000/09/05
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14:11:44
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課題2 問1 私は本村さんと吉澤さんの回答に同感である。 服装についてお二人は書かれていた。 鏡的利用が可能かどうかの課題に対する回答に 昔自分が着ていた服を見て当時の流行のファッションを 思い出すことが出来るという意見がその通りであると思った。鏡的利用は自らの思考・感情を振りかえることだから、思い出すこと自体が鏡的利用である。思い出すことの手がかりに服装がなっているとしたら、それは服装が思い出す人にとってメディアであり、鏡的利用が出来ているといえる。
問2 私も上記のお二人同様に服装のことについて書いたが 吉澤さんは「コギャル」の服装を例にしていて分かりやすかったが私は少し具体的な内容を書いていなかったので 分かりにくかったと思う。先生が授業中のおっしゃられていたピアスや髪の色についての例をあげてみれば良かったかと思った。また、思い出すという行為について鏡的利用の中でもっと述べることができればよかった。 よくテレビドラマで亡くなった親や祖父母の宝物入れや押し入れ、タンスの奥にあるものの中に若かりし頃に誰かからもらったラブレターらしき手紙や小物が発見され、話が始まるが、それを死ぬまで持っているということはその人にとっては思い出す手立てとなっておりメディアである。こんなことも書いておけば良かったかなぁと思う。
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16
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101109
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岡崎 春美
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2000/08/31
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11:22:55
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問1 「身振り手振り」
人が身振り手振りでコミュニケーションをとる場合というのは、言葉が通じない人(母国語が同じでない人など)と話をするときや、何かを伝えるとき、その感動や状況をより詳しく説明するときであると考える。 このような時、身振り手振りはコミュニケーション手段であり、メディアとなっている。人の表情や動作を媒介し、人の感情や、その時その時の表現したいことを伝えている。 身振り手振りというのはコミュニケーションにおいて、重要な位置にあると思う。例えば、海外に行って買い物をするときである。何が欲しいのか、その個数や色、形などを店員に説明するとき、現地の言葉で話すこともするだろうが、身振り手振りで伝えるほうが早くて確実だという場合も多い。 それから、魚釣りに行った場合、どのくらいの大きさの魚を釣ったのかを表現するとき、身振り手振りを交えて話したほうが現実味が増すだろう。 このように、身振り手振りというのは、人のコミュニケーション手段となり、より一層コミュニケーションを深いものとしていると思う。
問2
鏡的利用というのは、自らの思考・感情を振り返る過程であるので、その場合身振り手振りは有効ではないだろう。身振り手振りは、人に、今自分が考えていることを伝えるための手段であると考えるので、自分で自分のことを考えるとき、振り返るときには用いることはできないと思う。 つまり、身振り手振りの鏡的利用は不可能であると考える。
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101109
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岡崎 春美
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2000/09/11
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11:04:53
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課題2 問1 「身振り手振りがメディアとなる場合、言語や地域の違う人々とコミュニケーションをとるのは難しいのではないか。」という意見に違和感を感じた。確かに国によってジェスチャーの意味が違ったり、表現の仕方が日本と逆だったりする場合もあるだろう。だが、慣れない現地の言葉で話すより、身振り手振りのほうがうまく伝わる場合が多いのではないかと思うのだ。私は外国へ行ったとき、トマトスープを注文したのに、ポタージュスープがきた、という経験をしたことがある。あの時、メニューを見て、メニューにのっている文字や写真を指差しながら注文していれば、ちゃんとトマトスープを飲むことができたかもしれない。 上記のような考え方も分かるのだが、やはり、私は違和感を感じてしまう。うまく説明できないが…。
問2 課題1の回答で、私は「身振り手振りの鏡的利用は不可能である」と述べた。しかし、いろいろな人の意見を読んでいると、その考えが間違っていることに気づいた。 身振り手振りで自分の伝えたいことを表現している時、表現している人は、自分の感情や思考を振り返りながら表現していることになる。例えば、釣った魚の大きさを説明するとき、どのくらいの大きさだったか振り返っているわけである。よって、身振り手振りの鏡的利用は可能である。
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18
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101116
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佐藤 千恵
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2000/08/04
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16:59:39
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課題1 問1 私は「壊れたコップ」がメディアとなる場合を考えてみた。その時、メディアであるこの「壊れたコップ」は、普通に考えて、コップを割った人とその割れた(壊れた)コップを見た人を媒介している。問題は伝達内容である。コップを壊した人側、すなわち「コード依存・解読・発信者中心」に考えて、手が滑ってコップを落としてしまったとする。ところが壊れたコップを見た人が、必ずしもそのように受け止めるとは限らない。大抵の受信者は、それを聞いたりするまで「コンテキスト依存・解釈・受信者中心」で考えてしまう。この場合も、壊れたコップを見た人はそれを昨日旦那と大ゲンカしたな、と受け取るかもしれないのだ。しかし、コップを割った人と割れたコップを見た人とのつながりが曖昧になる場合もある。例えば、大地震が原因でコップが壊れたとする。そうした時「地震」を発信者と言えるのか問題である。 問2 鏡的利用とは、思考・感情を外に出すことで、自分の行動を客観的にモニターすることであると学んだ。そうであるとすれば、私が問1で例に挙げたようなことは、鏡的利用が可能であると言える。手が滑って落としてしまったコップを見て、自分でその場面を想起し、洗剤で滑ってしまったんだな、とか、もっと落ち着いて行動していれば、などといったように、冷静になって振り返ることができる。しかし、この鏡的利用は発信者がするものである、ということが前提となっているが、こういう場合はどうであろうか。「壊れたコップ」が人為的でなかった場合。例えば先ほど述べたように地震などで割れた時、発信者を「地震」であると言ってしまってよいものか。そしてこの場合、鏡的利用は可能なのか。私はやはり不可能であると考える。地震のその状況を知っている人はいるかもしれない。だが、それは「コンテキスト依存・解釈・受信者中心」の域を離れない。正しく伝わったというだけである。結局は鏡的利用は発信者のみが可能なものであるのだ。
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101116
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佐藤 千恵
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2000/09/07
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14:01:28
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問1 「壊れたコップ」をメディアとして考えている人のを見ると、「コンテキスト依存・解釈・受信者中心」と捉えている人が多かった。私は「発信者中心」を、コップを壊した理由を、手を滑らせて壊したんだと捉え、「受信者中心」を、この壊れたコップはけんかした時割ったんだろうな、というように捉えた。しかし他の人の意見を見て、発信者に何の意図もなくコップを壊した場合、それは「発信者中心」にはなり得ないと思うようになった。コップを壊そうとして壊すのでなく、何らかの理由で偶然壊れてしまった場合、それは人の手が加わろうとそうでなかろうと、「受信者中心」になってしまうのだ。
問2 問1で述べたように、発信者に何の意図もなくコップを壊してしまった場合、それは「受信者中心」であると思う。ただ、鏡的利用は発信者が思考・感情を外に出すことで振り返ることだが、意図がなく割った場合、思考・感情はそこにはないが、後で行動を振り返ることは可能であると思う。よくわからなくなってきた。???
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20
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101121
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須藤 佳世
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2000/08/31
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18:55:26
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課題1
問1 富士山の写真
どのような富士山の写真であれ、その写真を見せる人と見せられる人との間のコミュニケーションを支えるメディアとなり得ると思う。見せる人は、ただ見せるだけでなく話もするだろうが、その言語コミュニケーションだけでは不十分なことを、写真というメディアによって補い支えることができるという意図があると思う。言語コミュニケーションが行われるので見る人(送信者)と見せられる人(受信者)との相互関係も成り立つ。では、撮った人とその写真を見る人との媒体となる場合はどうだろうか。つまり、写真集など、本人同士が接することがないとすれば、それは見る人(受信者)と写真との関係のみで成立することとなる。その際も写真は、撮った人(発信者)から発信した情報(意思や感情)を伝えるものであり、本人の意図とは異なるものとなったとしても、見る人(受信者)にはきちんと受け取られているので、写真はメディアとなるだろう。
問2
見せる人と見せられる人との関係においては、見せる人(発信者)が自分の感情や思考を、伝える支えとなった写真(メディア)を通して鏡的に利用することは可能だと思う。問1の後半のような場合、中心となるのは受信者側だが、撮った人が自分の写真を見て、撮った時のことなどを思い出すためのメディアとなり得るので、この場合も鏡的利用は可能である。
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21
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101121
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須藤 佳世
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2000/09/07
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12:41:10
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課題2
問1
自分の選んだ「富士山の写真」について他の人の考えを見てみたが、写真を撮った人とその写真を見た人との媒体であるというところはほぼ一致していた。確かに写真を撮った人の意思なり感情なりを伝えることができる。ただし受信者中心となると思う。撮った人の思いがそのまま伝わらないこともあるはずである。しかし、それだけでなく出来上がった写真を見せようとする人と見せる人の関係も考えておくべきだと思う。見せようとする人(発信者)がいつも撮った人とは限らない。 問2の鏡的利用についてだが、鏡的利用というのは発信者がメディアを通して振り返るというものだと思うが、多くの人が受信者とメディアについて述べているように思う。写真を撮った人がそのときの様子を振り返るというのは鏡的利用となると思うが、見た人が自分の過去の経験を振り返るというのはどうだろうか。
問2 自分の考えを見直してみて思ったのは、写真を見せる人と見る人との関係において、写真を見せている時点でその写真は鏡的に利用されているのではないだろうかということである。人に見せるということは、自分の考え振り返ったうえで行う行為ではないだろうか。
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22
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101125
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中原 由紀
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2000/09/05
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9:47:05
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課題1 問1 私は、身振り手振りがメディアとなる場合を考える。身振り手振りは、発信者の身振り手振りと受信者の視覚を媒介として、発信者の思考や感情を伝えている。つまり、身振り手振りは、「コード依存・解読・発信者中心」のメディアとして、コミュニケーションにおいて大きな役割を果たすと思われる。 たとえば、言葉が出てこなかったり、話せなかったりするときでも、身振り手振りによって、コミュニケーションが可能になることもある。さらに、言葉が話せても、相手に伝えるのに不十分な時、身振り手振りによって、わかりやすく相手に伝えることもできる。具体的には、気に入った鞄があったとして、実物がないのにそれを誰かに伝えようとするとき、大きさや模様をあらわすのに身振り手振りがあったほうがよりわかりやすく正確に伝えることができるだろう。 よって、身振り手振りは、発信者が何かを伝えようとするとき、相手の視覚に訴えることにより、コミュニケーションを図ったり、いっそう深くしたりするものといえる。
問2 身振り手振りにおいては、鏡的利用が可能と思われる。身振り手振りという動作の一つ一つを自分で見直したり、相手の反応を見ながら振り返る場合、自分が伝えようとした思考や感情を客観的に見ることができる。よって、自分の意を身振り手振りで一度外に出すことにより、自分を客観視する点で鏡的利用が可能といえる。
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101125
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中原 由紀
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2000/09/05
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19:25:20
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課題2 問1 壊れたコップについて、「コード依存・解読・発信者中心」か「コンテキスト依存・解釈・受信者中心」かでコップに対する見解が異なるという意見には共感した。しかし、もしコップを割った人と壊れたコップを見る人が異なるなら、コップと受信者が媒介になるから後者になると思われる。 身振り手振りについての意見では、私は話がしにくいときに焦点を当てていたが、耳の聞こえない人とのコミュニケーションにおいて非常に有効になるという回答にはその通りだと思った。話のできないときや、耳の聞こえない人にとっては、視覚から入る情報がかなり多いからだ。それ以外には、身振り手振りについて、野球のサインのやり取りの例は分かりやすく、うなづけるものであった。 違和感を感じたのは、身振り手振りは人に自分の考えていることを伝えるための手段であるから、鏡的利用が不可能という意見についてだった。やはり、相手の反応を窺ったり、ビデオにとったものを見たりしたときは、自分の思考や感情を振り返ることになると思う。
問2 課題1の問2について、鏡的利用は発信者は相手の反応を見たりして自分を振り返ると述べた。さらに、見る側の受信者も相手の身振り手振りを見て、自分の行動や思考を見なおすことができるのではないかと思った。具体的には、相手が身振り手振りをしても何を伝えようとしているか分からないとき、自分も何かを伝えようとするとき相手に分かりやすく伝えているかを振り返るなどである。
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101126
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長瀬 陽子
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2000/08/25
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14:49:04
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課題1 問1 私は、五つの事柄の中から「壊れたコップ」について述べたい。メディアは意味付けられた情報を伝達したり表現したりするものである。この場合、壊れたコップは割れたものとすると、それがメディアとなる場合、コップを割った人と、割れたコップを見た人を媒介していることになる。コップを割った人にとって、壊れたコップは「コード依存・解読・発信者中心」のコミュニケーションであり、割れたコップを見た人にとっては、「コンテキスト依存・解釈・受信者中心」のコミュニケーションとなる。割れたコップを見た人にとって、「危ない」とか「触ると痛そうだ」という感じは伝わるが、それがどのような経緯で割れたのかということまでは、伝わらない。しかし、伝達型のコミュニケーションとしてメディアとしての働きを果たすと考える。
問2 「壊れたコップ」がメディアとなる場合、鏡的利用は可能だと言えると思う。鏡的利用とは、リフレクションであり、思考・感情を外に出し、振り返ることである。この場合、鏡的利用とは、割れたコップを見て、なぜどのようにして割れたのか、何が悪かったのかということを、客観的に振り返ることである。このように客観的に振り返ることができると思うので、鏡的利用は可能だと思う。
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25
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101126
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長瀬 陽子
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2000/09/07
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12:52:07
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課題2 問1 私が選んだ「壊れたコップ」を選んだ人は少なかったが、その中で101407番の方の意見に私は共感した。具体例が分かりやすく、またコップがメディアとなる場合コンテキスト依存のコミュニケーションで受信者中心だというところに共感した。ほかに、「服装」を選んだ人は非常に多かったが、101145番の方の回答も共感できた。コギャルの例が非常に分かりやすかったと思う。また問2の鏡的利用のところで、受信者の鏡的利用が可能だと書いている人がいたが、鏡的利用は発信者において可能なのではないかと思う。
問2 私の回答は具体例が乏しかったので、ここで具体例を挙げて述べたいと思う。カッとしやすい父親がいたとする。娘が父親に対し乱暴な言葉を使い、カッとなって台をひっくり返したとする。その時割れたコップは割った人と、割れたコップを見た人とを媒介する。この場合、「コンテキスト依存・解釈・受信者中心」のコミュニケーションをするので、割れたコップをただ見た人は、自由に割れた理由を考えることができるのである。つまり、台をひっくり返した為に割れたということが、そのまま伝わるわけではない。また、この場合の鏡的利用は可能である。父親は、割れたコップを後から見て、なぜカッとしてしまったのだろうと振り返ることができるからである。
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101129
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林 睦子
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2000/09/11
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10:14:20
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課題1 問1. 服装がメディアとなる場合を考える。 発信者(その服を着ている人)と受信者(その服を着た人を見ている人)を媒介して、発信者の所属する学校、社会、団体等、また、発信者のその日の気分、経済的のもの、発信者の個性などが伝達可能になる。 問2.昔の自分がどのような服装をしていたか、またその日の夜になぜその日の朝、その服装を選んだのかなどを振り返ることで、過去の自らの思考や感情を振り返ることができる。従って、鏡的利用は可能となると思う。 (9月2日までにアクセスしたのですが送信できませんでした。遅れてすみませんでした。)
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27
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101129
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林 睦子
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2000/09/11
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10:21:35
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課題2 問1.問2.私は、廣瀬さんの「服装はその人の人柄を表す」という意見と、「TPOに合った服装をすることが大切だ」という意見に共感しました。TPOに合った服装をすることは、その人の人柄を表すと思います。そのような社会的な常識を持っているかも、服装によって伝達されるのだと思いました。
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28
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101130
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廣瀬 綾子
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2000/09/11
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1:41:58
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課題1 問1 ある一人の人物ともう一人の人物が初めて会う時に彼らの着ている服装がメディアとなると思う。服装は着ている人の好み、人柄を多少は表す。そして、初めて会う時の服装というのは、その人がどんな人なのかと考える大きな要素となるため、相手に与える印象が大きくなるだろう。だから、初めて会う時や、結婚式、葬式などで、それに相応しい服装をするというのは服が着ている人の気持ちを表すから、重要となるのだろう。
問2 服装が、メディアとなる場合、鏡的利用は可能であると思う。例えば、公の席で、自分の着ている服装が、相手に不快な感じを与えなかっただろうかと振り返ることができるからである。
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29
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101130
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廣瀬 綾子
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2000/09/11
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2:05:46
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課題2 問1 私は、服装がその人の属する組織を伝えているという回答に共感した。服装というのは、着ている人の人柄や、好みを伝えるとしか思いつかなかったため、とてもこの回答には感心させられた。
問2 鏡的利用について、私は、自分の着ている服装が相手に不快な感じを与えなかっただろうかと振り返ることが可能としか書かなかったのだが、そのとき着ていた服というのは、自分の精神状態なども少なからず、表していると考えられるため、そういった自分の気持ちを振り返るといった意味で、このことを追加したい。
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30
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101132
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松原 裕代
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2000/09/07
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13:27:01
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課題1 問1 服装がメディアとなる場合、その服を着ている人と見る人が媒介となり、その服を着ている人の日常、どのような生活をしている集団に属しているかを伝えていると思う。私たちは職種、また、生活習慣のように社会的に属している集団により、服装が異なる。例えば、私たちが、制服を着ている人を見ると学生であると判断するし、派手めなメイクや服で着飾っている人をみると、極端かもしれないが、水商売系の人だろうなと考える。スーツを着ていれば堅く、働いている人に見える。しかし、同じスーツでも全身黒ずくめだったりすると、何かのいかがわしげな勧誘の人だと判断できる。なぜだろうと思うほどに、ある同じ集団、仲間に属している人たちの服装は同じ系統であるといえる。よって、私は服装でその人の属している集団がだいたいどのようなものであるかを伝えていると思う。これは受信者中心のコミュニケーションとしてとらえがちだが服により発信者側も主張している意志があるし、服により誤解されることもあるかもしれないということも認識しているだろう。 問2 可能であると思う。自分の過去の写真を見ていていて、顔からは何歳なのか判断が難しいが、その時の服、制服や服装の傾向、好みでいつごろだったのか分かるからだ。
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31
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101132
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松原 裕代
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2000/09/10
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13:58:43
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課題2
問1 岡崎さんの回答に共感した。「身振り手振り」についてだが、具体例が多く非常にわかりやすかった。人の表情や動作を媒介にし、人の感情やその時その時に表現したいことを伝えているという考えは、まさにその通りだと思った。身振り手振りによって、一層コミュニケーションを深いものにしている。
問2 私は服装が、その人の属している集団を伝えていると考えた。他の人の意見を見ても似たようなものがいくつかあった。しかし私の考え方はある意味、その服を着ている人の個性、というか、中身を全く考えてないものではないだろうか。服というのは第一印象になる。その人と深く付き合っていくにつれ、あまりたいした情報量ではなくなるだろうが、最初にその人を判断するにはとても重要な役割をもっていると思う。しかしそれはほとんど先入観になるだろう。だから私が考えた回答は受信者側中心の考えなのかもしれない。発信者側も、「私がこの集団に属していることを伝えて、仲間に知らせたい。」「似たような考え方、生活の人と知り合いたい。」と積極的に好んでその服装をしているのか、「本当はこんな服は好きじゃないけど・・・・。」と思いながらも、人からの自分の印象を、本当のひっこみじあんな自分と悟られたくない、明るい人、今時の子と思われたいから、という風に、無理して自分のイメージを操作しているのかもしれない。だから服装をメディアをして考えた場合、その人の表面的なことはとらえられるが、服装からその人の個性を伝えられる、と考えることは、ちょっと危険かもしれない。なぜかというと、本当の自分を分かってほしい、と積極的な考えの人はそれが服装に表されるだろうが、まだ服がメディアとし、その人の印象をこんなにも伝えてしまうということを思ってない人だったら、また、周りの流行になにも考えず(自分のポリシーみたいなものをもたず)流されてしまう人の個性は、服装にはあらわれないだろうからだ。要するに、服装にはその人の個性があらわれている、と考えそうだが、その個性はその人の本物の個性なのか、ということは疑問である。
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101135
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南 奈津子
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2000/08/31
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17:38:20
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課題1 問1 富士山の写真がメディアとなる場合を考える。富士山の写真は、それを撮った人とその写真を見る人を媒介する。発信者は日本一の富士山の美しさやそれを見たときの感動を表現し、そのときの状態・状況(雪化粧や湖面の反射など)を伝えようと思い写真を撮る。受信者は「富士山」を知っている場合において、その写真から得られる情報は多い。「日本一だ」「懐かしい」「日本の象徴」など、他の「山」なら考えない付加価値を感じ取ることができるだろう。さらに通ともなれば、どの時期、どの場所から写したものであるかも読み取ることが可能かもしれない。こうなると富士山の写真はメディアとしての役割を充分に果たしているといえる。しかし、富士山を知らなかったり、特別な感慨を持たない人(例えば外国人)の場合、富士山の写真はただの「山」の写真である。そこに「富士山」である必要性はなく、発信者の意図が伝達されたとは言い難い。ただ、最低限「山」「きれい」といった情報は読み取ることは可能であり、ある程度メディアとしての役割は果たしていると言えなくもない。
問2 前問の事柄の鏡的利用は可能である。写真に写った情景は、当時の思考や感情、状況(なぜそこに居たのか、どうして撮ったのか、何を伝えようとしたのか)といったものを思い出すのに役立つ。そしてそれを振り返るという行為により、客観的にまとめ直すことができるからである。
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101135
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南 奈津子
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2000/09/07
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13:45:51
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課題2 問1 他の「富士山の写真」についての解答を見たが、ほとんど納得できた。ただ、私は写真を見せて説明するという場合、それはすでに写真による媒介になっていないと考えていた。しかし、言語によるコミュニケーションの補助的役割としてのメディアだと述べられていたのには共感できたので考え直した。
問2 基本的に自分の意見は変わっていない。ただ、発信者の“意図”というものにこだわりすぎていたようである。
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34
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101136
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宮川 古都
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2000/09/03
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1:33:57
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課題1 問1)「富士山の写真」がメディアとなる場合を考えると その場合「富士山の写真」は写真を撮った人と、その写真を見た人とを媒介している。そして伝達の内容は、発信者によって違ってくるが、例えば富士山の姿(色、形など)をそっくり伝えようとするならば、それは高い技術があれば可能であるだろう。しかし富士山を見た時に抱いた感情を相手に伝えようとするならば、それは100%同じように伝えることは出来ないと言える。何か一つだけを媒介として自分の感情を相手に伝えることは不可能であるし、もし再現したいと思うならば、他に様々な媒介を必要とするからである。
問2)鏡的利用は可能であると思う。特に写真は過去のイメージを呼び戻すための視覚的材料となるし、保存性もあるので鏡的利用が行われやすいだろう。そして我々が写真を撮るということは、実はそこに目的があるようにも思う 。写真を専門とする人ならば、その出来、不出来を省みて次への課題へと繋いでいくだろうし、我々が富士山の写真を見直すことは、その時の景色だけでなく、それにまつわる感情、出来事、思い出などを振り返ることになる。そして、それらを過去のイメージとして持ち、そのイメージを基にしながら先へと進んでいくことが多いと思うからだ。
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35
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101136
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宮川 古都
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2000/09/11
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11:47:44
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課題2 問1)富士山の写真についての回答を見てみて、受信者の概念や、その時の状況、または写真を撮影した人との接触の有無によって、その伝達内容が大きく変わってくるという意見には共感できた。また写真のぶれによって、撮影者の健康状態などが伝達されるという意見は大変おもしろかった。しかし、富士山を日本の象徴だとか子どもの時の思い出などと少し固定観念を持ちすぎた回答をしている人も見られた。 問2)115004の方が「自分の感情を相手に100パーセント伝えることは不可能だ」という私の意見に違和感を持たれたようだが、私の表現が不足していたと思う。この方は「相手が誠意を持って理解しようとするなら100パーセントに近づけることは出来る」といった見解をされているが、確かに感情をそれに近いパーセントで伝えることは出来ると思うし、そういう意味も込めて回答したつもりだったが、それではもし、相手が精一杯の誠意を込めて理解しようとしてくれたとする。しかしそこに「富士山の写真」しか媒介物がなかったら、いくら頑張って理解しようとしても、それは受信者中心の捉え方だけで終わってしまい、完全な伝達は不可能である。そこに送信者(人間)による説明、言語、文章など様々な補助媒介物があって、やっと送信者の意図するものが伝わるのである。要するに、感情などといった物体として存在しないものを伝えるためには、ある一つの媒介物だけでは伝達不可能であるということを私は言いたかったのであるが、それが上手く表現できていなかったので、そこを反省したい。ちなみに、111026小島さんの回答はまさに私の言いたかったことを大変分かりやすい文章で述べられているので感動した。
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36
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101138
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本村 由紀子
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2000/08/04
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17:01:01
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課題1 問1 私は「服装」がメディアとなる場合を考えた。その場合「服装」は、その服を着ている人とそれを見る人を媒介していると思う。「服装」によって、例えば「コード依存・解読・発信者中心」で考えると、着ている人は、自分がどんなものが好きでどんなものを良しとしているか、また、どんなポリシーを持っているか・・等、自分というものを相手に伝えていることになると思う。しかし、「コンテキスト依存・解釈・受信者中心」で考えられると、必ずしも発信者の意図通りには伝わらないことが多い。その服装を見て、ばかっぽいなと思う人がいるかもしれないのだ。 問2 前問で選んだ「服装」がメディアとなる場合、鏡的利用は可能かどうか、吟味すると、私は可能であると思う。以前着ていた服を見ることで,発信者は、ああーこんな服をいいと思っていたんだなあとか、こんなポリシーを持っていたんだと、その時の自分の考えなどを思い出すであろう。「服装」によって振り返ることができる。故に、鏡的利用は可能だと思う。
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37
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101138
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本村 由紀子
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2000/09/07
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13:58:18
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課題2 問1 私は「服装」について、前回意見を述べたが、ほかの人の意見も私とほとんど同じで共感するところが多かった。私が思い付かなかったような例もあり、みんなよく考えたなあと感心した。 身振り手ぶりについて、鏡的利用はできないという意見があったけど、わたしはできると思った。まだ半信半疑ではあるけれど… 問2 自分の回答については、ほかの人の回答を見ても特に訂正するところはありません。ただ、私も具体例をあげていなかったので、もっと具体的に説明しておけば分かり易かったかな…と思った。
