集計日時:2001年 6月 4日 (月) 22:17

教育工学・視聴覚教育

第5回目の課題(ek5)

…回答総数:32

九州大学 久米 弘


1

091104
伊藤 愛
2001/01/23
0:43:16

問1

〇家で縛られて身動きできない→☆一人でも外に出かけられるようになった。
(自分の意志で行動しても大丈夫だと周りがみなすようになった。)
〇動物的な行動→☆基本的な生活習慣を身につける。
〇ただ生きるのみ→☆意志伝達することができるようになった。
(指文字などを用いて相手にフィードバックすることでなりたつ。)
〇見たことがないことは未知のこと→☆見たことがないことでも既知のことになる。
(見たことがないことでも、ことばを通じて、人と意思疎通することによって理解するという方法を得た)
〇嫌なことはただ泣くのみ→☆泣く理由を伝えるようになった。
(感情に対して言葉で理解し、制御できるようになった)

問2

〇自分と他者との関係を知り、両者の間で意思疎通がおこない、人間としての言語的コミュニケーションがおこなえること。
〇受身ではなく、自らの欲求を示すこと。
〇学ぶことに意欲を持ち、自ら知ろうという人間本来の欲求を表にだすこと
〇ことばを通じて、物事を概念化することができること。
〇感情を言葉によって制御しながらコミュニケーションを図ること。
→結局、人間として言葉を通じてコミュニケーションしながら自ら世界を構築することができる能力を身につけたという点がことなっている。

問3

1、(教育方法):一つのものごとを教えるのにその前段階として必要な知識と技能を順序良く指導していた点。必要な知識をあれほど細かに順序だてて指導する技術・知識・系統化・体系化の技術はすばらしい。
2、(触覚):ハンディをもった方というのは、何らかの点で人より秀でることが多々ある。シゲコにとっては触覚ではないだろうか。しばらく会っていなかった先生をすぐさま見分ける能力の高さに驚かされた。
3、(暗記):暗記の能力はすさまじいものがある。私たちは、忘れたことでもノートや本を見ればわかるが彼女らはそうはいかない。頭の中で整理し引き出す必要がある。だからこそ、指導の上で順序だててつみかさねて覚えさせることが大切なのである。私たちの暗記でも同じことが言えると思う。
4、(確認):確認という方法の大切さ。音声のようなものは、ある期間をおいたら指導しなおす必要があると述べていた。確認すること、フィードバックすることの大切さについて改めて考えさせられた。フィードバックすることによって正確なものを身につけていくことができるのだと思った。

2

092807
高野 富貴
2001/01/23
3:50:39

問1

・自分で身の回りのことが整えられようになった。
・言葉を習得した。
・数学の計算ができるようになった。
・笑ったり、泣いたりする理由がわかるようになった。

問2

・自分の意志を持つことができ、表現することができる。
・言葉により、感情を表すことができる。
・モノの概念を持つことができる(言葉と実物を結びつけることができる)

問3

 一番驚かされたのは、言葉を習得し、それを発声することがいかに難しいものなのかということだった。私は、言葉は誰でも簡単に発することができるものと思っていた。言葉を発することができない子どもには一から教えなければならないが、階段を一段一段上がっていくように