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38
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101138
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本村 由紀子
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2000/09/07
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14:00:33
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課題2 問1 私は「服装」について、前回意見を述べたが、ほかの人の意見も私とほとんど同じで共感するところが多かった。私が思い付かなかったような例もあり、みんなよく考えたなあと感心した。 身振り手ぶりについて、鏡的利用はできないという意見があったけど、わたしはできると思った。まだ半信半疑ではあるけれど… 問2 自分の回答については、ほかの人の回答を見ても特に訂正するところはありません。ただ、私も具体例をあげていなかったので、もっと具体的に説明しておけば分かり易かったかな…と思った。
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101143
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山下 恵美子
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2000/09/02
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19:48:58
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問1 身振り手振り 身振り手振り いわゆるジェスチャーは、言葉の通じない相手とのコミュニケーションにおいて、活用できる。多少の誤解が生じることもあるが、互いの意思疎通を行うことは可能である。例えば、海外旅行においてその国の言葉がわからなかったとき、買い物や道を聞くときなど身振り手振りにより自分の意思を相手に伝えることが十分できる。 また、耳が聞こえない人とでも(文字を使うほうが容易ではあるが)互いの動作によって意思を伝え合うことができる。実際に私は、ウェイトレスのバイトをしているときに耳の聞こえないお客さんに身振り手振りで「こちらからお好きなものをおひとつお取りください」と伝えたことがある。
問2 鏡的利用は可能であると思う。発信者は、そのときの自分の動作を自分で見て確認することがなかなか難しい。そのため、鏡的利用は一見不可能に思われるが相手に伝わらなかったときや他の人の表現の仕方を見て自分の表現を振り返ることができる。また、他の機会に似たような動作をしている人を見て、そのときのことを思い出し、過去の自分の動作や相手とのやりとりを振り返ることができる。
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40
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101143
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山下 恵美子
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2000/09/11
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11:11:42
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課題2 問1:他の受講生の回答を読んで、「服装」について書かれたものが多かったが、私自身課題1を回答する際に考えた意見と同じようなものが多く、どの意見にも共感した。その中で私が感銘を受けたのは五十川さんの意見である。 シャネルのバックの例は、とてもわかりやすかった。また、私が回答した「身振り手振り」の意見では、中原さんの回答がわかりやすく共感を受けた。言葉が出てこなかった場合などや相手の視覚に訴えてコミュニケーションをよりいっそう深めるということを私は思いつかなかった。また、課題2において、ジェスチャーが伝わらないということは、ジェスチャー(身振り手振り)がメディアになっていないという意見があったがこの場合、伝わらないというのは発信者の意図する考えが伝わらないということであり、受信者中心になっているということではないだろうか。 問2:自分の回答を見直してみて、多面的に考えることができてないなと思う。鏡的利用においても発信者側からしか考えておらず、受信者側からも考えるべきであったと思う。また、問1にも書いたように、言葉が通じる相手とのコミュニケーションにおいても考えることができた。「何と何を媒介して何を伝えているか」触れていなかった。(発信者の身振り手振りと受信者の視覚を媒介して発信者の感情や考えを伝える)
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41
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101145
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吉澤 恵利芳
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2000/08/29
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16:05:13
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課題1 問1服装がメディアとなる場合、服装は、その服装をしている人と、その服装を見ている人とを媒介して、その服装をしている自分の姿を伝えていることになる。例えば、コギャルが、ミニスカートに厚底サンダルを履いて、街を歩いていたとする。このコギャルは、ミニスカートと厚底サンダルにによって、自分の細くて長い足を強調し、自分をきれいに見せようとしている。ある人は、「スタイルいいなー。」と、見とれるかもしれない。しかし、「よくあんな格好できるな、みっともない。」と、不快に思う人や、「こけそうで、危ないな。」と、心配する人もいる。これは、発信者であるコギャルの「美しく見られたい」という意図が、受信者であるそれを見ている人には、伝わっていないことになる。したがって、発信者の伝達目的がそのまま受信者に伝わっているとは限らない。
問2服装がメディアになる場合、鏡的利用は可能であると思う。写真やビデオで、自分の姿を見ることや、実際に以前に着ていた服を見ることで、その時流行していたものや、自分の考えを振り返ることができるからである。
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42
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101145
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吉澤 恵利芳
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2000/09/10
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18:29:23
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課題2 問1私の選んだ服装がメディアになる場合の回答で、共感できたのは、発信者は服装によって、社会的に属している集団を伝えている、というものである。確かに、職業や学校を象徴する制服を着ていれば、自分がその集団に属していることが、見ている人には一目でわかる。したがって、受信者中心のコミュニケーションだと考えられるが、例えば、制服の丈を短くしたりすることで、個性を主張することも可能であるから、発信者中心のコミュニケーションともいえる。 問2私は、服装がメディアになる場合の鏡的利用について、写真やビデオで自分の姿を見ることによって可能であると、「後で見る。」という点から考えた。しかし、その日無意識に選んだ服から、色やデザインなどによって、その日心情(明るい色の服であれば、気分も明るい)を考えることができるということも付け加えたい。
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43
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101343
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横尾 美紀
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2000/09/06
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18:52:04
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課題1 問1 服装が、メディアとなる場合を考える。服装は、人と人の目を媒介として、その人の性格や職業、性別などを伝えている。もし、オレンジのTシャツにピンクのパンツを身に付けている人を見たら、その見た人は、その人を「派手な色が好きな人なんだ」と思うし、警察の格好をした人が急いで走っていくと、「何か事件が起こったのではないか」というように、服装はメディアとなっている。 問2 鏡的利用は、可能であると思う。服装は、今のその人の気持ちや状態、好み、流行などを表しているのである。そのため、どういう理由で、その服装をしていることが、分かるから、鏡的利用は可能であると思う。 課題2 問1 他の人の意見を見てみると、ほとんどの人が、「服装」を選んでおり、私と同じ意見だった。そのため、「服装」以外の意見が、非常におもしろく感じられた。 まず、113002の人の意見の「身振り手振り」がメディアとなる場合、耳の不自由な人たちとは声のかわりに、主に口の動きや表情、身振り手振りを使って会話をし、お互いの意志を伝えあっていることは、自分も、叔父などによく使っているメディアだと気付かされ、共感できました。 また、多くの意見が、鏡的利用を可能としており、そのものが存在する価値のようなものを知ることができた。 問2 上に書いたように、他のものが、メディアとなる場合を考える。「富士山の写真」を考えてみたいと思う。冬のある日の富士山からの写真を他の人に見せたとする。その写真には、雪や雲などが写っているため、その写真を見た人は、「高くて気持ちよさそうだ。」や「雪があって、寒そうだ」などと思うだろう。このときの伝達目的は、山に登った人が、富士山のすばらしさを伝えるためのものだといえる。 また、この時、この写真は、鏡的利用はできると思う。昔、富士山に登ったことのある人に、この写真を見せたら、あの頃を思い出させてくれるかもしれないからだ。この感情の振り返りこそ、鏡的なものである。
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44
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101407
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志和 明美
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2000/07/25
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18:33:50
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課題1 問1 「服装、身振り手振り、ロダンの『考える人』、富士山の写真、壊れたコップ」から1つを選び、それがメディアとなる場合を考える ・壊れたコップがメディアとなる場合を考える 壊れたコップがコップを壊した人や現象と壊れたコップを見た人とを媒介してコップが壊れたという事象を伝えている。また、壊れたコップを見た人が、壊れた原因を推測することにより、壊れた原因もその壊れたコップを通して伝えられる。 例えばテーブルの下に壊れたコップがあったとする。それを見た人はコップが壊れたという情報を得ると共に壊れた原因を想起する。もし、その時、窓が開いていたとすると、みた人は壊れたコップと関連づけて、強い風がふいた際にコップがテーブルから落ちて割れたのではないかと考える。この時壊れたコップは、強い風がふいたという現象、風によりコップが倒れテーブルの下に落ちたという現象、落ちた衝撃でコップが壊れたという現象というような様々な情報を伝えていることになる。 この壊れたコップがメディアとなる場合、コンテキスト依存型であり、壊れたコップを見た人すなわち受信者が中心となり、解釈をし、情報が伝達される。
問2 壊れたコップがメディアとなる場合、鏡的利用が可能かどうか吟味する 壊れたコップの鏡的利用は可能であると思う。 例えば、恋人との何か思い出のあるコップがあったとしよう。しかし、その恋人と喧嘩をした時、そのコップを割ったとする。この場合、壊れたコップを後で見た時にその時の怒りや苛立ちといった感情、またその時の状況も思い出すだろう。この時、自らの思考、感情を振り返る役割を壊れたコップがしているということになり鏡的利用をしていることになる。
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45
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101407
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志和 明美
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2000/09/06
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12:05:48
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課題2 問1 共感できる回答、違和感を感じる回答を選び、理由と共に記述せよ。 私の選んだ「壊れたコップ」での回答は、少なく「服装」での回答が多かった。多くの人が書いていたように、「服装」は、普段の生活においても、メディアの役割を果たしている。「服装」によって、その人の個性が映し出されている、とあったがその通りだと思う。 違和感を感じる回答は、「身振り手振り」での回答においての鏡的利用についての意見の中で、他の人に情報が伝わるので鏡的利用が可能である、といったような回答があった。しかし、ここでは、自らの思考や感情を振り返る役目をするかどうかを考えていかなければならないので、それは理由にはならないと思った。
問2 自分の回答を見直してみよ。 他の人の意見も自分と同じような物が多く、とくに意見は変わらなかった。
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46
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101425
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前田 ゆい
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2000/09/11
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14:42:59
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課題1 問1:富士山の写真について 富士山の写真はその写真を提出した人間とそれを受け取った人間の間で「この人は富士山に行ったであろう」ということを伝達する。ただしこれは富士山をどのようにとらえている人間かによって伝わる内容は変わってくると思う。提出するのも受け取るのも日本人であれば富士山=日本ととらえることも少ないが、外国人の多くは富士山を見て日本であると考える。そのため日本人がこれをメディアとするときと外国人がメディアにするときでは発信者側からの伝えたい内容も異なるがメディアとしては用いることができると思う。 問2:鏡的利用について 富士山の写真を見て登山のときの苦しかったことや美しい景色などの思い出を思い出すことができるので鏡的利用は可能である。
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47
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101425
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前田 ゆい
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2000/09/11
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15:15:09
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課題2 問1 どの意見もなるほど、と思えるものだった。そして服装をメディアにしている意見が多かったが私は服装をメディアにすることをまったく思い付かなかったので私は少しおかしいのだろうかと思ってしまった。確かに他人が着ている制服を見てその人がどのようなところに属しているかを知ったり、単なる服であっても着ている人の人格が垣間見られたりする。また身振り手振りをメディアにする場合にしても私はそれはその場限りのもので鏡的利用ができないのではないかと思ったが、再びそのときの身振り手振りをすることによってその時のことを振りかえることができる。人の意見を聞くことによって新しい着眼点が得られてよかった。 問2 特に変えようとは思わないが、ほかのものについても考えてみたら富士山をメディアにする考えがもっといいものになったような気がする。あまり問題の意味がよく分からなかったので当り障りのない意見になってしまった。
9月1日に課題1を送ろうとしたのですがエラーが出て送れませんでした。というわけで今日課題1,2を送ります。やはり、締め切り日になって慌てて送ってもだめということでしょうか?
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101430
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六車 幸二
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2000/09/02
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20:54:53
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課題1 問1 「服装」がメディアになる場合を考える。 服装はその人の意志・思考を形あるもの示すことができるので、服装は「その人」と「その服装を見ている人」を媒介することができる。服装はその人の個性へとつながる。服装にピアスやタトゥーも含めてファッションとして範囲を大きく考えると、何か社会への風刺にも捕らえることができる。ヤンキーやパンクといわれる人たちを見ると特に型にはまった社会を壊したいようにも私には見える。
問2 鏡的利用は可能である。 その人の服装を鏡や写真などで振り返ることができる。比較的現在に近い時間で振り返るとその意志・思想を再認識し、より強い意志・思考へと変えることができる。またその再認識によりその人の意志・思考が間違えであることに気づき新しい意志・思考へと変えることもできる。一方で比較的遠い時間で振り返るとそのとき、その時代の意志・思考を思い出すことができる。特に写真はその人の意志・思考を保存することができる。
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49
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101430
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六車 幸二
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2000/09/11
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11:37:17
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課題2 問1 「壊れたコップ」がメディアになる場合を考えることによって受信者は「コンテキスト依存・解釈・受信者中心」になってしまうことが分かった。例えば、コップを壊した人は偶然手が滑っただけかもしれないのに、その壊れたコップを見た人はケンカをしたときにぶつかって壊れたのかな、もしくはイライラしていてストレス発散のためにこわしたのかなと考えてしまうのである。 このように他の人の解答を見ることによって自分では考えつかなかったことを知ることができた。人によって考えていることが違うのだなと感じさせられた。
問2 他の人の解答を見た後に私の解答を見直してみると、概ね同じであることが分かった。さらに気づいたことは服装が鏡的利用になるとき、鏡や写真を見て自らの思考・感情を振り返るが、そのとき服装という思考の媒体を写真や鏡というさらにもうひとつの媒体によって振り返ること、すなわち媒体が2つ存在することが分かった。
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101432
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本村 真智子
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2000/09/07
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12:14:46
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課題1 問1 「服装」について 「服装」がメディアとなる場合、着ている人とそれを見る人を媒介として,その服装を着ている人の職業、性別、そのときの活動状況、感情などを伝えると考えられる。運動をするときには、Tシャツ、ズボンという服装をするだろうし、団体としてまとまりを見せるためには、制服を着る。このように、その人の服装を見ただけでも、色々な情報を引き出すことができる。 問2 鏡的利用は可能である。写真や映像を見て振り替えることにより、そのときの、時代や自分の感情を感じることができる。
課題2 問1 石松さんと井上さんの回答を見て、個性が反映される,という点に共感できた。服装は、その人の個性を伝えるもっとも分かりやすいメディアではないだろうか。しかし、最近では、流行に流されてしまい、その人の個性が反映されにくくなっているとも思う。 問2 その人の感情を伝える、という点について、服の色などの例をもっと挙げれば、より具体的に述べることができたと思う。
課題1の提出が、アクセスもメールもできなかったため、期限以内にできませんでした。遅くなってしまい、すみません。
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51
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101501
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東 衣利恵
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2000/09/07
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12:51:56
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課題1 問1服装がメディアとなる場合を考える 服装は、服を着ている人とそれを見た人を媒介して、その服装が表わしているものを伝える時メディアとなる。例えば、制服は、見ればその着ている人の学校、職業などがわかる。また、喪服を着ている人を見れば、誰かのお葬式に行ったのだということがわかるし、浴衣を着ている人を見れば、花火大会や祭りに行ったのだということがわかる。 また、私服はその人の個性が表れる。この場合は、制服などの場合とはちがって、発信者が伝えたいことと、受信者 がそこから感じたことに差がでてくると思う。 問2 服装がメディアとなる場合、鏡的利用は可能だと思う。その時に着ていた服装を見て、その時どういうものに興味があったかなど思い出すことができる。以前に自分が着ていた服装をみることによって、自分の考えや、その時の流行をふりかえることができるので、鏡的利用は可能である。
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52
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101501
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東 衣利恵
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2000/09/07
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12:53:26
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課題1 問1服装がメディアとなる場合を考える 服装は、服を着ている人とそれを見た人を媒介して、その服装が表わしているものを伝える時メディアとなる。例えば、制服は、見ればその着ている人の学校、職業などがわかる。また、喪服を着ている人を見れば、誰かのお葬式に行ったのだということがわかるし、浴衣を着ている人を見れば、花火大会や祭りに行ったのだということがわかる。 また、私服はその人の個性が表れる。この場合は、制服などの場合とはちがって、発信者が伝えたいことと、受信者 がそこから感じたことに差がでてくると思う。 問2 服装がメディアとなる場合、鏡的利用は可能だと思う。その時に着ていた服装を見て、その時どういうものに興味があったかなど思い出すことができる。以前に自分が着ていた服装をみることによって、自分の考えや、その時の流行をふりかえることができるので、鏡的利用は可能である。
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101501
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東 衣利恵
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2000/09/07
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12:57:51
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課題1 問1服装がメディアとなる場合を考える 服装は、服を着ている人とそれを見た人を媒介して、その服装が表わしているものを伝える時メディアとなる。例えば、制服は、見ればその着ている人の学校、職業などがわかる。また、喪服を着ている人を見れば、誰かのお葬式に行ったのだということがわかるし、浴衣を着ている人を見れば、花火大会や祭りに行ったのだということがわかる。 また、私服はその人の個性が表れる。この場合は、制服などの場合とはちがって、発信者が伝えたいことと、受信者 がそこから感じたことに差がでてくると思う。 問2 服装がメディアとなる場合、鏡的利用は可能だと思う。その時に着ていた服装を見て、その時どういうものに興味があったかなど思い出すことができる。以前に自分が着ていた服装をみることによって、自分の考えや、その時の流行をふりかえることができるので、鏡的利用は可能である。
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101501
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東 衣利恵
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2000/09/07
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13:17:35
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課題2 問1 服装について書いている人が多く、大体同じような意見であった。壊れたコップ、身振り手振りについての意見は納得できるものが多かった。その中で、112003の人の意見はとても面白く、共感できた。「壊れたコップ」というたった一言から、あんなふうにいろいろ考えてすごいと思った。 問2 他の、服装に感する意見を読んだが、大体同じ意見だった。しかし私は、あまり具体的に書いていなかったので、他の人の回答のほうが分かりやすかった。服装は、鏡的利用が可能という意見が多く、その理由もほとんど同じだった。
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101504
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小山 由里子
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2000/08/22
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12:40:22
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課題1 問1 身振り手振りがメディアとなる場合 夏休みといえば高校野球である。その高校野球の試合中において、監督からグラウンドの選手へのメッセージは、身振り手振りのサインによって送られる。そのとき、監督のサインと、(選手があらかじめ覚えていた)サインの意味を媒介して、試合に勝つための打法などを伝えていることになる。これにおける伝達目的は、選手たちに監督の考えや作戦を対戦相手に悟られないように伝え、選手たちがそれを理解し、より有利な試合運びをすることである。 問2 さてこの場合、鏡的利用が可能であるかどうか。 きっと選手や監督は自分たちが試合に出た日は夕方のニュースやテレビ番組「熱闘甲子園」をチェックするだろう。あるいは試合を録画したビデオをしっかり見て試合内容を反省するかもしれない。そこで監督はサインを出したときの自分の心理状態や思考を、選手は納得した上で実行したのか、もし自分が違う行動をとっていたらどうなっていたか、振り返るだろう。
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101504
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小山 由里子
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2000/09/11
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11:09:11
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課題2 問1 「身振り手振り」について述べている人は少なかったが、鏡的利用が可能か否かで意見が分かれているのが興味深い。私はやはり可能だと思う。また、111038の神宮さんの課題2の問2の説明には納得した。また、共感できたのは、多くの人が述べていた「実物がないものを、ほかの人に伝えること」である。こんな考え方もあるのだな、と思った。加えて「壊れたコップ」に関する記述が、想像力豊かなものがたくさんあり、おもしろくわかりやすかったため、共感できた。 問2 私の回答は具体的すぎたので、もっと理論的に書けばよかったと思ったが、わかりやすいと言って下さった方もいたので、ありがたく、このまま訂正せずにおきたい。
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57
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101505
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甲斐 美雪
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2000/09/07
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12:44:47
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課題1 問1選んだもの 服装 服装は、着ている人とそれを見た人を媒介していて、たとえば、赤い服を着ている人は、明るい雰囲気の人ととらえられたり、黒い服を着ている人を見て、落ち着いている感じがする人と思ったり、また、学校の制服を着ている人を学生だと判断したり、スーツを着ている人を会社員かもしれないと思うなどある程度見る人に世間的一般論によって、その人についての人柄や立場やどういう人なのかなどのいくつかの特徴を一方的に決められて伝えることができます。よって、これは、「コード依存・解読・発信者中心」のコミュニケーションによって確実に伝わることができるメディアであると考えられます。 問2 服装は鏡的利用は可能だと思います。例えば、制服の例で言うと、その制服を着ている人に会ったときは、単に制服を着ているから学生だとしか思わなくても、後でその制服がどこの学校の制服かを知ったときその学校のイメージと重ねてその人を見るなど振り返ることができるからです。
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58
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101505
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甲斐 美雪
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2000/09/07
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13:17:29
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課題2 問1 私は、101145さんの回答に共感できると思いました。もし服装で人を判断するにしてもみんながみんな同じように解釈するわけではなく、人それぞれ違った思いでその人を見ることも十分にありえると思いました。 問2 自分の回答を見直して他の人の回答も読んだ結果、客観的に見て明らかに分かることと、人によって感じ方が違うことの2通りあるのではないかと思いました。例えば、明らかに分かることとは、制服を見ることによって学生と予想することなどその人の立場を判断することで、人によって感じ方が違うものとは、例えば、コギャルを見て私だったら、みっともないと思うけれどそれを好んでかわいいと思っている人もいることなど個人の感性に関わることだと思います。
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101511
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能美 詠子
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2000/09/09
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23:34:46
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課題1 問1「身振り手振り」 言葉の通じない相手から相手へと、まず動作から相手の目を通しその人の考えや思いを伝える。私が今までこれを利用して助かったのは海外旅行に行った時だ。言葉が通じない人との会話は、緊張してうまく話せなかったりする。また急で紙もペンもないとき、言葉に自信がないときなどは身振り手振りはとても役に立つと思う。また言葉の通じる相手とも言葉だけでなくより自分の意思を表現するために便利だと思う。 問2 鏡的利用はちょっと難しいと思うができないことではないと思う。自分の動作を後に振り返って考えることはできる。でもほんの少しの動作ならいいが正確に自分の動作を後になって振り返るのは難しいかなと思った。
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60
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101511
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能美 詠子
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2000/09/10
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0:33:57
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課題2 問1私は「身振り手振り」について書いて、「服装」について書かれてあるのが多かったが、どれも納得できるものが多かった。「身振り手振り」については101125の方や101504の方、113002の方の回答が共感できた。野球のサインについてや、耳の聞こえない人についてなど、そういう場合もあるなぁと思い浮かばなかった私は納得した。また、111114の方はこの課題に沿った的確な答え方をしてるなと思った。違和感を感ずる回答は身振り手振りが鏡的利用が不可能と述べている方が何人かいらっしゃったが、私は全く不可能ではないと思った。 問2自分の回答は特に変えようとは思わないが、みなさんの回答を見て、自分の回答はわかりにくいと思った。また、いろいろな考えを見て、狭い範囲でしか考えてなかったなと思った。
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101515
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前川 友美
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2000/08/22
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11:36:15
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課題1 問1 服装がメディアとなる場合 制服は、その種類によって着ている人の通っている学校や職業が周りの人に伝わる。学校の制服は、着る生徒側からは校則を守るかどうかなどの点で自己表現にもなり得る し、生徒を見る周りの人からすれば、その学校の校風を判断する基準になったりする。職場の制服は、着て働くことによってお客さんにそこの職員・店員だと示している。 また、私服は選んだ服を媒介として、着る人は周りの人に、どう見られたいか(大人っぽく・女らしく)などの目的をもって自分の好みや個性、身だしなみへの関心そのものを示すことができるし、周りの人も服装によって着る人のイメージをつくってしまったりする。こういう場合に服装はメディアとなると思う。
問2 写真などで自分の過去をみる時、当時のことを「あの時はこういう状況だったからこんな服が多いな。」などとその頃の自分を振り返ることができるので、鏡的利用は可能だと思う。
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101515
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前川 友美
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2000/09/11
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12:02:37
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課題2 問1 私は服装がメディアになる場合について考えた。他 の受講生の回答を読むと納得できるものが多かった 。鏡的利用については、ほとんどの人が可能として いた。共感できた回答はたくさなったが、なかでも 101145の吉澤さんの回答はわかりやすかっ た。コギャルの例は、実生活に照らし合わせて考え やすかったし、発信者の伝達目的がそのまま受信者 に伝わるとは限らないということには、なるほどと 思った。 問2 私は、制服や私服など、いろいろな服装についてば らばらに述べていて少しわかりにくい回答だったの で、もっと具体例を示すとよかったと思う。
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101907
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石走 千尋
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2000/09/02
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20:49:19
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課題1 問1 第一印象とは、その人に初めて対面したときにうける印象であるが、この場合、人はとかくその人の外見から判断する。そして、その際大きなポイントとなるのは他ならぬ“服装”であり、この傾向を媒介して交わされる意志伝達が、服装がメディアとなる場合であると考える。 自分はこういう人であると、相手にアピールするために服装を選び、意志通りに相手に伝えることができるならば、それは発信者中心型のメディアということができる。例えば、面接会場にスーツで行くことは、自分が一般的な道理をわきまえていて、目上の人に対する敬意を示そうとしていることの表われとなりうる。 問2 服装はその時の自分の考え方を知る手がかりとすることができる。何年か後に当時の自分が着ていた服を見つけたときあまりの奇抜な格好に驚くことがあるかもしれないが、それと同時にその頃の自分が抱いていたイメージを思い出すことができる。そのような一連の作用を考えるならば「メディアとしての服装」の「鏡的利用」は可能であると考える。
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101907
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石走 千尋
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2000/09/11
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16:43:00
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課題2 問1 共感できる回答、あるいは、違和感を感ずる回答を得選び、理由とともに記述せよ。 私は「服装」がメディアとなる場合を考察したので、他の受講生の回答はそれ以外のものを中心に読んでみた。 共感できる回答の中に「壊れたコップ」がメディアとなる場合のことについて書かれていたものがある。壊れているコップをみて、ただ単に“壊れている”という事実を伝えられるにとどまらず、なぜ、そのコップは壊れているのかその原因までも受信者は推測する。そうであるなら、この場合、壊れたコップは実に多くの事象を受信者に伝えることになる。というのがその人の意見であったが確かにその通りであると思う。そして、この一連の様子は確かにコンテキスト依存型のメディアである。 「壊れたコップ」がはたしてメディアになるのか一見、疑問に感じたがそのように考えてみるならば確かに立派なメディアが成り立つ。 違和感を感じる回答はとくにありませんでした。 問2 自分の回答を見直してみよ。 他の受講生のみなさんも「服装」をメディアとして捉えていたものが多かったようです。いくつか読ませていただきましたが、だいたい私が感じたところと同じような内容でした。自分の回答と照らし合わせてみましたがとくに訂正するところはなかったように思います。
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101919
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寺田 直美
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2000/09/11
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14:00:47
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課題1についてはメールにて回答させていただきました。 課題2 問1 課題1において私は服装を選んだが、多くの回答に共感した。特に、就職活動にはスーツを着るという回答には確かにそうだと思った。服装がメディアとなる場合に就職活動のことを考えるというのは現在の自分たちにとっても身近なことでわかりやすかった。本当にTシャツにGパンで就職活動にいく人はいないし、その意味においてもやはり、服装はメディアになりうると思われた。 問2 自分の回答について以下のことを付け加える。服装がメディアとなる時の理由として例えば、教育実習にTシャツにGパンなどで行けばすぐにおい返されるということがある。それは、社会人としての心構えがその服装からは相手に受け取られず、子供をその人に預けられないと判断されるからである。このことから、服装はメディアになりうると思われる。また、中学校の制服にしても制服を着ることで生徒に自分はこの学校に所属しているという意識をもたせると共に、その制服が周囲の人に自分がどこの中学校の生徒であるかということを示すことにもなる。このことからも、服装はメディアとなりうると思われる。
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66
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101923
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中野 由紀子
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2000/08/22
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11:56:42
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課題1 問1 服装がメディアとなる場合 人は大抵何をするにもそれなりの服装を選び生活しているといえよう。服装の選ぶ基準の1つとしては、自分が周囲の人にどのように見られたいかがある。家の中で一人でいるときの服装と就職活動の服装は明らかに違う。面接の場面でスーツを着ることは、相手に自分のやる気などの気持ちを伝えることを助ける。また、自分自身もスーツを着ている自分を見ることで、気持ちが引き締まったり、自信が持てたりもするのではないか。 このことは、職業別の服装でも見られる。料理人が目の覚めるような真っ白な服を着ているのは、「うちの料理は清潔な様子で作ってますよ」という気持ちの表れであろうし、また警官の服装をすることで「私はみなさんを守る仕事をしています」とごく自然にアピールすることができているように思われる。
問2 服装がメディアとなる場合、鏡的利用は可能である。問い1であげた警官の服装に対しては相手の態度ですぐに返ってくる。例えば「ルール違反は取り締まりますよ」という制服による意図が、スピード違反をしている人の気持ちを揺らがせ、スピードを落とす。また、引退した料理人が久しぶりに真っ白な服を着たとする。その瞬間、お客さまのために料理を作っていた自分に再会するのではないだろうか。このように服装には必ず何らかの思いが含まれていて、その服や写真に写った自分を見ることによって、思い出されるのである。
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101923
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中野 由紀子
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2000/09/11
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14:05:14
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課題2 問1 私は服装がメディアになる場合を考えたが、服装についての他の人の意見にはだいたい共感できた。特に、着ている発信者からの意図が、相手に誤って伝わることがあることに、なるほどなと思った。また、身振り手振りについての意見が非常に面白かった。言語を使って話していても、身振り手振りを使ってしまうという事実を思い出し、感心した。
問2 私の意見は服装が常に発信者の意図を伝えてくれると考えていたが、たまには誤って伝わることがあることを忘れてはならないと思った。
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101933
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平岡 明子
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2000/08/29
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14:03:25
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課題1 問1 「服装」 服装は、着用している人が意識的にその服装をしていようと無意識的にそうしていようとメディアとなる。着用しているものの色、形、柄、材質等を媒介とする。また、その服装が社会でどのような意味をもつかということも密接に関わってくる。同一人物が似たようなデザインの高校の制服を2種類着たとしても、それぞれの高校が社会的にどのような評価を受けているかによって、この人物の印象も違ってみえてくるだろう。 例えば派手な花柄のワンピースがあるとしよう。このワンピースは何を伝えることができるのだろうか。この花柄のワンピースを着ている女の人は意識的にであれ無意識的にであれ自分の美しさ、女らしさを伝えようとしているのかもしれない。服装をメディアとすることで、言語によるコミュニケーションのみに頼らずに相手の意識的、無意識的な主張をよく知り、より円滑なコミュニケーションをとることができる。これが伝達目的であると考えられる。しかし、ワンピースを着た女性の意図とは関係なく、周囲の人からは、この人の言葉づかい、しぐさ等によって気品がある美しい女性にも派手で下品な女性にも受け取られるだろう。また、このとき受信者側の暗黙のパーソナリティ論、すなわちそれぞれの人がもっている自己流の人格理論というものも関わってくる。そのため、発信者の伝えようとしていることがそのまま受信者に伝えられているとは限らない。 問2 服装がメディアとなる場合、鏡的利用は可能である。 華やかな服装で、美しい自分を保つために努力してその努力が実っていることを振り返ったり、また派手すぎる服装をした自分を鏡で見たことをきっかけに自分に金遣いの荒さや生活の乱れを反省したりすることが考えられる。
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101933
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平岡 明子
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2000/09/11
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13:47:36
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課題2 問1 問2の鏡的利用の例として「ボタンのかけ違いなど他人が指摘してくれる」というものに違和感を感じた。これは自らの思考・感情を振り返っているということがうまく表現されていないように思った。
問2 問1のように思い、自分の回答を見たところ、自分の回答もおかしい…と思えてきた。ということで、以下、再度課題1の問2に対する回答を載せたい。 服装がメディアとなる場合、鏡的利用は可能である。自分のジャージ姿をみて、「私はこれからクラスマッチでがんばるんだ」と、意欲を確認する場合などが例として挙げられる。
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70
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102007
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戸高 いずみ
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2000/09/11
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11:24:23
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課題1 問1 身振り手振りがメディアとなる場合 例えば、耳が聞こえない人や、言葉が通じない人 とコミュニケーションをとる場合、身振り手振りによ り話す側と聞く側を媒介して、その人の考えや、気持 ちなどを伝えていると思う。また、スポーツの場面に おいても歓声や応援の声により指示が伝わらないとき などは(監督と選手の間のコミュニケーションが 確立されているとすると)身振り手振りにより相 手に伝わると思う。
問2 鏡的利用は可能だと思う。自分の考えや気持ちが 十分に伝わっているのかどうかを振り返ることができ ると思う。また、相手のしぐさ、選手の動きにより、 意志が伝わったかを確認することができると思う。
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71
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102007
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戸高 いずみ
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2000/09/11
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11:44:46
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課題2
問1 服装がメディアとなる場合の回答には、共感した。 服は、着る側と見る側を媒介して、どんな服を着てい るかによって、その人がどんな職業についているか、 学生か、警察かなどいろいろなことを伝えていると 思う。また、鏡的利用も可能だと思う。
問2 自分の回答は、変わりません。 ただ、身振り手振りのことで、メディアとなるのか どうか、と書いている人がいたので気になったし、 どうなのか不思議です。
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72
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102012
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三藤 香織
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2000/09/10
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22:03:59
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問1 「服装」については共感できるものが多かった。 服は着ている人の個性をあらわしていると私も 思う。 そして私はそこまで考えが至らなかったのだが、 服はその服をデザインしたデザイナーのテーマや 主張を表しているというのもその通りだと思った。
問2 「服装」について。 その服を着ている人と周囲の人とを媒介としているとき は「服」は着ている人の好みや性格そしてその人が どういう立場にいるひとか(学生服をきていれば 学生であるとか作業着をきていれば現場で作業ををして いる人など)などを伝えている。 その洋服をデザインした人とそれを着る人、見る人とを 媒介としているとき 「服」はデザイナーの考えや表現したいこと、テーマ を伝えていると思う。
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73
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103401
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中野 麻衣
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2000/08/28
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11:53:05
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課題1 問1 私は身振り手振りがメディアになる場合を考えたい。例えば、ジェスチャーゲームをするとする。答えがたぬきのジェスチャーをするとすると、ジェスチャーをする人は解答者にたぬきの真似(例えばおなかをたたいたり)をしてみせる。この場合、ジェスチャーする人が「コード依存・解読・発信者中心」のコミュニケーションをする人であり、そのジェスチャーを見て解答する解答者が「コンテキスト依存・解釈・受信者中心」のコミュニケーションをする人、そして“たぬき”という解答は伝えたい情報である。これは、ゲームなので自分のチームの解答ができるだけ多く正解していればよい。しかし、ジェスチャーする人がいくら“たぬき”の真似をしていたとしても、解答者はそれを“たぬき”と理解せずに“きつね”と理解するかもしれない。これは、ジェスチャーする人が“たぬき”という情報を「コード依存・解読・発信者中心」で伝えており、解答者はその身振り手振りを見て“きつね”という情報を「コンテキスト依存・解釈・受信者中心」で考えてしまう典型的な例である。よって、身振り手振りはメディアになりうると思う。
問2 問1で述べた“たぬき”という情報はその行動を真似することによりジェスチャーする人は“たぬき”というものを再認識できる。よって、身振り手振りは鏡的利用は可能であると思う。
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74
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103401
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中野 麻衣
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2000/09/11
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11:02:00
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課題2 問1 私は小山さんと高橋さんの意見に共感した。私と同じ「身振り手振り」がメディアとなる場合を考えているが、小山さんの例がとてもわかりやすかった。私の例は中途半端に抽象的でわかりにくかったように思う。しかし、鏡的利用が可能かどうかで、ビデオカメラを使った場合それを見ることによって振り返ることができるとあるが、それはビデオがメディアとなる場合ではないのかと思った。 高橋さんの話もとても共感できました。耳の聞こえない方には視覚をはさんで、身振り手振りが重要なメディアである。この身振り手振りを発展させたものが手話であり、耳の聞こえない人には人と人との重要なコミュニケーションの手段である。ほかに、ウェイトレスをしていた人で、耳の聞こえないお客さんに身振り手振りでメニューをすすめたという話があったが、身振り手振りが手話のわからない人と耳の聞こえない人との重要な掛け橋であることがよくわかった。 問2 以上のことより身振り手振りがとても重要なメディアであることがよくわかった。私の回答はとてもわかりにくいものであった。身振り手振りは耳の聞こえない人にとって、手話のわからない人とのコミュニケーションである。手話のわからない人は発信者となり、その身振り手振りを見る耳の聞こえない人は受信者となる。この場合、視覚が媒介となる。これは、身振り手振りが重要なメディアになりうるといえる。 また、鏡的利用は可能かというと、身振り手振りの場合はなかなか難しいと思う。壊れたコップや服装や富士山の写真の場合だと後でそのものを見ることで鏡的利用は可能であるが、身振り手振りは問1で言ったように、ビデオカメラなどの他のメディアを使うことでしかそのものを振り返ることはできない。しかし、その人(発信者)の記憶でならば振り返ることはできる。だが、記憶とは曖昧なものである。だから、私は記憶という曖昧なものも含めてもよいのならば鏡的利用は可能であると考える。
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75
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103401
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中野 麻衣
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2000/09/11
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11:15:04
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課題2 問1 私は小山さんと高橋さんの意見に共感した。私と同じ「身振り手振り」がメディアとなる場合を考えているが、小山さんの例がとてもわかりやすかった。私の例は中途半端に抽象的でわかりにくかったように思う。しかし、鏡的利用が可能かどうかで、ビデオカメラを使った場合それを見ることによって振り返ることができるとあるが、それはビデオがメディアとなる場合ではないのかと思った。 高橋さんの話もとても共感できました。耳の聞こえない方には視覚をはさんで、身振り手振りが重要なメディアである。この身振り手振りを発展させたものが手話であり、耳の聞こえない人には人と人との重要なコミュニケーションの手段である。ほかに、ウェイトレスをしていた人で、耳の聞こえないお客さんに身振り手振りでメニューをすすめたという話があったが、身振り手振りが手話のわからない人と耳の聞こえない人との重要な掛け橋であることがよくわかった。 問2 以上のことより身振り手振りがとても重要なメディアであることがよくわかった。私の回答はとてもわかりにくいものであった。身振り手振りは耳の聞こえない人にとって、手話のわからない人とのコミュニケーションである。手話のわからない人は発信者となり、その身振り手振りを見る耳の聞こえない人は受信者となる。この場合、視覚が媒介となる。これは、身振り手振りが重要なメディアになりうるといえる。 また、鏡的利用は可能かというと、身振り手振りの場合はなかなか難しいと思う。壊れたコップや服装や富士山の写真の場合だと後でそのものを見ることで鏡的利用は可能であるが、身振り手振りは問1で言ったように、ビデオカメラなどの他のメディアを使うことでしかそのものを振り返ることはできない。しかし、その人(発信者)の記憶でならば振り返ることはできる。だが、記憶とは曖昧なものである。だから、私は記憶という曖昧なものも含めてもよいのならば鏡的利用は可能であると考える。
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105005
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大下 裕己
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2000/08/22
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1:04:42
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課題1 問1 服装について 我々が、日常、人々と接する際に、相手の人がどのような人であるかを判断する場合に、その人がどのような服装をしているのか、という事は判断材料の一つとして用いられるはずである。 我々は、その人の服装から、例えばその人が警察官の服装 をしていればその人を警察官と判断するであろうし、その人が学生服を着ているのであれば、その人を学生と判断 するであろう。又、その人が男の人であるか女の人であるか、また、公人であるか私人であるかなど、我々は、その 人の服装から、その人に関する様々な情報を受取り、分析 しているのだ。そういった意味では服装は、その服装をしている人と、それを周囲で見ている人の間で、その服装を している人についての情報を伝達する際に物理的に支えて いるといえるであろう。しかしながら、先に述べたとうり 、服装はその人を判断する際の一つの材料にすぎず、実際 には我々は、その人をどのような人であるかを判断する時 には、その時と場所や、相手の表情など、様々な要素から 判断するのであり、服装は必ずしも、全ての人にとって一様に解釈される訳ではない。先に、述べた、警官や、学生 の例では、そういった服装をしている人に対する解釈は、 ほぼ一通りであろうが、このような例は少ないのであろう。例えば、病院ではない場所で、白衣を着ている人を見かけた場合、その人を医者であると必ず全ての人が理解可能ではないだろう。そういった意味では服装は「コード 依存・解読・発信者中心」コミュニケーションとして用いられることは少なく、多くは「コンテキスト依存・解釈・ 受信者中心」コミュニケーションとして用いられるはずで ある。ともあれ、服装は、その人が、今どのような立場で、あるいは目的でその場に存在するのかについて、人と 人との間で伝達する際の物理的後ろ楯となっていることは 確かであり、メデイアであると言える。
課題1 問2 結論からいえば、可能である。理由としては、例えば 私が就職の面接に行った際、自分では、その場にふさわしいと思われる服装をして行ったにもかかわらず、服装について何らかの注意を受けたとする。 そうした場合、これは、自らの意思・思考に基づいて行った行為が結果としてエラーになったことになる。そして、 私は、服装をとうして自らの思考や行為について、何が 問題であったのか再度考え直すことになる。これは、まさにメデイアの鏡的利用の例の一つであるといえる。 よって服装の鏡的利用は可能である。
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105005
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大下 裕己
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2000/09/10
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1:08:02
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課題2 問1 服装について意見を述べている人の回答の多くは、 ほぼ共感できるものが多かった。中でも115036の 山村さんの意見には共感できた。服装がメデイアとなる その理由については、多くの人が似たような意見を持って いたが、さらにその服装が、例えば制服の場合には 「コード依存・解読・発信者中心」型になり、私服の 場合には「コンテキスト依存・解釈・受信者中心」型に なるというところまで山村さんは触れており、それが 特に共感できる理由である。逆に112316の山名 さんの「服装を整えることが「発信者中心」コミュニケー ションで、その服を着た人を見た人は「受信者中心」の コミュニケーションだ。」という意見には違和感を感じた。 「受信者中心」となるか「発信者中心」となるか、というのはやはり服装の種類によって左右されやすいのではないか、というのが私の意見である。又、116009の柴田さんのステージ衣装が歌の内容や雰囲気を伝える一つのメデイアであるという意見には、わたしの意見にはない発想があり新鮮さを感じた。 次に鏡的利用についてであるがこれもほぼ共感できるものが多かった。だが前述した柴田さんの鏡的利用についての 意見には、鏡的利用という言葉の意味を誤解していると思われるところがあり違和感を感じた。 問2 私の回答は基本的には変わらない。多くの人が指摘した とうり服装が発信者の意図を受信者にかならずしも正確に 伝えられないとしても、やはり服装は一つのメデイアであるといえる。なぜなら、さきに述べたような情報の伝達の 齟齬というのはどのような種類のメデイアにおいてもおこおりうるからである。又、鏡的利用についてもやはり意見は変わらない。
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105414
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花田 直子
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2000/08/23
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16:38:05
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福岡教育大学 3数理情報 105414 花田 直子
課題1 問1 私は、富士山の写真がメディアとなる場合を考える。この場合、発信者となるのは富士山の写真を撮った人(あるいはその写真を選び取った人)である。そしてもちろん、受信者はその写真を鑑賞する人である。つまり、写真を撮った人と写真を見る人とを媒介するのが、富士山の写真となっているわけである。では発信者の伝達目的はいったいなんなのであろうか。おそらく発信者はその時見た富士山に対する感動・思いを伝えることを伝達目的としたにちがいない。もっと具体的に考えてみると、 「日本一の富士山とはこういうものです」 「富士山は美しい」 「ここは静岡(山梨)です」 などということを伝えようとしたに違いない。そして、発信者は伝えることで富士山に対する感情の整理をしたのであろう。 ここで、まとめてみると、富士山の写真は発信者のメッセージをビジュアルとして受け止め、また受信者に発信するという物理的支えの役割を持っているということがわかった。 問2 鏡的利用は可能である。というのも、まず問1でも述べたようにまず、メディアとなる(富士山の写真を用いる)段階で、発信者はみずからの感情・思考を整理していると、私は考えるからである。つまり感情・思考に整理がついた唐子をメディアとすることができるのであって、混沌とした状態でメディアとすることは難しいと考えるからである。しかし、気持ちが整理されないといっても、たとえば、何か「わからない」ということをメディアを使って伝えようとしたとしよう。「わからない」という言葉を聞く限りでは気持ちが整理されてないように思うが、「わからない」ことが「わかっている」時点でこの場合は要するに気持ちの整理はされているのである。富士山の写真も、発信者はそれを見るたび、富士山に対する自分の気持ちを確かめることができる。このことは、卒業アルバムを開いたことのある人であれば難なく理解できるのではないであろうか。 ということで、鏡的利用は可能である。
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105414
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花田 直子
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2000/09/10
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22:19:11
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課題2 問1 私は富士山の写真を選んだが、どの回答も、ほぼ共感できた。その中でもなるほど、と思ったのが、問2での、小島さんの「鏡的利用のために写真を用いる」という考えである。なぜなら、写真は自分の感情を思い出、芸術などとして残したいがために撮ることがほとんどだからである。また、服装にも、まさに文化や習慣、性別、年齢など実に様々なことを伝えるメディアとなっていることがわかった。 問2 大まかな考えは前と同じである。が、そこに付け加えたいことがある。写真そのものがメディアとなる(発信者による言語コミュニケーションがない)場合など、多くは、受信者が中心となって、内容は伝えられるということである。受信者により受け方は違う。たとえば私は受信者として無意識的に日本人を想定したが、海外の人から見ると、まず富士の写真は「日本」という情報を与えることもあるのである。つまり伝わる内容は最終的には発信者でなく受信者が決定するのである。
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80
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111026
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小島 佳代子
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2000/09/06
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14:02:42
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問1. 富士山の写真について 富士山の写真がメディアとなる場合、「富士山の写真」はその写真を撮った人と見る人とを媒介する伝達手段となりうる。このとき伝えられるのは、どの季節のどのような姿の富士山かという視覚的な情報と、それを写真に撮るに至った発信者側の心的情報とである。しかし、写真というメディアの特性として、誰にたいしても同じように伝わる確定情報は、視覚的情報に限られる。発信者(写真を撮った人)と直接コミュニケーションを行う場合を除いて、写真を通して伝わる心的情報は、受信者中心にならざるを得ない。とはいえ、写真そのものをメディアに用いる意図は、その視覚情報を伝えるために他ならず、それに付随する心的情報を正確に伝えようと思うならば、会話や文章などの補助手段を用いればよい。そのような意味では、「写真」は、発信者が受信者にどこまでの情報を伝えたいか(伝達目的)によって、情報提供量をコントロールすることのできるメディアと言える。
問2.写真の鏡的利用は可能である。むしろ多くの場合、鏡的利用のために写真を用いると言う方が正しいのではないかと思う。富士山の写真を見ることで、その写真を撮った瞬間の様々な心の動きや状況に思いをはせることができる。写真は、思い出という過去を物理的に支えているのである。
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111026
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小島 佳代子
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2000/09/08
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17:25:29
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課題2 問1.「富士山の写真」について他の人の回答を見た。私はそれが“富士山”であることよりも、“写真”であることに重点をおいていたため、富士山であるがゆえの付加価値(日本一の山、などのイメージ)にまで言及している回答に感心した。確かに、「富士山の写真」を考える場合には、多くの人が“富士山”に対して持っている共通のイメージが付加価値となることを考慮すべきであった。しかし、写真をメディアとして用いるという視点では、回答訂正の必要はないと思う。
問2.鏡的利用については、ほとんど同意見であるため、現在の回答のままでいいと思う。
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神宮 絵里香
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2000/08/31
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3:41:31
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課題1 問1 言語の相違の問題や、言葉で伝えることが不可能な状況などの場合に、身振り手振りという手段が用いられる。例えば、予定時刻に相手が送れてきた場合、待っていた方の人が時計を指差す動作を相手に対してすれば、それはただ単に今の時間を相手に伝えたいのではなく、相手に対して、「遅い」ということを伝えたいのである。このように、身振り手振りは、それをする本人と、それを受け取る相手とを媒介し、身振り手振りの動作そのものが持つ意味とその時の状況を総合して読み取れることを、受け取ろうとする相手に伝えることが出来る点でメディアとなりうる。
問2 鏡的利用は可能であると思う。同じ身振り手振りでも、国の文化の違いによって、意味が異なる場合や、同じ動作でも、状況によって、意味が違ってくる場合などがある。身振り手振りで自分が意図したことと、全く別の方向で相手がそれを受け取った場合、そこにはその動作に対する受け取り方の「ずれ」が生じる。自分の動作によって促され、映し出された相手の行動で、この「ずれ」を感じることで、相手の思考とは違う、自らの思考に改めて気づくことができる。そういう意味で鏡的利用ができるのではないだろうか。
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神宮 絵里香
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2000/09/09
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22:20:58
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課題2 問1 身振り手振りは鏡的利用ができないという意見があったが、鏡的利用は可能と考える他の人の意見も考えた結果、私はやっぱり可能ではないかと思った。 それは鏡的利用の意味の捉え方がちょっと違ったのではないかと思う。 問2 自分の回答を他の人と見比べて、身振り手振りが鏡的利用が可能と考える理由として、2通りあると思った。 ひとつは、「大きさ」などを身振り手振りで説明する過程で、自分の思考や感情を振りかえると捉えたものと、もう一方は身振り手振りで相手に伝え、その相手のとった行動や、またなんらかの機会(ビデオや他の人が同様の身振り手振りの動作をとった時)に自分の身振り手振りの動作を知るときに自分の思考や感情を振りかえると捉えたものである。私としては後者の方だが、前者のような捉え方もあるんだなと思った。
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野口 繭子
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2000/09/02
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13:05:26
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問1 「富士山の写真」がメディアとなる場合について考えてみた。われわれ日本人にとって,どういう存在かとか,日本一高い山だとかいう一般的にわたしたちが持っているイメージを認識するにあたっては,言葉でも知ることができる。しかし,どんなに言葉で説明してもその美しさは,実際に自分の目で見てみないと感じ取ることはできない。そういうとき、富士山の写真があれば,実際に見たことがなくても、富士山がどういう形をしていて,そこにはどういう景色があるのかという富士山についての視覚的なものは,感じることができ,メディアとしての役割を果たす。
問2 鏡的利用とは、思想や感情を外に出し,振り返ることである。富士山の写真においても鏡的利用は可能であるといえるだろう。自分の富士山に関する思考や感情を,写真というメディアを通して客観的に振り返ることは,wたし達阿日ごろ意識していなくても、自然とやっていることだと思う。富士山の写真が存在する以上、その写真を撮った人と写真を見る人におけるその写真に対する思い入れや感じているものは,同じであるとは言えない。したがって,鏡的利用は各個人によってさまざまであるといえる。
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111050
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波多江 美和
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2000/09/11
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14:53:11
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問1服装は身につけている人の気分や性格をあらわすという回答に共感します。服装はパッと見ただけで、個人の性格をある程度教えてくれるものだと思う。 問2鏡的利用について。自分が選んだ服で、今まで意識してなかった自分の性格や雰囲気がわかると思う。
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111052
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濱崎 絵理
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2000/08/31
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10:05:09
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課題1 問1 「服装」がメディアとなる場合を考えてみる。服装は、個人個人によって違うものである。自分の好きな服を自分で選んで着ることができる。そこに、その人の個性が表れる。それが ほかの人には、「あの人はあんな格好が好きなのか」というふうなメッセージとなって伝わる。全員が同じである制服の場合でも、それが校則違反だと分かっていてもどこかくずして着たりして、個性を出そうとする。「服装」は、その人の個性をほかの人に伝える充分な媒介になりうると思う。ほかに、野球のはっぴを着ている人を見ると、「野球観戦かな」と思ったりする。また、その服装で相手に自分の考えと違うように伝わってしまうこともある。必ずしも自分の意図通りに伝わってくれるとは限らない。いずれにしても、「服装」は、着る人と見る人によって、個性や、その人の状況をを伝達していることになるのである。
問2 「服装」が鏡的利用になるかどうか。昔着ていた服や、以前の自分の写真を見て、自分はこんな格好が好きだったのかとかえりみることができる。また、「この服はあの時あの人とあそこに行った時の服だ」とか、思い出までも振り返ることができる。「服装」が自分を振り返ることの媒介となり、鏡的利用の役割を果たしている。ゆえに「服装」は、鏡的利用になる。
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111052
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濱崎 絵理
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2000/09/11
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11:17:51
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課題2 問1 私は服装がメディアとなる場合を考えた。101343横尾さんの回答も服装がメディアとなる場合で、「服装が、その人の性格や職業、性別などを伝えている」としていた。共感できる部分は、服装がその人の職業を伝えるということだった。特に職柄だけでなく、例に挙がっていた、「急いでいる警察官がいたら何か事件があったのではないか」ということまで推測できるというところだ。私は野球観戦の例を挙げたけれど、制服でこのような判断ができるという考えにまでは至らなかった。「性別を伝える」ということに関しては、正しくは伝わらない場合もあるだろうと思う。女性の格好をしていても、男性の場合もあるということである。 問2 私の回答は、具体的な例が足らなかったと思う。例を挙げたほうが自分の意見が伝わりやすいのではないかと思った。それからもう少し考えを掘り下げることができればよかったと思う。
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111056
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平野 陽子
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2000/08/09
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17:01:15
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課題1 問1 服装がメディアとなる場合を考える。自分の周りには、いろんな服装があるが、黒の着物を例にとって考える。私が電車で黒の着物を着ている人を見たら、その人は葬式に行っているのかなと思う。このような場合に服装がメディアとなる。この時、視覚を媒介している。何を伝えていることになるかは、この時受信者の私が中心だから、私がその人のその日の行動を、着物から解釈したことになる。 問2 鏡的利用は可能だと思う。問1の例の続きで、私は葬式に行ったことがないと連想すれば、黒の着物は鏡的利用を担ったことになる。
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111056
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平野 陽子
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2000/09/09
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23:29:46
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課題2 問1 私は服装についてメディアとなる場合を考えました。服装について考えた他の人の意見を見ると、コギャルを例に出していてわかりやすいなあと思いました。私ももっとわかりやすい具体例を出して、意見を述べれたら良かったなと思いました。また、問2の解答で形見を出して鏡的利用を考えているものも、わかりやすくていいなと思いました。 問2 自分の意見については、もっとわかりやすい具体例を出して考えたほうが良かったと思います。
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111058
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藤井 美穂
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2000/08/25
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11:48:19
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課題1 問1:「身振り手振り」がメディアとなる場合。 身振り手振りをする人(A)が自分の伝えたいこと(物の大きさなど)をその身振り手振りに表すことができるし、その身振り手振りを媒介として周囲の人は想像により、何を表しているのかが分かる。それを利用したのが、ジェスチャーによるゲームだと考えることができる。 問2:「身振り手振り」がメディアとなる場合、鏡的利用は可能か? 例えば、物の大きさを身振り手振りで表そうとすることによって、Aは改めてその大きさがどのくらいなのか認識することになる。よって、鏡的利用は可能である。
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111058
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藤井 美穂
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2000/09/11
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15:06:22
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課題2 問1・問2共通: 私は課題1で「身振り手振り」がメディアとなる場合の回答をした。同じように「身振り手振り」がメディアとなる場合を考えた他の受講者の回答を見てみると、分かりやすく例を使ったものが多く、その人たちのように自分ももっと考えをまとめたうえで回答すればよかったと思った。「身振り手振り」はただ単に大きさなどを表わすためだけではなく、異国にいてなかなか言葉が通じない場合や、耳がよく聞こえない人に対して、また、声に出さないように相手に伝えたいときに使われ、メディアとなるものだと思う。しかし、その動作には伝達者の慣習が含まれることもある。例えば、日本人が「こっちにおいで」という意味で手を振るとする。同じような習慣を持つ日本人であれば、その動作を行った人の伝えたいことがわかり、その人のほうへ行こうとするだろう。けれども、その動作を見たのが、アメリカ人であればその動作を「あっちへいけ」と解釈し、伝達者からより離れたところへ行ってしまう。よって、「身振り手振り」がメディアとなる場合は限定される。 「身振り手振り」は鏡的利用が不可能であるという考えには賛成できない。「身振り手振り」においても、自分が伝えたいことを見直して形に表わして伝えているのだから、このことは自分の感情や思考を振り返っていることになるので、鏡的利用をしていると考えられるのではないだろうか。また、自分が「身振り手振り」として外に表わしているときも、客観視することで自分の感情や思考を振り返っていると思う。しかし、「身振り手振り」を行った後でならば鏡的利用は難しいだろう。なぜなら、「身振り手振り」はその場のことだけであり、ビデオなど映像を撮ることができるものを使わない限り、記憶以外に後に残るとはおもえない。記憶とは曖昧なものなので伝達したときとまったく同じように残すことは難しい。よって、鏡的利用としては伝達したその時、つまりリアルタイムでしか可能ではないと考えられる。
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111060
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渕上 祐子
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2000/09/06
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13:30:40
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問1 服装がメディアとなる場合を考える。 服装というものは時としてその人をあらわすのに使われる。それは、会社や、学校の制服だったりする。その人が着ている服装を見ることにより、その人が所属しているものが分かったりする。また、制服以外にも、その人の服装により、どんな服が好きかが分かり、そのことから、性格も分かると思われる。
問2 服装がメディアとなる場合、鏡的作用は、その人が鏡を見ることにより、自分の目で自分がどのように映っているのか確かめることができる。そのことにより、周りに与える印象も考えることもできるため、鏡的作用は可能であると思われる。
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111061
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牧 義治
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2000/09/04
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16:03:14
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課題1 問1 「壊れたコップ」がメディアとなる場合 まず、「発信者中心」のとき、つまり意図的にコップを壊した(割った)とする。例えば、マンガの夫婦ゲンカのように。その時、壊した側は、「こんなにも怒っているんだぞー」ということを、相手の目を媒介として伝えることができる。 また、「受信者中心」のとき、例えば、レストランでアルバイトをしていて、コップを壊してしまったとする。その時、店長は、「ヘマをした(失敗した)な」と、コップをみて思うだろう。 問2 鏡的利用について もし、同じ人が二度コップを壊したとき、きっと前回のこと、自分の感情を思い出すだろう。夫婦ゲンカでコップを壊した夫婦の場合、ただ手をすべらせて壊しただけでも、受信者は、「怒っているのかな?」と思う。問1のアルバイトの場合、店長は、「またか」と思うだろう。つまり、店長は、2回分の怒りをおぼえることだろう。
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111061
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牧 義治
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2000/09/11
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11:45:13
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課題2 問1 私は課題1で、「壊れたコップ」について考えた。同じ意見といった人はいなかったが、それぞれおもしろい考え方 捉え方をしていて、参考になった。 問2 自分の意見に自信はないが、みんなそれぞれ意見があっていいと思うので、あえて変えようとは思わない。
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111063
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松岡 沙織
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2000/08/29
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16:37:52
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問1 服装について考える。 服装が私たちに与える印象は、馬鹿にできない。 服装によって、きちんとした人、だらしない人、明るい人、近寄りがたい人など、さまざまに判断されることも少なくはない。だからこそ、私たちは、自分の好みの格好や、その場に応じた服を選ぶのである。服装は、それを見る人を媒介にして、服を着ている人の個性を伝えているのである。
問2 鏡的利用は、できると思う。 服装を選ぶとき、自分をどう見られたいのか、見られるのか、客観的に見ている。また、前着ていた服を見て、思いをはせることもあるだろう。
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111065
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三浦 研一
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2000/08/31
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9:51:37
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課題1 問1 私は「服装」がメディアとなる場合を考えてみた。服装は、一個人の個性の一部であると考えられる。つまり、その人の服装に目をやるということは、その人の個性を受け取っていることになりうる。例を挙げてみる。街中で厚底サンダルを履き、ミニスカートをはき、肌の色がよく焼けた女の人を見掛けたとする。そうすると「コギャル」というイメージが沸くことがある。また、黒い服を着た人を見たとすると、「黒い服」=「喪服」=「葬式」といったふうに情報を受け取ってしまうだろう。以上より、「服装」は、着る人と見る人を媒介して、個性を伝える役割を果たしている。
問2 「服装」がメディアとなる場合、鏡的利用は可能である。ある時、家へ帰る途中で喪服の集団が斎場の前に集まっていたとしよう。すると、問1で述べたように「不幸があったのだ」と情報を受け取る。そうして、その人自身に過去身内で不幸があったとすれば、その時のことを思い出すであろう。そして、その時亡くなった人の思い出が湧き出してくるのではないだろうか。以上のように、「服装」がメディアとなる場合、鏡的利用は可能になる。
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111065
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三浦 研一
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2000/09/11
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10:43:24
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課題2 問1 私は課題1で、「服装」を取り上げていた。「服装」についての他の受講生の考えを見ていると、共感できる点がほとんどであった。特に105005の方の意見には自分と同じような考えを持っていた。やはり、「服装」はメディアとなりうると確信できたと思う。他の受講生が挙げた具体例からよく分かると思う。そして、101104の人の考え方や具体例はユニークがあり、とても分かりやすかった。また、他の事柄では、「身振り手振り」について回答されていた101125の方や101504のかたなどの回答が共感できた。野球のサインや耳の聞こえない人などに例には、自分は思い付かなかったので、納得させられた。また、「割れたコップ」では、101407の方の具体例が分かりやすかったため、納得がいった。 問2 他の受講生の回答を見ると、いろいろな意見があり共感できる点が多かった。ただ自分の回答に足りなかったのは、具体的な例の乏しさであるだろう。
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111066
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水田 由美
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2000/09/06
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13:55:27
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課題1 問1「服装」が、メディアとなる場合を考える。 自分には、好みのファッションがある。例えば、私は、カジュアルな服装が好きである。なぜ自分の好みの服を着るのかというと、それは、周りの人に自分をアピ−ルするためである。服装によって、世代や、場の雰囲気などが見た目でわかる。結婚式にいくんだ。とか、お葬式にいくんだなど服装は、着ている本人に尋ねなくても見るだけで判断できるのである。服装は、目(視覚)を媒介にして見る人に意志を伝えることができるのである。 問2 服装は、鏡的利用が可能である。シャツを着ていてエリが立っていたりすると今日は寝坊して、焦っていたんだな。ということがわかる。また、いつも着る服とは違って、ちょっと派手な服を着ると今日は、遊ぶ気マンマンだ!という気持ちがわかる。このように、服装は、着ている本人が自らの意志を振り返ることも可能である。よって、鏡的利用は可能である。
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99
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111066
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水田 由美
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2000/09/11
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14:48:11
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課題2 問1.私は、服装について他の受講生の回答をみた。その結果、私は服装が着ている人の意志や、年代を伝えたり、着る人の個性を伝えるという考えであったが、他の人は、普段着だけではなく、制服などのきまりきった服装においてもそれがメディアとなる場合の意見もかかれてあった。よくかんがえてみると、制服も自分の所属や仕事内容などさまざまな情報を受信者につたえてくれる。警察官の例がわかりやすくてよかった。また、服装は発信者の意志が一方的に伝わるのではなく、受信者がどういう風に解釈するかによって違うということもありうるという意見に共感で きた。 問2.私ももっと服装について広くかんがえてみたらよかったと思う。鏡的利用についても服装がその時代の流行を現わしたりすることもあり、ただ自分の意志や気分だけをあらわすのではないということを考えないといけなかったと思う。
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100
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111067
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南 里佳
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2000/09/11
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11:23:23
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課題1 問1 私は身ぶり手振りを選んで考えたのだが、そのなかで、111114の回答の人に共感を覚えた。言語が違う人同士の中での会話には必要だ、と思っていた気持ちが強くなった。また、私には思いつかなかった状況が挙げられていて、身振り手振りをメディアとなる、という結果をよりいっそう深くできたと思う。
問2 自分の回答を、特に変えようとは思わなかった。ただ、具体例をもっと挙げたらわかりやすく言いたいことが伝えられたと思う。
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101
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111072
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森 貴之
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2000/09/11
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16:59:19
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課題1(前回ページが開けなかったのでE−mailで送ったのですが、もう一度送ります。)
問1、富士山の写真について述べる。富士山の写真がメディアとなる場合は、例えば旅行に行ったことを誰かに伝える時という場合が考えられる。この時富士山の写真は、自分が富士山に旅行に行ったという報告をする時に、自分と相手(友達や親など)とを媒介して富士山の形、色などを伝えるメディアとなりうる。ただし、その写真がそれのみで旅行に行ったことまでを正確に伝えるのは不可能であるので、手紙などの補助が必要であると思う。 問2、富士山の写真は自分が富士山に行ったという事実を他者に伝えるメディアになると同時に、自分の思い出を喚起するための情報を保存するメディアとなりうる。他者には只の富士山の写真でも、自分にとっては同伴した人やその旅行中の様々な思い出を喚起させるものになりうると考えられる。
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111072
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森 貴之
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2000/09/11
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17:07:21
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問1 「富士山の写真」について述べている人の意見を見て共感できる部分も多々あったが、あまりに「富士山の写真」が饒舌に情報を発信するメディアになるのかどうかは少し疑問が残った。
問2 鏡的利用についての意見はかわらなかった。
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111074
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山内 美知子
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2000/09/11
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16:33:21
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課題1問1「壊れたコップ」・・・壊れたコップを見る人がいる場合メディアになり得ると思う。壊れたコップを人が見ることによって、コップが壊れたという事実、コップを壊した人がいるという事実が壊れたコップを見た人に伝達される。 問2わかりません。
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104
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111074
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山内 美知子
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2000/09/11
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16:52:25
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課題1問1「壊れたコップ」・・・壊れたコップを見る人がいる場合メディアになり得ると思う。壊れたコップを人が見ることによって、コップが壊れたという事実、コップを壊した人がいるという事実が壊れたコップを見た人に伝達される。 問2わかりません。 課題2問1・・・17番の佐藤さんの回答を見て共感しました。壊れたコップのことを、何と何を媒介にして、メディアが成り立っているかをわかりやすく説明してあったのでとてもよくわかりました。 問2頭では、考えてても言葉に表すのは本当に難しい。ほかの人の課題を見ながら、うんうんこういうふうに言いたかったんだと思った。具体例も挙げれなかった。でも、回答の中身は、変わらない。
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111107
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池本 有美
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2000/08/31
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11:17:10
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問1壊れたコップがメディアとなる場合を考える。 壊れたコップはコップを壊した人とそれを発見した人を媒介して、様々なことを伝え、また、受信者に考えさせることができると思う。この場合、受信者が中心となるように思う。受信者が、どうしてコップが壊れているのか?どんなふうにこわれたのか?・・・など様々に考えることができると思う。例えば、私がふとコップを壊したのを母が見つけたとき。・・・など。
問2この場合、鏡的利用は可能であると思う。 壊れたコップによってもし発信者が思い入れのあるコップだったら、後悔をするだろう。また、それをみることによって、その後の行動を考えることができるように思う。
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111107
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池本 有美
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2000/09/08
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13:04:37
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課題2 問1 服装についての回答が多く、私が考えきれなかった意見がたくさんあった。また、人の考え方を目にすることができてよかった。 問2 壊れたコップについて書いている人が少なかった。 しかし、その中の意見は一つ一つ違っていてほかの人の意見はすごいと思うものばかりだった。 私の考え方は、ほかの人とは違っていたが、この考え方も考え方のひとつにはなるのではないかと思う。
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111114
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伊藤 裕一郎
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2000/07/25
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15:24:05
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課題1 問1 「身振り手振り」がメディアとなる場合を考える。
身振り手振りがメディアとなる場合というのは、「ある人」が発信者として情報を符号化した「身振り手振り」を、「別のある人」が受信者として視覚という感覚器官を通じて情報として認知し、その獲得した情報を「別のある人」の経験や思考、感情などによって、「ある人」の伝えたい情報へと復号化した時である。 その時身振り手振りは、「ある人」と「別のある人」の媒介をして、「ある人」が「別のある人」に伝えたい情報をより明確なものとして伝えていることになる。 例)「ある人」が釣った魚の大きさを説明する時に身振り手振りを使って説明し、それを見ている「別のある人」が「ああ、これくらいか」と、その大きさを実感できる。
問2 身振り手振りがメディアとなる場合、鏡的利用は可 能かどうか、吟味する。
身振り手振りがメディアとなる場合、鏡的利用は可能である。その理由は、身振り手振りをしている人は、自分の伝えたい情報を、相手により明確に伝えたくてやっているわけだから、その伝えたい情報のこと、すなわち自分の経験や思考、感情などを振り返りながら、身振り手振りを使っているからである。 例) 釣った魚の大きさを説明している「ある人」が、身振り手振りをしながら、「確かこのくらいだったな。」と、釣った時の状況を思い出す。
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111114
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伊藤 裕一郎
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2000/09/05
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13:40:17
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課題2 問1 共感できる回答、あるいは、違和感を感ずる回答を選び、理由とともに記述せよ。
他の回答はどれも興味深いものであったが、中でも私が最も面白いと思ったのが、壊れたコップについての回答で、「コップの壊れ方によって、何を伝えているかが違う」という回答をしていたものである。確かに壊れたコップもメディアとなりうるだろうが、その壊れ方によって、何を伝えているかが違ってくるというのは、なかなか面白いと思った。 また、服装がメディアとなる場合について、性格や気分等の他に、「その人の体型も伝えている」という回答も、なるほどと思った。しかしよくよく考えてみると、これは服装から得た情報ではなくて、その人自身から得ることのできる情報であり、この回答は少々違うような気がした。 そして回答の中に、「身振り手振りは、今自分が考えていることを伝える手段なので、鏡的利用はできない」というものがあったが、これについては違和感を感じた。身振り手振りが自分の考えを伝える手段ならば、自分の考え、すなわち自分自身を振り返っていることになるのではないだろうか。だから私は、鏡的利用はできると思う。
問2 自分の回答を見直してみよ。
自分の回答を見直してみたが、だいたい他の人と同じような回答だと思った。
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111115
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伊波 麻知子
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2000/08/29
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9:40:52
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課題1 問1 「富士山の写真」 「富士山の写真」は、日本と日本にきた外国人旅行者 とを媒介して、日本を知らない人に「日本」を伝えてい ると思います。日本の山=富士山というよりも、富士山 =日本というのが妥当だと思われます。富士山は日本一 高い山であるから日本の象徴であるというよりも、昔か ら富士山の絵は多く、銭湯の壁画や有名な絵画に富士山 は移っています。それらを見て育ってきた私たち自身、 富士山といえば日本のイメージにぴったりだとしてきて ると思われます。よって、このときの写真は富士山でな ければ何の意味も持たなくなります。どんなに有名な山 でもただの山の写真となるはずです。
問2 日本の名物はたくさんあるけれども、旅行にきた外国 人にはやっぱり富士山の写真(絵)を1枚はもって帰っ て、周りの人に紹介してもらいたいと思います。私自身 、富士山は実際見たことはないけれど、富士山といえば 日本の象徴だ、みたいな概念があります。これは小さい ころから富士山に関する絵を通してこういう概念がつい たと思います。でも、日本の歴史背景など、日本につい て何も知らない外国人にとっては、どんなに言っても富 士山も「日本一高い山」にしかならないと思いました。
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111115
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伊波 麻知子
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2000/09/08
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12:46:59
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問1 私は「富士山の写真」しか考えられなかったけど、ほかの人の回答を見て、「服装」のほうが考えやすかったし、よくわかった。制服がメディアになっていて、それに気づかずに着ていたんだ、と思った。
問2 昔の写真を見て、そのときの気持ちのうかれ具合などがわかるから、鏡的利用は可能である。
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111119
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大野 義隆
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2000/09/04
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13:56:06
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課題1 問1.「身振り手振り」はメディアとなる。ある発信者が身振り手振りをすることは、ある受信者に発信者の中にあった情報を受信者に伝えていることになる。つまり、発信者と受信者は「身振り手振り」を媒介として、情報をやり取りしている。このことから、「身振り手振り」はここでいう「メディア」になる。 問2.「身振り手振り」は鏡的利用は可能であるといえる。なぜならば発信者は身振り手振りをすることによって、その伝えたい情報、そのときの状況をより明確に思い出そうとする。これは、発信者がそのときの自分なり出来事を振り返ることになるので、鏡的利用は可能であるといえる。
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111119
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大野 義隆
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2000/09/08
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12:33:39
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課題2 問1 服装がメディアとなる場合の回答を見て、「コギャルファッション」や「ある組織に属している」というのに共感できた。確かにある人の服装をみたら正確ではないけれどそれだけでいろいろな情報を読み取ることができるし、それはそれでメディアになっていると思う。 問2 みんな同じような回答であった。
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111120
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岡本 直子
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2000/09/04
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9:54:52
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問1 「服装」がメディアとなる場合 服装は、人それぞれ違っている。カジュアルなものを好んで着る人もいれば、スーツのようなきちんとしたものを好んで着る人もいる。これらのものは、人と人を媒介してそれぞれの個性を伝えている。活発な人は、それなりに派手な色、デザインの服装をしているし、おとなしい人は、やはり落ち着いた感じのものを着ていることが多い(多少例外はあるが)。ゆえに、服装は個性を伝えているといえる。
問2 「服装」の鏡的利用は可能である。 「服装」というのは、生活している上で、自然と多く目に入るものである。それゆえ、自分以外の人の服装を見て、「あれはいいな」とか「そういう着こなし方もあるんだ」などと感じると思う。そう感じるのは、やはり自分と照らし合わせているからである。
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111120
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岡本 直子
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2000/09/07
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13:56:29
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課題2 問1 「服装」について 私は「服装は、個性をあらわしている」という意見に共感した。服装というのは、ほとんどの人が自分で選んで着ているのだから、自然にその人の個性やそのときの気分が現れると思うからだ。だから、いろいろな服装の人がいるのだと思う。もし、考えも同じで、気分的にも同じ人たちが集まったら、みんな同じ服を着ているかもしれない。(想像したくないが・・・。)でも、そんなのは面白くない。みんなが違うからそれぞれのいいところが見えてくるのだと思う。
問2 服装は、個性をあらわすだけでなく、その人の年齢や職業も表しているということに気づいた。私は、個性をあらわすことばかり考えていたが、ぱっと見て1番に気づくのは、「学生だ」とか「警察だ」とか制服があらわしているものなんだと思った。いろいろな人の回答を見ることで、たくさんの意見が知れて面白かった。
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奥村 浩介
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2000/08/25
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13:27:48
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問1 「富士山の写真」 富士山の写真は例えば富士山の写真とそれを見る人とを媒介として富士山は美しいという情報を伝えているときそれはメデイアとして働いていることになる。
問2 富士山の写真を見る人に富士山に対する何らかの思い入れがある場合、自らの思考、感情を振り返る過程において、人間によって意味づけられた情報を物理的に支える可能性があると思われるので鏡的利用は可能である。
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111122
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奥村 浩介
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2000/09/08
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16:32:26
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課題2 問1 ほかの人の回答を見て思ったこと。 いまいちメディアというものを性格に把握できないが、かいてあることはだいたい同じないようだと思うので正解なんだろう。
問2 文の量こそ違うが内容はだいたい同じだと思う。
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111128
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木村 武矢
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2000/09/02
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23:53:24
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1.壊れたコップにおいてコンテキスト依存・解釈・受信者中心のコミュニケーションとして、メディアとして成リ立っていると考えます。そのなかで、それを受信する人の過去の記憶などを媒介として、負の感情を伝えるものであると考えます。 2.このメディア自身が人の心の中の記憶や感情を引っ張り出してくるものであると考えますので、これは鏡的利用が可能であると考えます。
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111128
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木村 武矢
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2000/09/10
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22:45:20
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課題2 問1 どれも似通った答えばかりなので共感できると言えば共感できるが、どうもいまいちこれだと思えるほど共感できるものがありません。
問2 壊れた紙コップをメディアとして考えると書いたが よく考えると、もともと人間によって意味ずけられた情報をではないのかと考え、やはりメディアとして成り立たないのではないかと思う。
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111145
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辻 大輔
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2000/09/09
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13:01:46
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問1: 身振り手振りは、相手に何かを説明する場合、口だけで説明するのには難しい事柄と体での表現を媒介して、その内容を伝えている。伝達目的としては、説明したい事柄を分かりやすく伝えるという事である。
問2: 自分の考えた身振り手振りでは分かりにくかったときに、別の表現のほうがいいというふうに振り返ることが出来ると思う。
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111145
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辻 大輔
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2000/09/09
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13:47:13
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課題2 問1:他の受講生の回答を見たところ、服装を取り上げている受講生が多かったように思う。服装は相手の職業や性別などの情報をこちらに送ってくれるという意見に共感できた。実際服装で第一印象が決まってくる。就職の面接に行くときでも、服装がまず大事であると思う。逆にいえば服装をきちんとしていれば、良く見られるということだってあると思う。その人の内面は本当に接してみなければ分からないが。こういった点で、服装はメディアになるという意見に賛成である。
問2:自分の回答を見直したところ、媒介するというところが分かりにくいと思う。何と何を媒介にするのかというところが。「口だけで説明するのには難しい事柄と体での表現を媒介して」ではなく、「話し手と聞き手を媒介として」ではないかと思う。物事を分かりやすく伝えるという点では、かわっていない。
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111150
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永田 亮
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2000/08/30
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22:23:16
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課題1 問1 服装がメディアとなる場合を考えてみた。「コード依存・解読・発信者中心」、「コンテキスト依存・解釈・受信者中心」コミュニケーションどちらの場合においても、その人の「服装」もしくはそれによってつくられるその人の「見た目」を媒介として、「自分が気に入っていてかっこいい、かわいいと自分自身が思えるもの」や、「自分のポリシーみたいなもの(例えば人と同じものでは嫌、など)」つまり自分の趣味・趣向を伝えていることになる。しかしそれは、必ずしも発信者の意図と受信者の受け取り方が一致しないことが多い。
問2 「鏡的利用」は可能であると思う。自分の「服装」について周囲の人がどのような反応を示すか?、また自分の「服装」と他人の「服装」とを比較して改めて、自分にとって、もしくはその他の人々にとってそれでよいのか、悪いのかを振り返ることができ、改善につなげることができる。それがまさしく「鏡的利用」である。
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111150
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永田 亮
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2000/09/10
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22:02:19
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課題2 問1、 僕は「服装」がメディアとなりうる場合について、課題1を解答したので、他の受講生の意見も「服装がメディアとなりうる場合」について解答している人の意見を中心に読みました。自分が考えていたことと本質的なところで一致している人がほとんどで、共感できました。 特にその中でも、105005の大下さんの意見には共感できました。それはなぜかというと自分の解答では、「発信者の意図」と「受信者の受け取り方」は必ずしも一致しないことが多い、とだけ述べていましたが、大下さんはそれより先に考えて、「服装がメディアとなりうる場合は、コンテキスト依存・解釈・受信者中心のコミュニケーションである。」としていた所です。 逆に、少々違和感を感じた意見は「服装」がメディアとなる場合という問なのに、ファション雑誌をメディアと考えて解答していた人の意見でした。
問2、 他の受講生の意見を見て自分なりに考え直してみましたが、自分の考えは変わりませんでした。 しかし、「服装」が単独でメディアとなる場合は意外に少ないのではないかと思いました。 例えば、原宿などで奇抜な格好をする場合と、同じ服装をかしこまった席に着ていくのではやはり周りの人の「解釈」に違いがでてくると思います。服装単独ではなく、周りのシチュエーションも重要なメディアとなりうるということを付け加えたいと思います。
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111152
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長谷部 健
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2000/08/20
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11:10:44
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課題1 問1、服装 服装は、自分の個性を形にしたものであり、その個性を見る人に伝えるメッセージである。だから、服装は着る人とそれを見る人を媒介して、着る人の個性を伝えていることになる。 問2、 人は夏と冬など気温によって服装も変化する。これは人が暑いからこの服を着ようとか、今日は少し涼しいからこの服を着ようとか考えるからである。また、風邪などをひいて風が悪化しないように少し厚着しようなどと考えたりもする。だから、その人の感情すべてがわかるわけではないけど、少しはその人の感情をわかることができると思う。だから、鏡的利用は可能だと思う。
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111152
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長谷部 健
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2000/09/09
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18:19:38
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課題2 問1 自分の考えていたことにに近い答えが結構あった。だから服装について書いた人とはほとんど共感できた。 問2 自分はやはり服装は個性を伝えていると思う。ほかの人のを見ても結構自分と同じような感じで、特に自分の考えは悪くないと思いました。
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111156
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深江 由加里
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2000/09/04
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10:52:53
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問1 「富士山の写真」がメディアとなる場合を考える。そのとき媒介となっているものは、写真という物理的な形に残すために必要なカメラであると思う。また、受信者側がその写真を見るための目(視力)も媒介として考えられると思う。それらを媒介として「富士山の写真」は、実際にその富士山という撮影現場にいなかった人へ富士山というものは、このような所であるというのを伝える事ができると思う。そして、自分がその写真を撮ったのならばその写真がたとえ1枚であったとしてもそこから自分が富士山で体験した事が受信者側により明確に伝え、想像をふくらませる事ができるだろう。
問2 「富士山の写真」は鏡的利用が可能だと思う。なぜなら写真として物理的に残っているのだからそれを見れば富士登山をしたのなら「あのときはきつかったなぁ」とか富士山でバイトをしたのなら「ご主人は元気でいらっしゃるだろうか」などその写真から当時の事を色々回想できると思うからである。
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111156
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深江 由加里
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2000/09/07
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13:47:56
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課題2 問1 私は「富士山の写真」を選んだのだが「服装」を選んでいる方が多く目に付いた。それらを読んでみると共感できるものが多かった。服装を見るとその人の様子、性格、職業が分かるというのを読んだとき「なるほど」と思った。確かに何も言わなくても服装はそのような伝達目的を持っていると思った。反対に違和感を感じる回答は、「富士山の写真」についてなのだが、富士山=日本という概念を持っているということだ。個人の意見だから悪いとは思わないが違和感を感じる。その考え方の違いは「富士山」を日本の象徴としてどこまで捉えているかという程度の違いからくるのであろう。
問2 媒介としてカメラを選んだが間違っているとは思わないが考え違いをしているのかなと思った。でもあとは大体考え直すところはないかと思う。鏡的利用も多くの方が可能と回答していたし、私もそう思う。
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111159
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福山 健太
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2000/09/11
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2:35:05
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服装 何:その服装の人物の美的センス(色、形状、高価か)や性格と 何:それを見た人の感性(好きな色の服だったか、好きなタイプの服だったか) 色などに関する心理的な分析についての知識(これにより相手の性格などを 考える) 伝えるもの:自分の個性を伝えると共に存在をつたえる。 問U 相手に好印象だったか、また、印象に残ったか? 自分が目立てていたか?また、センスの見直しや認められていたか?
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111159
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福山 健太
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2000/09/11
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2:49:11
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課題2 問1 私は、課題1の回答のときに服装が伝えるものとしてその服装をしている個人そのものの「主観を伝えている」と回答したわけですが他の人の意見を見ると服装がその「個人の所属している集団を伝えている」という意見がありました。この意見にはなんか納得させられました。 問2 そんなわけで見直した点は自分の意見が個人そのものに偏りすぎていたというところです。伝えられるものとしては個人にとどまらずその個人を取り巻く環境をも伝えることになっているのだなと思いました。
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111159
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福山 健太
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2000/09/11
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2:57:04
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服装 何:その服装の人物の美的センス(色、形状、高価か)や性格と 何:それを見た人の感性(好きな色の服だったか、好きなタイプの服だったか) 色などに関する心理的な分析についての知識(これにより相手の性格などを 考える) 伝えるもの:自分の個性を伝えると共に存在をつたえる。 問U 相手に好印象だったか、また、印象に残ったか? 自分が目立てていたか?また、センスの見直しや認められていたか?
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111162
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本田 雄亮
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2000/08/29
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17:58:33
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問1.「服装」について 「服装」がメディアとなる場合、例えばファッション雑誌がある。その雑誌で、今からどんな服装が流行るのか、 自分にはどんな形、ジャンルの服装が似合うのか、自分で考慮したりする。その上、雑誌には文字が記載されているので、いろんな情報を得る。それから、その雑誌を見て、それが売ってあるお店に行って、情報を得る。もうこの時点でメディアの働きは出来あがっていると思う。 この場合は、雑誌と文字により「服装」をメディア化している。
問2. この場合、「鏡的利用」は可能である。雑誌をもう一回見直したり、町で見かけるいろんな服装を見たりして、自分の持っていたイメージと照らし合わせてみたり、それを変えたり、自らの思考・感情を振り返って見ること、つまり「鏡的利用」を無意識に利用できる。
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131
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111162
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本田 雄亮
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2000/09/09
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0:36:13
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課題2 私は、課題1は「服装」について考えたのだが、私は、他のものを使っての「服装」のメディアについて考えていたが、他の回答を見て、服装だけでも、十分メディアであることが分かった。課題1で考えた私の回答は、他のものがメディアとなり、「服装」がその他のもののメディア化を補助しているようにも感じた。他の回答を見てみて、自分の回答も深くみなおすことが出来た。
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111168
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本村 英祐
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2000/08/29
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16:34:13
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課題1 問1 この場合コップを壊した人からそれを見た人へ何かを 伝達していることは少ないと思う。むしろそれを見た 自分何かを解釈したという、「受信者中心」コミュニ ケーションが主であると思われる。つまり自分と自分 を媒介するメディアとしてコップが存在し、それが伝 える内容も広く多種多様でコップの壊れ方によるが、 例えば誰かが激怒のあまり投げつけて壊した。また、 使いすぎてコップ自体壊れてしまった。あるいは、料 理をする際人が誤って落として割ったなどである。し かしここに何らかの伝達目的が存在するならば壊れて いるというのは正常ではないのだから何らかの混乱が あり人同士、あるいは何かの衝突があったということ が受信できると思う。例えばさっきまで夫婦喧嘩があ っていたなどである…。 問2 可能だと思う。なぜなら一見普通の人は何も感じない もののようだがある一定の思い出を持っている人にと ってはしっかりとコップがメディアの働きをするかも しれない。例えば小さいときにコップを割って手を切 った恐ろしさを思い出すかもしれない。また、遊園地 のゲームで的のコップに当てて割ることができ商品を もらった事を思い出すかもしれないだ。その人の過去 によりそれはメディアにもなり鏡的利用も可能だと思 う。
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111168
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本村 英祐
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2000/09/08
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16:42:18
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課題1 問1 他のひとの回答を見たがコップを壊した人からそれを見た人へ何かを伝達していることは少ないと思ったが、結構多いことにきずいた。よく考えると台所にコップが置いてあった場合炊事をしていて割ったならそのことを伝えることができる。しかしそれは意図的であるかどうかが問題で、受信者が正しく受信できるかだ。こう考えると実に偶然が重なると思う。また見た自分が何かを解釈したという、「受信者中心」コミュニケーションについてだが、自分と自分を媒介するメディアとしてコップが存在し、それが伝える内容も広く多種多様でコップの壊れ方によるが、壊れているというのは正常ではないのだから何らかの混乱があり人同士、あるいは何かの衝突があったということが受信できるというのは他の人と同じであった。 問2 可能だと思うのは変わらない。しかし新しい考えとして発信者の鏡的利用を知った。自分が割ったことを後で思い返すということだ。これには後悔の気持ちなどが混ざっていると考える。こう考えると発信者は受信者にもなりうるしまた両者が違う場合もある。鏡的利用には2種類あると思った。その人の過去によりそれはメディアにもなり鏡的利用も可能だと思う。ただしそれは自らの過去のことには変わりないが、必ずしも発信者の行った行動についてではないことはいえると思う。
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111177
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四方田 直
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2000/09/03
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17:07:30
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課題1 問1 僕は、富士山の写真についてこれがメディアとなる場合を考えたいと思います。 富士山の写真がメディアとなる時、富士山の写真と、それを撮った人、カメラ、フイ ルム、テレビや雑誌といったマスメディア、それを見る人、を媒介して、富士山がど のような場所か、富士山の風景を伝えたり、自然の美しさを伝えたり、時によって は、自然の恐ろしさ、を伝えていることになる。伝達目的としては、これから旅行に 行こうとしてる人に富士山について事前の知識を与えたりできることなどがある。 問2 前問の問がメディアとなる場合、鏡的利用は可能である。 何故なら、今から富士山に行こうとしている人達に、もう一度行くか、思考・感情を 振り返らせることができるからである。
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111179
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渡邊 督之
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2000/09/02
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13:50:26
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課題1 問1 私はロダンの「考える人」を選んで、メディアになる場合を考えたいと思います。 「考える人」を作ったロダンはどんな考えやこの像を作ったのかは私には想像つきませんが、この像を見る人たちに何らかの訴えたいものがこの像には込められていると思います。しかしロダンがどんな考えで作ったか、訴えたいものはどんなことかと言うのは、ロダン本人だけ、またはその製作に関わった人たちなどと言った限定された人しかわからないでしょう。 一方、「考える人」を見たロダンの考えなどを知らない人々は、人によっていろんな想像をするはずです。例えば、いまCMで使われているように、ある英会話の学校に入会しようかどうか考えている場面などといった所に使われ、考えている=悩んでいるあるいは迷っていると言うようにとらえたりします。 しかし、発信者中心(前者)と受信者中心(後者)として違っていても、「考える人」を製作したロダンの意図と、それを知らない人の像を見た時の感じるものを「考える人」の像が媒介して、それを製作したロダンの意図を正格にではないけれど、伝えていることになるのではないかと思います。 問2 現在ロダンは生きていませんが、もし今ロダンが生きていたとするならば、「考える人」はテレビや他の人がロダンのことについて研究した本などに出ていると思うので、そう言った情報からロダンは「考える人」について他の人はこう思っているんだ、こう感じているんだ、と感じることができるでしょう。今でなくて昔にでも口コミで「考える人」の噂は広まり、いろんな人のいろんな意見が返ってくると思います。そうやってロダンが他の人の考えを感じることができると思うのです。よって鏡的利用は可能だ、と言えます。
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111179
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渡邊 督之
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2000/09/10
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9:48:43
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課題2 問1 他の受講生の回答を読み、私は112003の方の問1の回答に共感しました。「コード依存・解読・発信者中心」コミュニケーションの場合と「コンテキスト依存・解釈・受信者中心」コミュニケーションの例が別々にしっかりできていて、そんな事するわけないだろうと思うところもありましたが、良かったと思います。私はメディアについての考えと、「コード依存・解読・発信者中心」と「コンテキスト依存・解釈・発信者中心」の違いと言うのが曖昧だったのですが、この方の回答のおかげではっきりメディアとはこう言うものなんだ、違いはこうなんだと理解できたと思います。 しかし、112003の方の問2の回答に違和感を感じました。なぜかと言うと、この方は受信者が振り返っている場合を書いていますが、改めて振り返るのはコップを壊した人、または壊れたコップを利用していた人が、壊した時または利用していた時に出した思考や感情なので、違うのではないかと思ったからです。 問2 他の受講生の回答を読み、自分の回答で訂正したいところが出てきました。問2の自分の回答は「考える人」を見たロダンではない他の人の反応について書いていましたが、鏡的利用とはそう言うことではなくて、自分の出した思考や感情をあるものによって改めて振り返ることだとわかりました。よって、ロダンは「考える人」を製作後に見ることによって、自分の製作中や製作前の思考や感情を改めて振り返れると思います。 この他に自分の回答で直すところはないと思います。
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111202
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有田 久美
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2000/09/02
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13:53:10
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問1私は服装がメディアとなる場合を考えてみようと思う。例えば、俗に言われている「やまんばギャル」はガングロで目の周りを白く塗り、唇を白くしたりして周りの人よりは目立っている。その格好を見た私を含むほとんどの受信者は「派手な格好をしていて遊んでいそうだ、頭が悪そうだ。」などと思うであろうが、それは「コンテキスト依存・解釈・受信者中心」である。しかし、その発信者であるやまんばギャル本人は、もしかすると寂しくて自分をみんなにアピールしたかったり、学校で優等生だった人がその反動でしていたりと、さまざまな心情を表しているのである。この心情が分かるのは発信者本人であったり、その人と関わりがあるごく少数の人たちに限られるので、これは「コード依存・解読・発信者中心」である。この時、発信者であるやまんばギャルの服装と、それを見ていろんなことを思う受信者を媒介して、やまんばギャルが本当に考えていることを伝えていることになる。 問2鏡的利用は可能である。例えば、最近では(少し古い気がするが)テレビや雑誌で盛んに「やまんばギャル」を取り上げている。よって、発信者であるやまんばギャルに対するどんな意見であれ、反応がそのテレビや雑誌から返ってくる。それを発信者は見聞きするであろうから、その情報によって「やはりこの格好はおかしいのかな?」だとか「いや、理解できない人にはそれでいいよ」だとかどちらにしろ何らかの考えを持つので、鏡的利用は可能だと言える。
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111202
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有田 久美
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2000/09/11
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15:56:58
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課題2 問1私は服装について考えたが、服装について考えた他の人の意見を読んで、私が考えていた流行や個性といった視点だけでなく、制服など社会的立場の視点からみることに気づいた。また服装の人だけでなく様々な人の意見を読んで、今まで曖昧だったメディアの原理というものを1つ1つ明確にすることができた。 問2私が挙げた例は発信者の意図通り受信者に伝わっていない場合だったが、制服ですぐにその人の社会的立場が分かるように発信者の表したいことがうまく受信者に伝わる場合も付け加えたいと思う。その他の点では分かりやすい具体例を挙げることができたと思っている。
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139
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111207
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出口 香
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2000/09/08
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12:17:07
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問1 服装がメディアとなる場合を考える。服装はその人の個性をあらわすのに最も適したものだと思うし、服装でその人が何をしているのか、何をしていたのか、どんな職業なのかなどわかることもできる。
問2 鏡的利用はできると思う。服装を見た周りの人の反応を見て色々かんがえることもできるからだ。
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140
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111207
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出口 香
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2000/09/08
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12:24:08
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課題2 問1 自分の考えと似たものが多いと思った。服装は流行などにより伝えることもできるんだなと思った。
問2 そう間違ってはいないが言葉足らずだと思った。
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141
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111230
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佐々木 芳香
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2000/09/08
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11:46:04
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課題1 問1 服装がメディアとなる場合を考える。服装は、例えばそれが制服であるならば、その人がどのような職業の人かを、伝えているし、どのような団体に属しているかということを伝える場合もあると思う。 また、普段みんなが着ている服はそれぞれに違うもので、その人の個性を表現することができると思う。 問2 服装がメディアとなる場合、鏡的利用は、可能だと思う。例えば、ウエディングドレスを見た場合、自分の結婚式のことや、新婚時代を思い出すことができるだろうし、自分が通っていた学校の制服を見たら、自分の学生時代を思い出すことができると思う。
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142
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111230
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佐々木 芳香
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2000/09/08
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12:15:51
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課題2 問1 いろんな人の回答を読んでほとんど同じ考えだったが、その服装によって、その時代の流行がわかるという回答を私は、思い付かなかったが、そのとおりだなと思った。
問2 私は、人の服装を見て、自分の過去の体験を思い出すということを考えていたが、他の人の回答を見て、人の服装を見てその人の状況を考えることもできると思った。
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143
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111266
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安松 悦子
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2000/08/31
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17:01:57
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問い1 私は、服装の場合を考えてみた。その時、その服装とそれを見た人を媒介にして、その服を着ている人のその時の気分や体調、あるいはなにかの制服だったりした場合には、その人の職業までもが伝えられることとなる。 問い2 鏡的利用は可能だと思う。他人の服装を見て、自分と比較して参考にしたりなどである。
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111266
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安松 悦子
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2000/09/11
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16:28:44
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一度送りました。課題2の方をやりたいです。
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145
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111266
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安松 悦子
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2000/09/11
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17:01:54
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一度送りました。課題2の方をやりたいです。
課題2 問1 私は服装がメディアとなる場合を考えたが、同じ服装について書かれている意見を見て共感するものがあった。それは、洋服を着ている本人(情報の発信者)が思っていることが、そのままうまい具合にそれを見た人(情報の受信者)に伝わることは難しい、ということです。 問2 体調とかは伝わるにしても心情をつたえるのは、難しいというのを付け加えたい。
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111305
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岩本 愛子
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2000/09/04
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16:27:26
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課題1 問1 ロダンの「考える人」がメディアとなる場合、「考える人」は、「考える人」を作ったロダン(発信者)と「考える人」を鑑賞する人(受信者)を媒介し、ロダン(発信者)の思考・想像・感情を表現していることになる。また、このとき受信者中心である(受信者によってその作品の感想・受けとめ方は違うので、発信者の表現が正確に伝わるとは限らない)。 問2 鏡的利用は可能である。「考える人」というのは、自分の思考・感情をあらわしているものであり、自分を振り返るのに、適している。
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147
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111305
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岩本 愛子
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2000/09/06
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15:08:43
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課題2 問1 他のロダンの「考える人」の回答を見ましたが、どれも共感できました。とてもわかりやすく書いてくれていた方もいて、なるほどと納得できました。
問2 鏡的利用については、他の人の意見を聞くことによっても自分を振り返ることができる。
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111318
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木藤 文恵
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2000/09/04
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13:58:44
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課題1 問1 「富士山の写真」 富士山の写真という形のあるものとして残せるということをふまえると、富士山の写真は情報の保存媒体であり、物理的な存在として考えることができると思う。 そして富士山の写真は写真を撮った人と写真を見た(見せた)人とを媒介する。この場合例えば写真を撮った人が富士山に登った人であったなら、写真を見た(見せた)人に富士山の美しさ・自分が富士山に登ったことやその時の感動や思いなどを伝えられる。また写真を撮った人が日本人で写真を見た(見せた)人が外国人であったなら、この写真の山が富士山であり、日本一高い山であることを伝えることができる。 このように写真を撮った人が写真を見た(見せた)人に富士山の写真を媒介して自分の思いやメッセージを伝えることができるので、富士山の写真はメディアとなりえると考 えられる。 問2 例えば問1の例にあげたように富士山の写真を撮った人が富士山に登った人であるなら、富士山の写真を見て登った時につらかったことや登りきった時の感動などその時の思いや状況を思い出すことができる。 このように自らの思考・感情を振り返ることができるため鏡的利用は可能であるといえると思う。
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149
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111318
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木藤 文恵
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2000/09/07
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13:40:01
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課題2 問1自分と同じ「富士山の写真」についてのほかの人の回答はほとんど共感できた。「服装 」の礼服に黒いネクタイをしている人を見たときお葬式かなとその人の個人の情報やおかれた環境を知ることができるのでメディアとなるという意見について、私も例えばお店に入ったときなど制服で店員かどうか判断しているのでメディアであるという意見に共感できる。また「身振り手振り」は言語や地域によって意味が違うので必ずしも有効でないという意見について、文化が違うと同じ身振り手振りでも違う意味にとらえてしまって意志が伝わらないことがあると思うので、私も場合によってはメディアとして成り立たないこともあると思う。ただ別の人の意見で身振り手振りは人に表現したいものを伝えるものと考えると鏡的利用は不可能という意見がありましたが、例えば人に怒りを伝えるときの身振り手振りは後で自分の感情を振り返ることができると思うので 、鏡的利用は可能だと思う。 問2「富士山の写真」 他の人の意見を読んで見て、自分の意見はほとんど変わらなかったけど、写真を見る人が富士山を知っているかいないかという知識の差があるかどうかによって、受信者である人のとらえ方は違うんだなと思った。
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150
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111332
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田中 珠美
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2000/09/06
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11:34:20
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課題1 問1身振り手振りガメディアとなる場合は言葉だけで会話するに足りないときである。例えば自分と異なった語を話す人と会話するときや話しをよりリアルにするときなど様々な場合がかんがえられる。このとき、身体と視覚を媒体として発信者の考え、感情、意図など基本的なものから複雑なものまで伝えている。伝達目的は場合によって異なる。 問2思考、感情を振り返る過程で身振り手振りはよりふりかえりやすくする役割を果たすので鏡的利用は可能である。
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111332
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田中 珠美
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2000/09/06
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15:14:44
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課題2 問1共感できる回答は学籍番号101143.101504.103401の方の回答です。それぞれウエイトレスの例、高校野球のサインの例、ジェスチャーゲームの例がかいてありましたが、だれもが経験したことのあるような日常的な例でした。共感する理由はその場面を思い浮かべた上で納得したからです。 問2身振り手振りがメディアとなる場合はことばだけで会話するに足りないときである。たとえば自分と異なった語を話す人と会話するときで、具体的には海外旅行などで道を尋ねたいときやほしいときものを買いたいときに身振り手振りで表現することが考えられる。また話をよりリアルにしたいとき、具体的にいうと、目撃したヘビの大きさを言い表したいとき言葉だけでなく身振り手振りをいれて「こんな大きなヘビ」としたほうが相手にも伝わるというものである。他にも耳が聞こえない人とちょっとした会話をするとき、スポーツの試合などで指示やサインを相手にわからないように伝えたいときなど身振り手振りが有効である。このとき媒体となるものは身振り手振りを行う「身体」とそれを見る「視覚」であると思われる。鏡的利用に関しては可能である。なぜなら相手に伝わらなかったときや他の人の表現の仕方を見て自分の表現を振り返ることができるからである。
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112001
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秋根 恵
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2000/08/18
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0:37:01
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問1.服装がメディアになる場合を考える。 例えば、高校の制服を着ている人が目の前にいるとする。彼は何も言わずとも、学生であるという事実を周りの人に伝達しており、周りの人もまた、彼は学生であるという情報を受け取っている。
問2.服装がメディアとなる場合、鏡的利用は可能かどうか吟味する。 高校の制服を改造している生徒がいるとしよう。服装には自分の好みや感情が自然と表れるものだから、その生徒が大人になって、その改造した制服を着ている自分を後に客観的に見たときに、どうしてあのような格好をしていたのだろうなどの何らかの感想を持つだろう。そういった意味で、鏡的利用は可能であると言える。
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153
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112001
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秋根 恵
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2000/09/06
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8:39:05
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課題2 問1.自分も選んだ「服装」について共感する意見があった。私の場合、学生服など、周りによって決められている服などにしか考えていなかったため、私服について の意見は意外だった。 私は吉澤さんの意見に同意する。制服などよりも流行を追った服装の例のほうが理解しやすいのだろうと思った。吉澤さんが言うように、確かに流行の格好をしている本 人と、それを見ている周りの人では、その流行の服に対する見方や考え方も異なる。発信者の伝達目的がそのまま受信者に伝わるとは限らないのだ。自分の意見にそこまで考えることができなかった視野の狭さを感じた。
問2. 課題1の問1 例えば、高校の制服を着ている人が目の前にいるとする。彼は何も言わずとも、学生であるという事実を周りの人に伝達しており、周りの人もまた、彼は学生であるという情報を受け取っている。発信者の伝達目的をそのまま受信者に伝えることができるとは限らないが、この場合はそのまま伝えることができたといえる場合だろう。よって、服装がメディアになるといえる。
課題1の問2 服装がメディアとなる場合、鏡的利用は可能かどうか吟味する。 高校の制服を改造している生徒がいるとしよう。服装には自分の好みや感情が自然と表れるものだから、その生徒が大人になって、その改造した制服を着ている自分を後で客観的に見たときに、どうしてあのような格好をしていたのだろうなどの何らかの感想を持つだろう。そして、過去を振り返ることによって自分が高校生だったときにどのような考えからそういった服装をしていたのかという理由を思い出すことができる。そういった意味で、鏡的利用は可能であると言える。
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112002
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金縄 知恵
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2000/09/01
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5:41:30
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課題1 問1 「服装」がメディアとなる場合は、それが世の中の(特に若者を中心に)流行を示唆する場合であると思う。「流行の先端としての服装」を、メディアに介して多くの人々に伝える時、最初はメディアが、その服装の情報を伝達するものであっても、いつしか「服装」自体がメディアそのものとして動き始める。 例えば、「今年の秋は赤いワンピースをはやらせよう」と意図され、マスメディアを通じて需要世界に押し出された「服装」は、最初はブラウン管を通して人々の目に触れるものであっても、3日後には街中で人々の目に触れることになる。当然、等身大の身近な人間がそういった服装をしているのを見る方が、その服装に対する意識が向きやすいので、その服装の情報を追い始める。そうして流行が始まるのではないだろうか。マスメディアを媒介として伝えられたものが、それ自体メディアとなるのは、こういう場合であると思う。 [服装」がメディアとして伝えるもの、それはマスメディアと人間を媒介して、「流行」を伝達目的とするものであると考える。
問2
「服装」がメディアとなる場合、鏡的利用については可能であると思う。問1で、「流行」を中心に「服装」について述べたが、他人と自分の服装を比べることで「流行」における、自分の「服装」に対する考え方がわかるし、また、自分の服装から自分の内面を振り返ることができると思う。人間の性格をよく表しているものには、まず「服装」があるのではないかと考えるからである。
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155
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112002
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金縄 知恵
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2000/09/09
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2:06:05
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課題2 問1 「服装がメディアとなる場合」の意見についての他の回答を読んでみたが、どの回答も、私との「メディア」の捉え方が微妙に違っていたように思えた。情報を伝えると言う観点からは、やはり「制服が表す意味は学生であること」や、「喪服はほとんどが黒であり、黒が礼服を表している」という意見に共感できる。「服装」が伝える情報とは、やはり、その人がどういう職業の人であるのか、どういう状況に置かれているのか、どういう性格の人であるのかということがまずは、明らかに分かるということなのだと思うからだ。だとすると、「服装」が伝える情報とは真偽の紙一重なのかもしれない。私達に先入観をもたせるのは「服装」であり、私達はなかなか先入観から抜けきることができない。そういう意味での鏡的利用もありえるのではないか。
問2 私は、「服装」がメディアになる場合、それは「流行」を伝えているのだと前回で回答したが、「服装」が情報として伝えているものは、他人に対する判断と先入観なのではないだろうか。その逆に、自分が他人に対してどう見られたいかと振り返られることが、鏡的利用の一つであると思う。
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156
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112002
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金縄 知恵
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2000/09/09
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2:13:39
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課題2 問1 「服装がメディアとなる場合」の意見についての他の回答を読んでみたが、どの回答も、私との「メディア」の捉え方が微妙に違っていたように思えた。情報を伝えると言う観点からは、やはり「制服が表す意味は学生であること」や、「喪服はほとんどが黒であり、黒が礼服を表している」という意見に共感できる。「服装」が伝える情報とは、やはり、その人がどういう職業の人であるのか、どういう状況に置かれているのか、どういう性格の人であるのかということがまずは、明らかに分かるということなのだと思うからだ。だとすると、「服装」が伝える情報とは真偽の紙一重なのかもしれない。私達に先入観をもたせるのは「服装」であり、私達はなかなか先入観から抜けきることができない。そういう意味での鏡的利用もありえるのではないか。
問2 私は、「服装」がメディアになる場合、それは「流行」を伝えているのだと前回で回答したが、「服装」が情報として伝えているものは、他人に対する判断と先入観なのではないだろうか。その逆に、自分が他人に対してどう見られたいかと振り返られることが、鏡的利用の一つであると思う。
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112003
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黒木 隆志
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2000/08/28
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13:25:32
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課題1の解答 わたしは、壊れたコップがメディアとなる場合について考えた。壊れたコップは、普通の(正常な、壊れていない)コップとは違うので何らかの事件、変化のあったことを伝えるメディアとなる。また同じ状況でも、解読のコミュニケーションと解釈のコミュニケーションでは、同じ壊れたコップが全く違う情報を伝達する。 ある家の前に壊れたコップが落ちているとする。(状況) まず、解読のコミュニケーションにおける壊れたコップは、発信者が意図的においたものである。そして、この家の奥さんは実は夫の目を盗んで、愛人を家に招き不倫をしているとする。夫に見つかっては家庭が崩壊するので、夫のいるときは壊れたコップを、夫のいないとき普通のコップを玄関脇においておく(コード)。愛人は普通のコップの時は家に入っていく、壊れたコップの時はさも通行人かのように何気に通りすぎていく(解読)。夫のいるいない(情報)はコップに符号化され、愛人にのみ複号可能な重要なメディアとなる。夫のとってはただのゴミでしかなく、本当に意図された情報の複号は不可能である。 次に、解釈のコミュニケーションにおける壊れたコップは、この家の者によって偶然に(意図せずに)置かれた(この場合は捨てられたという方がいいかもしれない)コップとする。そして私(自分)はこの家の隣のアパートの201号室(角部屋)に住んでいる。そして、昨日ナイター中継をみながらビールを飲んでると、隣の家から大きな怒鳴り声と、ガラスの割れる音が聞こえた(文脈1)。次の日、会社に行こうとこの家の前を通ると、割れた皿や、足の折れたいすが割れたコップとともに捨ててある(文脈2)。駅に着くと、ホームには、隣の亭主がいたが、顔は絆創膏だらけだ、痛々しい(文脈3)。さらに、帰り道、隣の家の前にはガラス屋のトラックが止まっている(文脈4)。私は、昨日の夫婦げんかは今までで最高だったんだなぁ(情報)と思う。壊れたコップは、文脈2の一部として登場し、昨晩の夫婦げんかのすさまじさを表す物理的証拠としてのメディアになっている。 あるいは、この家の子供はやんちゃ盛りの小学一年生である(文脈5)。昨晩、この子を叱りつける母親の怒鳴り声が聞こえた(文脈6)。その後、子供はわあわあ泣いて「くそばばあー」と叫びながら公園の方向に走っていった(文脈7)。そうして、次の日出勤途中に壊れたコップをみた、なにやら豪華な装飾が施してある高そうなコップだった(文脈8)。私は、このコップを割ったからあんなに怒られていたのかと思う(情報)。前例と同じく情報を物理的に支えている。 このように同じ家の前にあるコップが解読のコミュニケーションでも、解釈のコミュニケーションでもメディアとなる。
課題2の解答 解読のコミュニケーションにおける割れたコップはそれ自体第三者には解読困難なので、鏡的利用は難しい。もし自分が、相当勘のいい人で解読できたとしたら、自分もこの手を使おうという形での鏡的利用は可能といえなくもないかもしれない。解釈のコミュニケーションにおける壊れたコップは、比較的誰にでも情報を得やすいので、鏡的利用の可能性はずっと高い。夫婦げんかの例ならば、うちはあんな風になってはいかんとか、うちは程々にしようとか、もっと家族サービスしなくてはなどと自分で振り返るだろう。子供の例にしても、うちのしつけは甘いのではなかろうかとか、あんな派手な子とすると近所の噂になってしまうからよそうなどと振り返って思う。解釈のコミュニケーションでは鏡的利用が大いに可能である。
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158
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112006
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日高 由起子
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2000/08/31
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16:49:04
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課題1 問1 服装がメディアになる場合、その服装はその人物を如実に表しており、どんな人間であるのかを考える手がかりになると思う。きちんとした格好、例えばビジネスマンが着るようなパリッとしたスーツは、見る側にその人物が信用できる人物・責任感のある人物だと思わせるし、その服装をする人自身もその効果を狙っていると言える。また逆にだらしない格好をしていれば、いいかげんな人物だと思われてしまい信用されない事もあるだろう。 つまり「服装」とは、それを着ている側と見ている側との二者間の間を媒介する「メディア」になりうるものであり、その人物の人間性を「見た目」で伝える最も簡単な伝達手段であると思う。
問2 服装の鏡的利用は可能である。なぜなら、上記のとおり、服装とはその人物をもっともよく表すものであり、まさに「鏡」のようにその人を映すものだからである。コミュニケーションの場においても、また自らの思考・感情を振り返る場合においてもその時の服装が表すものは重大な意味を持っているといえる。
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159
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112006
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日高 由起子
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2000/09/11
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14:49:07
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課題2 問1 他の人の回答を見て興味を引かれたのは、服装が「流行」を示唆するものである、という考え方である。私は服装を「見た目でその人を判断する材料」として回答したが、ある服装を流行らせようとして発信された情報をテレビや雑誌などのマスメディアを通じて一般の人々に配信し、それによって街中でその服装が流行りだすといった「情報伝達」の役割を「服装」が果たしている・・・というまったく私と異なった視点で同じテーマを追求している事に感心した。「マスメディアを媒介として伝えられたものが、それ自体メディアとなる」場合もあるのだということに気づかされた。
問2 自分の回答は、問1で述べたほかの人の事例とはまた違った視点で「服装」について述べているので、あえて訂正することはないと思う。
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160
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112008
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補伽 理恵
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2000/08/31
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16:58:29
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問1 身振り手振りがメディアになる場合を考えてみる。身振り手振りによるコミュニケーションは言葉が通じない人(例えば外国人や、言葉を発することができない人)と会話するときや、声によるコミュニケーションをすることが不可能な場合(窓越しに会話とか、静かにしていなければならない状況での意思疎通など)に行われる。言葉を発していても、身振り手振りをつけることもある。この場合、言葉では伝えにくいことを具体的に伝えるためのものとなっている。 身振り手振りは、人の動作や表情を媒介として、人の表現したいことを伝えるコミュニケーション手段として、メディアになっていると思う。 例えば、何か物を持ってきてもらうとき、名前などが思い出せなくても、身振り手振りにより、大きさ、形などを示すことにより、ただ「あれ持ってきて」というよりわかりやすいと思う。 身振り手振りによりコミュニケーションが取りやすくなっていると思う。 問2
身振り手振りはというのは、鏡的利用が可能とは言いづらい。身振り手振りを人に表現したいことを伝えるものと考えると、自らの思考・感情を振り返る時にはあまり用いられないだろう。
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161
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112008
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補伽 理恵
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2000/09/11
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14:51:02
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課題2 問1 「身振り手振りは、発信者が何かを伝えようとするとき、相手の視覚に訴えることにより、コミュニケーションを図ったり、いっそう深くしたりするものといえる」この回答は私の言いたかったことをわかりやすく書いていると思った。「同じ身振り手振りであっても、国や民族が違うと意味が変わってくるので、誰にでも意志を伝えることができるわけではない」という考え方には共感出来なかった。確かに国や民族が変わってくると身振り手振りの意味は変わってくるかもしれないが、まったく言葉の通じない場合は やはり身振り手振りは有効だと思う。 問2 私は以前の回答で鏡的利用は不可能と書いたが、「身振り手振りという動作の一つ一つを自分で見直したり、相手の反応を見ながら振り返る場合、自分が伝えようとした思考や感情を客観的に見ることができる」という考えを読んでなるほどと思った。このように考えると鏡的利用も不可能ではないと思った。
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162
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112010
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横濱 さゆり
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2000/08/31
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16:31:30
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問1 富士山の写真がメディアになる場合を考える。これはまず富士山を写すカメラと現像するマシーンが媒介となって、富士山と認識される写真が出来上がる。写真を見る人に対して、季節や天気による影響を受けた日本一の高さの山の真実の姿を教えてくれ、その様子や映り具合にもよるだろうが、偉大さや美しさなどの感動を伝えてくれるだろう。伝達目的は、カメラマンが富士山にいった時の思い出を振り返るためや、その思い出を誰かに伝えるためにメディアとして残し、お土産話に花を咲かせるためである。 問2 これは鏡的利用は可能である。なぜならば、人はあらゆる物に思い入れというものがある。写真を見ると、この時は天気が悪くて、足場が滑って大変だったとか、この風景を見たときに感動して涙を流したといった過去の思いや情景が浮かんでくるからである。
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163
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112010
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横濱 さゆり
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2000/09/11
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16:16:18
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問1 富士山の写真がメディアになる場合に、日本と外国人旅行者を媒介にして、日本の象徴的役割をしているという意見があったが、それは、メディアのコンテキスト依存・解釈・受信者中心のある限られた場合の一面しか当てはまらないと思った。いくら外国人であっても、みんながみんな富士山の写真を見て、富士山だとは思わないだろうし、それを見たからといって日本を連想する人はまちまちかもしれない。富士山に登った外国人が、日本にきた思い出が残る道具としての写真ではないだろうか。媒介者も、外国人に限定できるものではないと思う。だから、具体的な人や、状況に関わらず、写真の出来上がる工程で媒介が生じ、実際に富士山を撮った人や、(発信者中心)その写真を見た人(受信者中心)によって意味ずけられるものは違ってくる。だから、物理的にその人に何らかの感情を芽生えさせるので、情報を写真は支えるものである。
問2 自分の意見と大体同じ人が多かったが、媒介をどう考えるかが難しい。
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164
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112314
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森崎 恭輔
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2000/09/04
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16:12:28
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問1 服装と言うものは、それを着ている人のセンス、好み、自己主張の強さ…と、様々なものを現している。そのため、自分が着る服は人の目を考えたりするので、自分の服装を見る人を媒介し、自分そのものを表現していると考えます。
問2自分の着ている服を、客観的に見て自分で批評することなどがあるので、鏡的利用は、可能であると考える。
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165
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112314
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森崎 恭輔
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2000/09/04
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16:28:40
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課題2 問1 みんなの回答を見て回りましたたが、やはり自分と同じテーマ「服装」をえらんだ人たちの意見が気になりました。みんなはどんな服に興味があるのか、また服装に対してどのような考えを持っているのか…全体的に、みんなこのテーマを選んだ人たちは自分と考えが似ている、と思いました
問2 みんなの回答をみたけども、ほとんど自分といっしょの意見であると、感じたので意見はまったく変わりませんでした.
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166
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112314
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森崎 恭輔
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2000/09/06
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14:40:43
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課題2 問1 みんなの回答を見て回りましたたが、やはり自分と同じテーマ「服装」をえらんだ人たちの意見が気になりました。みんなはどんな服に興味があるのか、また服装に対してどのような考えを持っているのか…全体的に、みんなこのテーマを選んだ人たちは自分と考えが似ている、と思いました
問2 みんなの回答をみたけども、ほとんど自分といっしょの意見であると、感じたので意見はまったく変わりませんでした.
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112316
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山名 健作
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2000/08/31
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9:19:47
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問1 「服装」について述べる。メディアは意味付けられた情報を伝達したり表現したりするものである。服装がメディアになる場合、服を着ている人から、その服を着た人を見る人にその服の持つ意味を伝えることになる。服装を整えることは他人に自分の今の状態等を伝えることになる「発信者中心」のコミュニケーションであり、その服を着た人を見た人は、服装からその人の状態等を想像する「受信者中心」のコミュニケーションとなる。服装を整えた人を見ることによって、それを見た人は勝手な想像はできるが詳しいことは服装を見ただけでは伝わらない。しかし、少量の情報は伝達できるので、伝達型のコミュニケーションとしてメディアとしての働きを果たす。 問2 「服装」がメディアとなる場合、鏡的利用は可能だと言えると思う。鏡的利用とは、リフレクションであり、思考・感情を外に出し、振り返ることである。なぜそんな服装をしているかということを、客観的に振り返ることができるから可能である。
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112316
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山名 健作
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2000/09/11
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19:46:01
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問1問2通し 服装をテーマに選んだ人たちの回答を中心にみた。みんながどのような服装をメディアとしてとらえているか、服装がメディアとしてどのような働きをするか見せてもらった。自分は服装が媒介となって人と人が情報を伝達しあうようなことを書いた。他の人の回答で、服を着ている人のみがその服の真の意味を理解でき他の人は本当の意味を理解できるわけではないから発信者のみがメディアであるという内容の意見を見た。逆に、その服装を見た人は、その服について勝手に想像するわけだから受信者のみがメディアであるという意見もあった。 しかし私は、その本当の意味が伝わらなくても、なんらかの情報を伝えることはメディアであると考えている。自分の意見は変わらなかった。
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112410
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樋口 美由紀
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2000/09/11
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13:31:33
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先生、私、パソコンがゆうことをきかなかったため、ィーメールでお送りしたのですが、届いたでしょうか?ちゃんと送り直します。 服装がメテ゛ィアになる場合を考えてみる。そのメテ゛ィアを見ている私たちは、メテ゛ィアによって映し出された像を受け取る。これは受け身的なものである。その像と私たちの目をとうして、イメージを伝えていると思う。 テレビに出てくるタレント、雑誌のモデルにしても、一番の流行ものを身にまとい、最先端な感じのイメージを作りたい人ならそのような服装をしてメテ゛ィアに登場するだろうし、ずっと子役で有名だった人が20歳近くになって子役のイメージから抜け出したいなら、大人っぽぃ服装をしてイメージを新しく作りだそうとするだろう。 また、飲食店の人が着ているような服装や仕事のときに着る服装もイメージを与えているように思う。
問2 服装がメテ゛ィアになる場合、鏡的利用は可能である。服装を記憶したメテ゛ィア、例えばビデオ、テレビ、雑誌は存在するし、それらをふりかえって見ることで、現在のそれと比較することもできる。
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170
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112410
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樋口 美由紀
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2000/09/11
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13:44:52
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先生、私、パソコンがゆうことをきかなかったため、ィーメールでお送りしたのですが、届いたでしょうか?ちゃんと送り直します。 服装がメテ゛ィアになる場合を考えてみる。そのメテ゛ィアを見ている私たちは、メテ゛ィアによって映し出された像を受け取る。これは受け身的なものである。その像と私たちの目をとうして、イメージを伝えていると思う。 テレビに出てくるタレント、雑誌のモデルにしても、一番の流行ものを身にまとい、最先端な感じのイメージを作りたい人ならそのような服装をしてメテ゛ィアに登場するだろうし、ずっと子役で有名だった人が20歳近くになって子役のイメージから抜け出したいなら、大人っぽぃ服装をしてイメージを新しく作りだそうとするだろう。 また、飲食店の人が着ているような服装や仕事のときに着る服装もイメージを与えているように思う。
問2 服装がメテ゛ィアになる場合、鏡的利用は可能である。服装を記憶したメテ゛ィア、例えばビデオ、テレビ、雑誌は存在するし、それらをふりかえって見ることで、現在のそれと比較することもできる。
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171
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112410
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樋口 美由紀
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2000/09/11
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14:23:47
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他受講生の解答を見ての感想9・11までの提出分 この分はここに送っていいのですか?
私は101129の人の回答を読んで この人の回答は、私の回答と似通った面があるように思いました。その人の回答は、「発信者・受信者を媒介として、発信者の属する学校・社会・団体等、またはその日の気分、経済的なもの、発信者の個性が伝達可能になる」(服装の場合)というものだった。私の回答は、「イメージを作り出す」という発信者の意図的なものが含まれているのに対して、この人の回答は発信者の服装が意図的ではなく、自然のものであるという点が違うのであって最終的には、「発信者の個性が伝達される」というてんは同じであると思う。この人の回答は、「発信者の属する学校・・・・」というところから、その集団に属する人なら、必ず着用しなければならないものであるので、発信者が意図的に何か(私の場合はイメージとして考えるが)を伝えている様子はないが、服装がメテ゛ィアになる場合は、発信者が意図的に何かを伝える場合と、自然と伝える場合があると思う。
9・1までに提出の分は、メールで送り、また遅れて解答欄のあるホームページに送ることになりまして、すみません。9・11提出分は締め切りどうりお送りします。
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112509
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丸山 薫
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2000/09/02
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1:49:44
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課題1 問1 私は身振り手振りについて考えてみた。身振り手振りとは、自分の体と情報を伝える相手の目を媒介として自分の意思を言葉を使わずに伝える。例えば外国に行った時など言葉に不自由するときに、顔の表情や大きなリアクション、ジェスチャーなどで伝えることが出来る。ただし、これは、伝えたい時には「動いている自分」と、それを見ることが出来る距離にいる「相手」が必要となる。なので、リアルタイムでないと伝えることが出来ない。 問2 「身振り手振り」という行動は進行形であるから、時間が止まっていれば、それは「身振り手振り」ではないから鏡的利用は不可能だと思う。ビデオなど、進行形の姿を記録できるものであれば鏡的利用は可能である。
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173
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112801
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伊差川 日南子
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2000/09/11
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12:13:45
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課題1. 問1.服装のことについて述べたい。人は服の色や形によ って、その時の状況や気持ちを伝えていると思う。服の色が暗いと、冬といったすこし冷たい状況や、寂しい物悲しいといった気持ちを感じとることができる。結婚式では、花嫁衣装(ウエディングドレス)、学生は制服といったように、服装は状況によって決められたりしていることもある。 問2.鏡的利用は可能であると思う。花嫁衣装を見るとその時の自分の感情を、もう1度呼び起こすことが可能である。 9月2日までにアクセスしましたが、できなかったので提出がおくれました。すいません。
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112801
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伊差川 日南子
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2000/09/11
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12:33:50
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課題2 問1.私は山村さんの回答をみて、制服だけでは誰がその職業なのかは伝達することができず、制服のもちぬしがいてはじめてメディアとなるという意見に共感できた。私は制服のみで状況や気持ちを伝達できるとかいたが、実際誰の気持ちなのかという、対象まで書いていなかった。確かに、制服なら私も持っているわけだし、それを着衣することによって、初めてその人地位や状況を把握することができると思った。 問2.服装によって、ある人の地位や状況など把握することは可能だが、それは受信者の見方や価値観に影響されるものだと思った。
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112802
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梅田 夏美
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2000/09/11
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12:03:08
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問1 服装で考えた場合、例えば、看護婦や警察官または学生などは、制服がある。このように制服でその人の職業や今ある立場を表している。だからそれがメディアとなるだろう。 問2 その人たちの服装があいまいだと、周りから見たら、おかしく思う。例えば病院に行って、看護婦さんが制服着てなかったら、信用がうすれてしまう。
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112802
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梅田 夏美
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2000/09/11
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12:25:39
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課題2 問1 私は服装について書かれてあるのを中心にみていきました。だいたいおなじようなことが書かれてありました。ほかの回答も見たけど、みんなすごいなぁと感心しました。特に101116の方のコップのがすごいと思いました。 問2 ほかの服装について書かれてあったのとほとんど同じだったのでこのままでいいと思いました。
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112803
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小川 矢絵
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2000/09/11
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16:11:32
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問1.服装の場合、身につけているものでよくその人の個性が表わされているという。そう考えると、自己表現の一つとしてどういう容姿をしているかでそれを見た人が、無意識のうちに相手からの情報を受けとっているといえる。服装として少しずれるが、例えば、刺青をしている人を街中で見かけた。ここで一般に人は、その発信者からどのような情報(メッセージ)を受け取るだろうか。つまりは、刺青を媒介にして恐怖を伝えている。この伝達目的は、おそらく、”ハク”をつけることや、”自分はそこらへんの人とは違う”ことを表現するためだと考えられる。
問2.時が経ち、昔の自分の格好を写真等で見てみる。すると、当時はこういう意図があってこんな格好をしていたな、と振り返り見ることが可能である。よって、鏡的利用は可能といえる。
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178
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112803
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小川 矢絵
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2000/09/11
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16:42:06
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課題2. 問1.私は、中原さんの意見に共感できた。身振り手振りの場合について書かれたものであったが、その場合、自分も問1はすぐに思いついた。しかし、問2の鏡的利用については、どうだろうかと思っていた。ところが、中原さんの回答を見て確かに鏡的利用が可能であることがわかった。
問2.自分の回答で服装は個性を表現するとしていたが、例外も考えられる。それは、服装面での表現力が乏しいために、自分が本当に表現したいものとずれて情報を伝えてしまうことがあるということである。それも考慮する必要があると思った。
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179
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112804
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清水 真理子
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2000/09/08
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16:07:16
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課題1 問1 服装がメディアとなる場合を考える。 服装がメディアとなる時、服を着ている人と、それを見る人を媒介として、服を着ている人の個性や趣味を伝えていると思う。いつも同じ系統の色の服を着ている人を見ると、ああこの人はこういう色が好きなんだなと感じることがある。実際、私自身も持っている服の色は同じ系統の色のものが多く、その色はやはり私が好きな色だし、友達にもこの色好きだよねといわれたことがある。また、服の色にはそれを着ている人の気分も表れていると思う。例えば葬式などの悲しい場面で着る服の色と、パーティーなどの楽しい場面で着る服の色を比べてみると、服装がその人の気持ちを伝えていることがわかる。 問2 服装がメディアとなる場合、鏡的利用は可能だといえる。例えば、喪服を着ている人を見るとたいていの人は悲しい気持ちになる。身近にいる人を亡くしたことのある人はその時の気持ちを思い出すと思う。逆に、ウエディングドレスを着ている人を見ると、その人がうれしい気持ちであることが想像できるし、結婚を経験したことのある人は、それを見て自分が結婚した時のことを思い出すと思う。このように鏡的利用は可能である。
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112804
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清水 真理子
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2000/09/08
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16:56:18
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課題2 問1 私は服装をメディアとなる場合を考えた。でも、私服でなく制服を着用した時のことは考えていなかったので、何人かの人が制服がメディアとなる場合について書いていたのを読んで、とても新鮮だった。確かに、制服というものはそれを着ている人の職業や地位を周りの人に伝えているといえる。それから、服の流行についての意見もおもしろかった。似たような服を何人もの人が着ているのを見れば、 これが流行だと思う。着ている人も、きっと流行を意識していると思う。いろいろな服装が日常生活の場でメディア となり、いろいろなものを伝えていることに気づいた。 問2 私は喪服とウエディングドレスを例に出した。しかし、他の人の回答を読んで、喪服やウエディングドレスを着ている人の気持ちが想像できてもそれが本当なのかは分からないので、この場合は受信者(見る人)中心のものであるということには今気づいた。鏡的利用については、前回の考えの通り可能だと思う。だからやはり、服装は十分メディアになっていると思う。
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112806
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仲尾 梨沙
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2000/09/11
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15:31:53
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<課題1> 問1 服装がメディアとなる場合を考える。 服装は、着ている人の心情、価値観、また、その時代を、表している。 例えば、同じデートに誘われたとして、恋愛感情を持っている人が相手なら、キャミソールにミニスカートと女らしさをアピールした服装で出かける。しかし、そうでもない人が相手なら、変な気を起こされないようにズボンできっちりした服装でいく。これは、相手に対する寛容度を服装を媒介にしてあらわしている。
問2 服装は鏡的利用が可能であると考える。高校の制服を見ると、そのころの彼氏のことを思い出し、甘く切ない気持ちがよみがえるからである。
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182
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112806
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仲尾 梨沙
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2000/09/11
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16:05:42
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課題2 問1 服装について書いてある人のを中心に見ていった。だいたい、同じ意見のものが多かった。ただ、私たちは服装によってイメージを勝手に決めたり、間違った情報を取り込むこともある。服装からの情報にたより過ぎてもいけないかなと、思った。例えば、警官の服装の人が、みんな正義感のある規律のある人ではないように。
問2 自分に意見は変えるつもりはない。ただ、ほかにも服装には、心情、価値観、時代を表すだけでなく、職業、地位、などさまざまなものを伝えていることにきずいた。
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112809
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水原 美咲
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2000/09/11
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12:01:31
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課題1 問1 身振り手振りがメディアとなる場合。 話すときの身振り手振りは、言葉を補い、表現を視覚化して、コミュニケーションをより具体的なものにし、また話し手の説得力を高めていると思う。その場合、両者の目を媒介して、身振り手振りしている側の感情や意志、熱意などを伝えていることになると思う。例えば、手振りの場合、指で指示して「それ」「あれ」「あっち」、手の平を下にして上下に振れば「おいでおいで」、手の平を上にして上下に振れば「向こうへいけ」、顔の前で左右に振れば「違う」「いらない」の否定の意味を表し、身振りの場合、首を左右に振れば「No」、首を前後に振れば「Yes」などの、表現者の意志を表していると思う。ただし、同じ身振り手振りであっても、国や民族が違うと意味が変わってくるので、誰にでも意志を伝えることができるわけではない。 問2 身振り手振りの鏡的利用は可能だと思う。首を左右に振ることで、自分の意志は「No」であったことは思い出せるし、身振り手振りがきっかけになって、自らの感情を振り返ることはできると思う。
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112809
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水原 美咲
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2000/09/11
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12:27:49
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課題2 問1 101109の岡崎さんの回答を読んで、私は同じ民族間のみというか、身振り手振りが共通の人たちのコミニュケーションの場合しか考えていなかったことに気づいたので、共通でない場合についても考えようと思う。手の平を上下に振って「おいでおいで」という表現は、人によってはちゃんと意志が伝わらない場合もあると思う。しかし、手で数を表現する場合や、手で形を表現する場合は、違う民族であっても意思が伝わると思った。しかし、私は課題1の問2で書いたような理由で、鏡的利用は可能だと思う。 問2 考慮が足りないところはあったが、基本的には自分の回答を訂正しなくてもいいと思う。
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113002
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高橋 正貴
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2000/08/29
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1:41:01
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課題1 問1.私は「身振り手振り」がメディアとなる場合を考えてみた。私は6月にある障害者施設に5日間の介護体験に行った。そこには様々な障害をもった人達がいて、特に老人が多く耳が聞こえにくかったり、ほとんど聞こえない人が少なくなかった。施設のスタッフのそのような障害者の人との接し方を見てみると、常に口を大きく開き、しっかりと動かして大きな声で話し、相手の目を見て身振り手振りでコミュニケーションをとっていた。全く聞こえない人もいたので手話も交えて接していた。私達も同じ様に耳の不自由な人達と接したのだが、これは耳の不自由な人達とは声のかわりに、主に口の動きや表情、身振り手振り(手話)を使って会話をし、お互いの意志を伝えあっているのである。この場合、身振り手振りは耳の不自由な人達と他の人達の会話、意志を伝えあう為のメディアである、と考えられる。
問2.身振り手振りの鏡的利用は可能と思われる。なぜなら、実際私が介護体験を終えてから88才になる叔母と話す時、ただ大声で話すのではなくだんだん耳が聞こえにくくなっているのを考慮して、施設で学んだ事を思い出して口をしっかりと動かし、目を見て身振り手振りを交えて喋るようにしているからである。
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113002
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高橋 正貴
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2000/09/11
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21:41:40
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課題2 問1、身振り手振りの鏡的利用が不可能、という意見について異論がある。まず、会話というコミュニケーションで人が話す時は、普通話したいと思った事を即座に口にして言葉に出している。これに対して手話などの身振り手振りは、言語、言葉だけでは相手とのコミュニケーションが十分にとれない時などに使う二次的なコミュニケーションと考えられる。つまり、一度言いたい、伝えたいと思った事(言葉)を頭の中で身振り手振りに置き換えてコミュニケーションを取っているのである。自分の思考を言葉でなく、身振り手振りで考えられる人が何人いるだろうか。この場合、身振り手振りする事自体が頭の中で言語を身振り手振りに変換する思考をしていて、人によって意味付けられたメッセージを物理的に支える働きをしている。よって、鏡的利用は可能と考えられる。 問2、自分は一つの事例から身振り手振りがメディアとなる場合を考えたが、その鏡的利用が可能かどうかを考えた時にその事例をもとにただ可能かどうかを考えただけ(分析しただけ)で、それを踏まえた理論的、総合的な吟味ができてなかった。そして、今回自分なりに鏡的利用が可能かどうかを問1のように考え直してみた。
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114009
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大平 あゆみ
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2000/09/12
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11:39:27
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1回目をメールで送ったのですがとどいたのでしょうか?
問1.共感できるものは多くあった。もっとも共感できたのは写真は元々鏡的利用のためのものだということ。思い出や記録として残すためにとるのだからなるほどと思った。 問2.一つ思ったのはもし富士山をまったく知らない人が写真を見た場合写真撮った人の思いはうまく伝わらないのではないかと思った。
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114019
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佐々木 玲子
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2000/09/12
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11:37:08
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ページが表示できなかったので、課題1はメールで提出しました。
課題2 問1 私は「富士山の写真」がメディアとなる場合を考えた。ほかの回答には共感できるものがたくさんあった。富士山の美しさを伝えるという意味でメディアになるという考えは、私の回答にはなかったので、とても参考になる考えだった。
問2 回答は以前のままでよいと思う。
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115004
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大川 めぐみ
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2000/08/31
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16:52:20
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<問1> 私はここで「富士山の写真」を取り上げてみたい。私たち日本人は「富士山」を「日本一高い山」として理解している。これは事実であるし、私自身も山を思い浮かべるとき山頂に雪が残っている富士山を思う。 これからこの「富士山」がメディアとなる場合を考えていきたい。われわれ日本人が、(ここで日本人と強調するのは、日本で生まれながらに生活してきた人でなければ、高い山として富士山を上げることはないかもしれないからである。)富士山の写真を見るとき、「大地にそびえ立つ富士山」と「その上にある青空」から「自然の大きさ」を伝えられることになる。富士山の大きさは実際に見てみなければわからないことではある。しかし、「これが日本一高い山なんだよ。」といわれて見ると「これが一番高い山なんだ。すごいなあ。一度行ってみたいものだ。」ということにもなるだろう。このような思いを持たせることができたなら、メディアとしての働きを持つことになるといえると思う。 さらに日本人は、昔から自然をこよなく愛するという習慣のようなものがある。だから、私たちが富士山のように「大自然」を感じさせるようなものを見ると、「心が洗われるようだ。」という思いになる人も多いと思う。このように「富士山の写真」を媒介として「精神的な安らぎのようなもの」を伝えようとしているといえるとも思う。
<問2> 「富士山の写真」がメディアとなる場合、鏡的利用は可能であると私は考える。なぜなら、多くの人が小学生時代、あるいはその他のときに「山」というものがどのような存在であるかということを知っているからだ。そして、かつての自分自身の経験と結び付けて、楽しかったことであったり、つらかったことを思い出すことになる可能性があるからだ。そのときのことを思い出して、「あのころはよかった。それなのに今は何をしているんだろう・・・」と思う人もいるだろうし、「あの時はあんなに悩んでいたけど今はここまで自分が変わることができた」と思うこともできると思う。 だから私は「富士山の写真」がメディアとなる場合、鏡的利用は可能であると思う。
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115004
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大川 めぐみ
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2000/09/08
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15:52:28
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問1 私は須藤さんの意見に共感を覚えた。私たちが富士山の写真をもって話をするときを考えると、そこで用いられる写真は必ずしも自分で撮ったものではないこともあるだろう。その時にどのような説明で自分の伝えたいことを伝えるのかということが重要であると思われる。 宮川さんの回答で、100パーセント自分の思いを伝えることはできないと述べられていた。確かに100パーセント伝えることはできないかもしれないが、相手が誠意を持って分かろうとしてくれるならばその理解度は高いものになると思う。
問2 私自身の回答を見直してみたら、いかに一面的な面でのみ述べていたかを反省した。「富士山の写真」=「青空の下での富士山」というように主観的に「美しい」と思った姿でしか見ていない。それはさまざまな意見を述べていく上でも共通していた。「富士山の写真」といってもさまざまなものがある。そして説明のしかたにもさまざまな方法がある。富士山の写真がメディアになるという考えに変わりはないが、その方法や見方は一つだけではないという考えに変わった。
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115009
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片野田 美紀
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2000/09/11
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12:25:35
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課題1:(服装) 問1 服装がメデイアとなる場合というのは、たとえば人にモノを尋ねるときを考える。私たちが相手に質問したときそのこたえをしっているか・嫌がられずに親切に答えてくれるかなどその人の服装から見て判断できる人柄によって瞬時に人を選択してたずねていると思う。したがって、服装というものは、そのひとの人柄や性格などの一部を周囲の人々に伝えているといえるだろう。 問2 鏡的利用は可能 鏡的利用は可能といえると思う。なぜならば、外を歩いているときの人々が送る視線というのはなんとなく自分にとってきになり自然と感じ取れるものである。その他人から送られる視線が鏡的はたしているだろう。
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192
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115009
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片野田 美紀
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2000/09/11
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16:59:56
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課題2:(他の受講生の回答をよんで・・・。) 問1 共感できる点 全体的にほかの人も服装について記述していた人が多かったように思いました。そのなかで、最も多かった警官や学生服、料理人の服装など職業柄の制服の服装がメデイアとして果たす役割が最もわかりやすい例だなと考えました。 さらに、気づかされた意見のなかに発信者がどんなブランドの洋服やカバンを身につけたにしても、受信者の側にその価値がわからなければ自らの服装がメデイアとして果たす役割は半減するなと思いました。 また、メデイアの鏡的利用の過程において衣替えというのは、洋服が自らの思考や感情を振り返らせるのに最も有効な手段だと思いました。
問い2 @服装がメデイアとなる場合・・・の見直した回答 やはり、服装というメデイアの発信するその布の色・形など周囲の人に及ぼす影響が大きいと思う。制服などの認知度の高い服装にとどまらず、葬式時に着用される喪服がその典型である。ほかの人の意見も読んでさらに服装がメデイアとなることを確信した。
A鏡的利用は可能か? 可能!!このいけんもかわらなかった。さらに服装は自分だけにに鏡的影響を及ぼすにとどまらず、その時々の流行の流れなどを振り返ってみたときその時代を生きていた人々の思考や感情までもうつす役割を果たしていると思う。
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115011
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川崎 加奈美
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2000/09/11
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16:42:18
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課題1 問1壊れたコップをメディアと考える場合、コップの破片とそのコップを片付ける人を媒介にして受信者は、痛そうだな。と感じ取る。 問2前問で選んだ事柄がメディアとなる場合、鏡的利用は可能である。コップを壊した人は、その壊れたコップを見て自分がコップを壊したという事実を再確認することになるからだ。
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115011
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川崎 加奈美
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2000/09/11
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17:18:41
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課題1 問1壊れたコップをメディアと考える場合、コップの破片とそのコップを片付ける人を媒介にして受信者は、痛そうだな。と感じ取る。 問2前問で選んだ事柄がメディアとなる場合、鏡的利用は可能である。コップを壊した人は、その壊れたコップを見て自分がコップを壊したという事実を再確認することになるからだ。 課題2 問1私は112003の黒木さんの回答に共感した。 私は、鏡的利用について可能である、と回答したが黒木さんの回答を読んで、なるほどと思った。確かに、黒木さんの言う状況だと、発信者の意思は本人にしかわからないものなので解読をするとなると、それはこんなんなことなのかもしれない。しかし、解釈というものは、受信者がかってに受け取るものであるから、どう思って、どう自分を振り返ってもそれは自由であるからだ。 問2黒木さんの回答をみて私ももう少し具体的に書こうと思う。壊れたコップをメディアとする場合、片付ける人を見て受信者はこの人が壊したんだな、と解釈するだろう。しかし、また受信者はほかの人が壊したものを人のいい発信者が片付けているだけかもしれない。そう考えた場合、片付けている人は自分は、コップを壊したということを発信しているが受信者はそう解釈するとはかぎらない。単にいたそうと感じるだけかもしれないし、あの人はコップを割って悪いんだ、と思うかもしれないし、また、人が割ったのを片つけるなんていい人だとおもうかもしれない。 すると、黒木さんのように鏡的利用は解読は困難でも解釈は可能となる。
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115011
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川崎 加奈美
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2000/09/11
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17:30:10
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課題2一回送ったのですが課題2は登録されていなかったみたいなのでまた送ります。 私は112003の黒木さんの意見にきょうかんします。鏡的利用について確かに、解読は困難かもしれませんが解釈はできると思います。時間がないので、すごく簡単に書いてしまいました。さっき送ったのが届いているといいのですが。
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115024
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中須賀 愛
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2000/09/11
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16:49:33
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課題1 「身振り手振り」 問1 私たちは、日常生活で会話をするとき、ただ話すだけではなく、同時に身振り手振りも加わると思う。つまり、会話の発信者と受信者とが媒介となって、身振り手振りをメディアとして会話は成り立つ。この身振り手振りの伝達でより詳しく、わかりやすく、自分の言いたいことを伝達できると思う。例えば、友達と別れるときに「バイバイ」というが、その時手を振るというのは、正に、身振り手振りをメディアとし、人と人を媒介として「さようなら」ということを伝えているのである。
問2 この時、鏡的利用は、可能であると思う。なぜなら、身振り手振りを交えて伝えるということは、その時の感情や状況に応じて身体や手を伝えることになるからである。 課題2 問1他のひとの回答を読んで、小西さんの回答に興味をもちました。彼女は野球のことで、具体的に述べていて、なるほどと思った。監督の送るサインはきちんとメディアになっていると思う。 問2多くの人の回答を読んだけど、ほとんどにた回答であったので、おもいつきません。
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115029
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平江 香織里
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2000/09/11
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9:41:18
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課題1. 問1.私は、写真がメディアになると考える。富士山の写真は、カメラのレンズを通してカメラマンの伝えたいもの、または心情が凝縮されたものだと思う。そして、「富士山」という日本の名所の知名度を更に上げる効果があるだろう。
問2.鏡的利用は、可能だと思う。私が考えるには、写真そのものがカメラマンの心情を写し出したものだから、鏡的利用は可能だろう。
9/1までに送ろうと試みたのですが、送れなかったので今日送ります。
課題2. 問1.服装に関する考えが随分多かったように思います。一番身近なものを感じ取れていたのですごいと思いました。
問2.何となくみなさんと観点が違うようにおもえました。目に見えるものを媒体としているのに対して、私は、目に見えない心情を媒体として見ていました。これは、大きな違いだとおもいました。
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115036
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山村 友美
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2000/08/31
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17:20:56
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課題1 問1 服装がメディアとなる場合について考える。 まず、制服につい て考えると、服装がコード依存であることがわかる。なぜなら、人は、他人の制服を見てその人の職業、地位を判断することができるからだ。この場合、制服は、制服を着ている人とそれを見る人を媒介し、伝達目的は自分の職業の伝達である。ただし、制服だけでは誰がその職業なのかを伝達することはできない。よって、この場合制服の持ち主と制服、両者がそろってメディアとなりうる。 次に個人のファッションについて考えてみる。たとえば、 ミニスカート、ピアス、厚底のサンダルなどの解釈は人それぞれであるので、受信者中心といえる。 よって、服装は「コード依存・解読・受信者中心」または「コンテキスト依存・解釈・受信者中心」コミュニケーションにおいて、人間によって意味付けられた情報(メッセージ)を物理的に支える働きをするメディアといえる。
問2 可能である。 なぜなら、ファッションは思考・感情によって左右されるからである。時と場所に見合う服装を考慮し、その時の自分の気分で色や種類を選択する。よって自らの思考・感情を振りかえる、鏡的利用ができるといえる。
問2 可能である。
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199
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115036
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山村 友美
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2000/08/31
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17:32:26
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課題1 一部書き直しました。 問1 服装がメディアとなる場合について考える。 まず、制服につい て考えると、服装がコード依存であることがわかる。なぜなら、人は、他人の制服を見てその人の職業、地位を判断することができるからだ。この場合、制服は、制服を着ている人とそれを見る人を媒介し、伝達目的は自分の職業の伝達である。ただし、制服だけでは誰がその職業なのかを伝達することはできない。よって、この場合制服の持ち主と制服、両者がそろってメディアとなりうる。 次に個人のファッションについて考えてみる。たとえば、 ミニスカート、ピアス、厚底のサンダルなどの解釈は人それぞれであるので、受信者中心といえる。 よって、服装は「コード依存・解読・受信者中心」または「コンテキスト依存・解釈・受信者中心」コミュニケーションにおいて、人間によって意味付けられた情報(メッセージ)を物理的に支える働きをするメディアといえる。また、服装は、着ている人とその姿を見る人を媒介し、その人が着ている時点のその人のアイデンティティー、たとえば職業などを伝達しているといえる。 問2 可能である。 なぜなら、ファッションは思考・感情によって左右されるからである。時と場所に見合う服装を考慮し、その時の自分の気分で色や種類を選択する。よって自らの思考・感情を振りかえる、鏡的利用ができるといえる。
問2 可能である。
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200
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115102
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安部 響子
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2000/09/02
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0:40:00
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課題1 問1 服装がメディアとなる場合を考える。服装は、人と人の目を媒介にして、仕事や学校では自分の立場を表し、遊ぶときなどプライベートな時は、自分の好みやその時の流行を表す。服装によって、流行り物が好きなのか、それとも自分の着たい物を着ているのか、など自分の考えも少なからず周囲の人々に示していると思う。仕事の場合では、例えば店に入った時に制服があれば、店員なのか、そうでないのかといった判断材料になる。
問2 服装がメディアとなる場合、鏡的利用は可能であると思う。特に私服は、問1でも述べたが、その時の自分の好みを示し、現在の自分とどのように違った考えを持っていたのか、あるいはあまり変わっていないのか、などを振り返ることができるのではないだろうか。前は皆と同じようなものを着ていたが、今は自分に似合った服を着るようになったと言う風に。
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201
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115102
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安部 響子
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2000/09/10
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21:50:07
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課題2 問1 「服装」がメディアとなる場合を考えた人の多くは身近な例を挙げており、想像しやすく共感もできた。特に、116009の方の回答が私にはわかりやすかった。 身振り手振りがメディアになる場合を考えた人の回答も読んだが、納得できるものも多く、自分が思いつかなかったような考えがあり、面白かった。
問2 ほかの人とだいたい同じであったが、人に自分の考えを伝えるにはもう少し説明を加えるか、分かりやすい例を挙げればよかったかと思う。
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202
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115103
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上田 恵
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2000/08/30
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16:25:28
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問1 身振り手振り: 首をたてに振るという身振りは、相手の言動に対する自分の意思を示すため、その動作と、それに付随する意味を媒介して、「はい(Yes)」という相手の言動に対する同意を伝えている。この事例は首をたてに振る、すなわち「はい(Yes)」という共通認識が発信者および受信者にある場合にのみ有効であり、「コード依存、解読、発信者中心」のコミュニケーションといえる。身振りというのは、言語と同じく地域によって異なるものであるという点を踏まえると、首をたてに振るという身振りが、必ずしもメディアとして有効ではないと考えられる。
問2 自らが行った身振り手振りに対して、そのときの思考・感情を振り返る際、その動作を行った時点では気づき得なかった思考・感情に気づく、もしくはその行為に関する動機的意味付けを行うことができるという点から、身振り手振りがメディアとなる場合、鏡的利用は可能であるといえる。
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203
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115103
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上田 恵
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2000/09/11
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13:38:50
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課題2 問1服装がメディアとなる場合において、制服・ファッションをとりあげた回答がいくつか見られた。制服の目的のひとつが、ある特定の集団を表すものだということを考えると、制服が「コード依存・解読・発信者中心」コミュニケーションであるということには共感できる。しかし、ファッションについては、フォーマル・カジュアル等、TPOにあわせるといった「コード依存・解読・発信者中心」コミュニケーションもあれば、同じ服を見ても「かわいい」と思う人と「かわいくない」と思う人のどちらが正しいとは言えない「コンテキスト依存・解釈・受信者中心」コミュニケーションもあるとかんがえられる。 問2課題1では首をたてに振るという事例をあげてみたが、ほかの事例にしても、発信者が自分の意図を受信者に伝えようとする際、身振り手振りがメディアとなる場合には、身振り手振りは「コード依存・解読・発信者中心」コミュニケーションになると考えられる。しかし、ある人のしぐさ(身振り)が受信者にとって好感が持てると感じた場合には、それは「コンテキスト依存・解釈・受信者中心」コミュニケーションとなるのではないだろうか。
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204
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115107
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金丸 奈央
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2000/09/11
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15:22:43
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問1 身振り手振りは、人間の体の動作や顔の表情などを媒介することで、コミュニケーションをはかるときには言葉で伝えきれないものを補ってくれる働きをして言葉以上のものを伝えることができる。
問2 身振り手振りというのは、鏡的利用は可能と思われる。なぜなら、問1で答えたように、身振り手振りを通じてコミュニケーションをはかる相手に自分の意思や考えを伝えやすくできるからだ。
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205
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115107
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金丸 奈央
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2000/09/11
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15:43:13
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課題1 問1 身振り手振りは、人間の体の動作や顔の表情などを媒介することで、コミュニケーションをはかるときには言葉で伝えきれないものを補ってくれる働きをして言葉以上のものを伝えることができる。
問2 身振り手振りというのは、鏡的利用は可能と思われる。なぜなら、問1で答えたように、身振り手振りを通じてコミュニケーションをはかる相手に自分の意思や考えを伝えやすくできるからだ。
課題2 問1 他の受講生の回答を見ると、服装について答えているひとが多かったようですが、確かに服装というのはメディアとなりやすく、服装によってその人のだいたいのイメージを読み取ってしまったり、あの人はたぶんああいう人だろうなあ、と想像がつきやすいものであるから、服装がメディアとなることに私は共感します。
問2 他の受講生の回答を見ても別に考えは変わりません。ただ、鏡的利用の意味がよくわかってなかったなあ、と実感しました。
課題1を9月1日に送ったのですが、提出先のほうまで届けられなかったので、今回一緒に送信させていただきました。すみません・・・
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206
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115111
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倉本 愛
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2000/08/28
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15:53:00
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課題1 問1「服装」→ほとんどの人間は普段服を着て生活している。時間や場所によって服装を変え、その場その場に見合った服装をする。家にいるときの服装、外に出かけるときの服装。また同じ出かけるにしても、出かける場所によって服装を変える。 人は普通お互いの服装、あるいは周囲の人たちの服装を視覚を通じて見ることによって、相手を認識しようとする。 服装とは、一種の自分を表現するための手段の一つであり、初めてその人に会ったときの第一印象は、服装のよって左右されることが多い(もちろん、服装だけではなくその人のその時の態度などにもよるが・・)。 また、服装は流行を最もよく表すものであり、その時どんな服が流行っているのかは、服装を見ればだいたい分かるものである。このように、服装とはその時代、場所などそれぞれを最もわかりやすく良く象徴しているものの一つと言えるだろう。
問2「服装」→例えば、ファッション雑誌を見れば様々な服装をしたモデルたちが載っているし、テレビを通じて見ることも可能である。また、一番手っ取り早いのは、自分の足でデパート等に出かけ、生の目で見ることである。 その時どんな服が流行っているかを知る手がかりとして、服装はこのようにしてメディアとしての役割を果たしている。
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115111
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倉本 愛
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2000/09/10
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15:48:02
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課題2 問1 他の受講生の回答を見て、「服装」について考えている人が比較的多かったように思います。私も前回この「服装」について考えたのですが、「服装」以外について考えた人の回答を見て、こういう考えもあるんだなあと、納得させられ、また違った新たな考えを知ることとなりました。
問2 「服装」についての自分の考えは、間違ってはいなかったが、足りなかった部分が多かったように思う。「服装」は、服を着ている人と、その服を着ている人を見る人とを媒介する役割を果たしており、その人の服装によって、その人の職業や性別、性格までもわかってしまう。また、服装は、例えば写真などによって以前の自分を思い出し振り返ることができる。「服装」は自分というものを客観的に見つめる機会をも与えてくれる。そういう点から見ても、「服装」がメディアとなる場合、鏡的利用は可能であると言える。
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中里 恵
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2000/09/11
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15:58:47
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課題1 問1 服装がメディアとなる場合について考える。 服装は個人によって様々だ。好みの色、型、着こなし方など人によって違う。これらを合わせるとその人が着ている服装から何らかのメッセージが読み取れるのではないか。服装の色については、その日の気分で色を選ぶことも多い。例えば、緑色を見ると心が安らぐことがある。この事から色は着ている人の精神状態を表すこともできると思われる。ある程度色から人の精神状態を表すことができれば他の人から見てもその人の精神状態をわかることができるし、その人のイメージも服装の色で決められてしまうこともあるのではないか。よって、服装はメディアになりうる。
問2 服装の鏡的利用は可能である。他人の服装からいろんな情報を得ている。服装だけを見てあの人は怖そうだとか、地味な子だとか一見考えてしまうのは、その人の服装の色、型からあるイメージを抱いてしまうからだ。他人の服装を真似するのも、自分も例えばもっとかわいく見せたいと思うからである。服装は自分だけでなく、他人にも影響をあたえる。したがって、鏡的利用は可能である。
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中嶋 紹子
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2000/09/11
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15:10:52
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問1身振り手振り 人間がその人の意思を相手に伝えるために、その手段として、自分自身の手や体の一部を通して伝える。 問2 可能であると思う。
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中嶋 紹子
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2000/09/11
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15:38:20
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課題2 問1 私は、井上仁美さんの回答に共感した。たしかに服装は、ひとそれぞれの個性を表せると思う。なんか読んでいて面白いなあと思った。 問2 特になにも変わらない。人には人それぞれの考え方があるので。
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中山 明子
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2000/09/05
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13:18:34
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課題1 問1 身振り手振りがメディアになった場合,身振り手振りをする話し手と,それを見ている聞き手を媒介して、聞き手に、話し手の言葉では表しきれない感情の度合いを伝えることになる。 問2 鏡的利用は可能である。なぜなら、音声だけでなく、身振り手振りをする話し手を、映像として思い出すことができるからである。それは,身振り手振りをしながら話す人のほうが印象に残りやすいことからも分かる。
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中山 明子
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2000/09/11
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11:24:04
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課題2 問1 自分が身振り手振りについて解答したので、身振り手振りについての解答ばかりみてしまったのですが、身振り手振りの鏡的利用が不可能だという意見にはどうしても賛成できません。
問2 私ももっと具体例を出せばよかったなあと思いました。自分の解答には変更はありません。
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野口 祝実
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2000/08/19
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21:57:19
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課題1 問1 壊れたコップがメディアとなる場合、コップが壊れ た事実と、それを見た周りの反応を媒介にして、コ ップが壊れた事に対して、周囲に、誰が、どうやっ て、何のために壊したのかを、伝達している。 問2 鏡的利用は、可能である。なぜなら、コップを壊し た者に、罪悪感を起こさせる。
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福田 明日香
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2000/09/06
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15:22:07
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課題2 問1 服装について述べているものが多かった様に思うが、それらのほとんどに共感できた。服装はその人がどんな好みであるか、どんなことを思っているかやどんな集団に属しているかを伝えたり、表現したりする手段であるとおもうからだ。
問2 前回の課題を提出し忘れてしまったのですが、前回の回答としては、問1で述べたようなことを考えていたので、回答は変わりません。
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伏見 元子
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2000/09/04
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16:46:54
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課題1 問1 服装 例えば男性が黒の礼服に黒のネクタイを身に着けているのを見たら、まず人は「お通夜かお葬式かな」ネクタイが白だったりしたら、「結婚式の帰りかな」考えるだろう。セーラー服の少女を見れば学生だろうと考えるし、テレビ中継でハワイからの映像を見れば、その服装から現地の暑さを大方理解することができる。つまり人は服装からそれを身に着けている個人の情報やその人のおかれた環境に関する情報を得ているのである。上に述べたような例は最もわかりやすいものであるが、この他にも露出度の高い服、派手な色合いの服、奇抜なデザインの服を身に着けている人を見たら、その人の性格や色の好みなどさらに細かい個人情報を得ることも可能であろう。さらに掘り下げると、朝の出勤、通学時にしわの寄ったシャツを着た人を見たら私達はその人を、面倒臭がりだとかルーズだとか思わずにはいられない。 以上が私の考えた「服装がメディアとなる場合」である。 問2 鏡的利用は可能であると思う。衣替えのときに箪笥をあけて、捨てることができずにいる古い服を見て「こういうのが好きだったんだ」などと昔の自分を思い出したり、小さいころのよそ行きの服を見て、迷子になったことや叱られたことを思い出したりすることができるからだ。(しかしこういうのを鏡的利用と言っていいのかどうか・・・)
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伏見 元子
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2000/09/11
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11:05:43
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課題1 問1 五十川さんの「制服は発信者が意図的に・・・」というところに共感した。確かに作業着などは紺やグレーといった落ち着いた色のものが多く、いわゆるフレッシュマンスーツも紺色が多い。「ほら私たちはこんなに誠実で真面目ですよ」と言わんばかりである。そして実際私たちは、そのとおりの印象を持つことが多い。 問2 何人かの人の意見にあったが、自分の服装から、人に自分がどのように見られているか、どのように見られたいと思っているか知ることができるというのを読んで、なるほどと思った。考えてみるとデートのときなどはスカートが多いし、部活のときはパンツが多い。自分では意識していないが、彼氏といるときは女らしく見られたい、部活では女と意識されなくても良い、と考えてるので、それが自然と服装に表れているのかもしれない。
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山口 文子
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2000/09/11
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13:36:39
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課題2
問1私も服装、富士山の写真についての意見には同じよう に感じている。服装というものはその時々のその人の 心理状態といったものや、好みといったものを強く反 映していると思われる。よく服装の乱れが心の乱れの 現れだと聞くが、それは服装がメディアとなっている からであろう。
問2課題1の提出をし忘れていたので、自分の回答の見直 はできないけれど、上記が自分の意見です。
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115509
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小山 菜緒
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2000/09/07
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13:37:34
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問1「身振り手振り」がメディアとなる場合を考えます。 誰かと会話をする時に言葉だけでは表現できないときに身振り手振りをつけて話すことによって相手により詳しく自分の感情を伝えることができます。 問2身振り手振りというのはその場の感情や雰囲気などに流されるものなので自らの思考・感情を振り返るのには適していないと思うので鏡的利用は不可能であると思います。
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115509
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小山 菜緒
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2000/09/07
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14:20:34
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課題2問1私の共感できる回答は身振り手振りは言葉の通じない相手とのコミュニケーションにおいて活用できるという回答です。確かに身振り手振りは言葉の通じる人同士だけでなく外国人の人や耳の不自由な人ともコミュニケーションがとることができるのでとても便利なものであると思いました。 問2私は身振り手振りというのは鏡的利用は不可能であると考えましたがほかの人の回答を見てそのジェスチャーが伝わらなかったときやほかの人の表現の仕方を見て自分の表現を振り返ることはできるなぁと思い考え直しました。
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115526
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藤尾 幸子
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2000/09/07
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14:08:07
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問1 「富士山の写真」がメディアとなる場合を考えると、カメラと人を媒介にして、目でみた富士山の風景を、富士山を直接見てない人につたえることになる。
問2 写真はその風景をそのまま写しておくものであるから、鏡的利用は可能である。
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115526
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藤尾 幸子
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2000/09/11
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11:47:16
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課題2 問1 私は課題1で「富士山の写真」をとりあげたが、そのとき私はそれ以外のもので考えるのは難しいと思ったからなのだが、ほかの人の意見をみて、結構考えてみれば、たくさんあるなあと思った。特に「服装」については、今の時代結構メディアとなる場合を考えたとき、考えなくても自然とメディアとして考えているんだなあと、ほかの人の意見を見て思いました。
問2 私は、「富士山の写真」をとりあげての考えが甘かったような気がする。ほかの人の意見を見て特にそうおもった。特に、須藤さんなんかは、その写真と人の間のことと 人間と人間のことなど考えが深いと思った。もう少し自分の考えを見直してみようかと思う。
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兒玉 裕美子
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2000/08/31
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17:14:16
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課題1 問1「ロダンの『考える人』」がメディアとなる場合を考えると、その作品そのものとその彫刻を見る人間とを媒介して、ロダンが観た人間というものを伝えていることになると考えられる。それは、ロダンが伝えたい人間の姿というものを彫刻という芸術作品にすることによって、よりリアルに、より深みのあるものとして伝達することができるからではないかと思われる。さらには、ロダンが伝えたい人間の姿を彫刻として実際の人間に近い形で表わすことが、多くの人にわかりやすく、感じやすくするのだろう。
問2「ロダンの『考える人』」がメディアとなる場合、鏡的利用は可能と思われる。なぜなら、彫刻という形あるものにすることにより、長い間(人為的に破壊されない限り)存在し得るものであり、その彫刻がある(目にする)ことで自らの思考、あるいは感情を振り返ることもあるのではないか。
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115613
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兒玉 裕美子
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2000/09/11
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14:47:54
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課題2 問1共感できる回答、あるいは、違和感を感ずる回答を選び、理由とともに記述せよ。 他の回答を読んで、111179の方の『「考える人」を見たロダンの考えなどを知らない人々は、人によっていろんな想像をするはずです。―(中省略)― 考えている=悩んでいるあるいは迷っていると言うようにとらえたりします。 しかし、発信者中心(前者)と受信者中心(後者)として違っていても、「考える人」を製作したロダンの意図と、それを知らない人の像を見た時の感じるものを「考える人」の像が媒介して、それを製作したロダンの意図を正確にではないけれど、伝えていることになるのではないかと思います。』という回答に共感する。現代の私たちは、もうロダン本人に直接会ってロダンの考えを聞くことはできないため想像するしかないのであって、しかし、この「考える人」の像を見ることで、ロダンがなぜ「考える人」の像を製作した意図を読み取ることができるのだろう。 問2自分の回答をもう一度見直してみて、自分はまだ「メディア」というものがあまりよくわかっていないように思う。回答を書き換えるにしても、どのようなところを換えればよいのかがわからないので、自分では、前のものが自分の考えを書いた精一杯の回答である。
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115620
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立花 真一
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2000/08/31
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16:47:36
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課題1 問い1 私は身振り手振りがメディアとなりうる場合について考えてみたいと思う。一昨年福岡ダイエーホークスのサイン盗疑惑が浮上したが、スタンドにいる人がメガホンを使って左にしたらスライダー、まっすぐだとストレート、右にしたらフォークなどとあらかじめ身振り手振りのサインによって決められていた。これらの伝達の目的は、バッテリーのサインを盗み、それをバッターとスタンドにいるメガホンの合図を用いてサインを媒介としてバッターはそれを見てピッチャーの球種が分かったということでこの場合について身振り手振り(サイン)がメディアとなっている。 問い2 投手の投げるサインも各回ごとに変えたり、分かりにくく工夫をしているが、この場合、メガホンを使ってあらかじめ球種の種類を決めており、自らの思考・感情を振り返る過程(鏡的利用)は成り立たないと考える。もし、サインに思考や感情が入るならば、「このストレートはものすごく速いですよ」とか「このフォークは大魔人佐々木よりよく落ちますよ」だとか、この場合についてはあくまで球種が分かればよいのでバッターのサインの受け取り方もそれ以外ないと考えるから自らの思考・感情を振り返る過程を教える余地はないと考える。
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115620
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立花 真一
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2000/09/10
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16:38:24
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問1 人の回答を見て、なるほどと感じたことは、サインだけでなく、異国で相手の言葉がよく理解できないとき、身振り手振り(ジェスチャー)によって相手を理解させるということだ。この場合は身振り手振りがメディアとなって、円滑にコミュニケーションをとれているということだ。
問2 中原さんの意見は身振り手振りという動作の1つ1つを自分で見直したり、相手の反応を見ながら振り返え見る場合、自分が伝えようとした思考や感情を客観的に見ることができるといっていたが、身振り手振りは相手に伝える媒介するメディアとなるので、つまり、相手に分かりさえすればよいので、自分で思考や感情を客観的にみることができないのでは。また、同じように小山さんはジェスチャーが伝わらなかったときやほかの人の表現の仕方を見て自分の表現を振り返ると書いていたが、ジェスチャーが伝わっていないというのは、それ以前に身振り手振りがメディアとなっていない(成立していない)から鏡的利用はできないのでは。この問題について、意見が真っ二つに分かれているようなので、先生のコメントをお聞きしたい。
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115637
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溝口 隆則
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2000/09/01
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23:07:13
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問1 服装 相手の服装が何をものがたっているのか。つまり、制服など職業が分かれば服装でもメディアとなりうる。 問2 相手の服装を見て自分の服装を正すことができるから鏡的利用は可能である。
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115637
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溝口 隆則
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2000/09/07
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15:45:30
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問い1 服装がメディアとなる場合。どの回答も見るとおなじこたえだが、服装によってさもざまなうけ取りかたをしている。たとえばいい服を自分では着ているとおもっても、相手はそこまでおもっていないという感じだ。 問い2 鏡的利用は他人の服装をみて自分の服装を整えたりする。また、ボタンのかけちがえなど他人が指摘してくれる場合もある。以上によって鏡的利用を可能だと考える。
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115646
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山本 圭一郎
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2000/08/02
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14:57:49
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課題1 問1 「服装、身振り手振り、ロダンの『考える人』、富士山の写真、壊れたコップ」から一つを選び、それがメディアとなる場合を考えよ。その時、何と何を媒介して、何を伝えていることになるか。伝達目的も考慮し、できるだけ具体的に述べよ。
問1の答 「富士山の写真」は、その写真を撮った人とその写真を見た人を媒介として、その写真を撮ったときの富士山の状態を伝えている。そしてそれと同時に、そのときの取った人の状態をも伝えている。例えば、ある日本人がアメリカにいる友人に日本の富士山のことを説明するときに、この写真を送ることによって富士山の形、色、大きさ、そして雲などがいっしょに写っている場合は高さも伝わることになる。この場合、目的は富士山の情景を伝えることとなる。一方、あるおじいちゃんが、孫に年賀状を送るために、自分で撮ってきた富士山の写真を年賀はがきにしたとする。その写真がもしぶれていて、雪に埋もれた富士山の写真であれば、その写真は、富士山の美しさと同時に、その場所での撮った人(おじいちゃん)の状態、この場合、とても寒かったのだろうと受信者(孫)は受け取るだろう。この場合、目的は富士山の姿を見せるだが、発信者の状態を表す役割もあると考えられる。 この「富士山の写真」がメディアになる場合、前者はコード依存ともコンテキスト依存とも考えられるが、後者はコンテキスト依存として考えられるのではないだろうか。
問2 前問で選んだ事柄がメディアとなる場合、鏡的利用は可能か、吟味せよ。
問2の答 「富士山の写真」は、鏡的利用は可能だと考えるれる。問1の前者を考えてみると、アメリカの友人がその写真を見ると、日本についていろいろと抱いていた感情を思い起こされるかもしれない。また、日本の友達についても思い起こされるかもしれない。このように、「富士山の写真」はそのときの自分の考え、感情を振り返るという役割をし、鏡的利用が可能だといえる。
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116009
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柴田 いづみ
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2000/09/07
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17:03:17
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問1服装について ステージ衣装について考えてみます。女性のオペラ歌手がコンサートで歌う時、ドレスを着ます。それを選ぶ時、単に自分の好みだけでなく、歌う曲の内容や雰囲気まで考慮に入れて、色、形を選びます。例えば、深い悲しみの歌なら、暗めの色でシンプルなものだとか、神への祈りの歌なら、真っ白なものだとか。そうすることによって、そのドレス(つまり服装)は、客に歌の 内容,雰囲気を伝える一つの重要なメディアとなります。その時、歌手の考える歌の意味を、ドレスによって符号化したことになり、客はそれを見て、色の持つ意味などときこえてくる歌詞の内容、歌声とを照らし合わせて、歌手の表現したいものを複合化し、理解する。
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116009
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柴田 いづみ
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2000/09/08
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17:08:01
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課題1 問1は送信済みです。 問2服を着ている人(情報の発信者)と、それを見る人(情報の受信者)の色や柄の意味するものに対する認識が一致するとき、服は着ている人の心理など、内面的なものを表現し、周りに伝えることができる。つまり、鏡的利用が可能となる。しかし、発信者と受信者の色や柄に対する認識が違っていたら、発信者の伝えたい情報を正確に伝えることはできない。ステージ衣装の場合は歌手本人の内面を伝えるのではなく、歌についてのものを伝えるのだから鏡的利用をしているとはいえないと思う。
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231
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116009
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柴田 いづみ
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2000/09/08
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17:08:01
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課題1 問1は送信済みです。 問2服を着ている人(情報の発信者)と、それを見る人(情報の受信者)の色や柄の意味するものに対する認識が一致するとき、服は着ている人の心理など、内面的なものを表現し、周りに伝えることができる。つまり、鏡的利用が可能となる。しかし、発信者と受信者の色や柄に対する認識が違っていたら、発信者の伝えたい情報を正確に伝えることはできない。ステージ衣装の場合は歌手本人の内面を伝えるのではなく、歌についてのものを伝えるのだから鏡的利用をしているとはいえないと思う。
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116009
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柴田 いづみ
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2000/09/08
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17:08:01
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課題1 問1は送信済みです。 問2服を着ている人(情報の発信者)と、それを見る人(情報の受信者)の色や柄の意味するものに対する認識が一致するとき、服は着ている人の心理など、内面的なものを表現し、周りに伝えることができる。つまり、鏡的利用が可能となる。しかし、発信者と受信者の色や柄に対する認識が違っていたら、発信者の伝えたい情報を正確に伝えることはできない。ステージ衣装の場合は歌手本人の内面を伝えるのではなく、歌についてのものを伝えるのだから鏡的利用をしているとはいえないと思う。
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116009
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柴田 いづみ
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2000/09/11
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14:21:22
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課題2 問1091809の人の制服がメディアになるといるという回答は、もっともだと思った。それから、服装の乱れがその人の心理状態を表わすというのも納得できた。 問2私は、鏡的利用については完全に間違った回答をしていた。多くの人が書いているように服装で自分の心理を振り替えることは可能だと思う。服装の乱れについてがいい例だと思う。
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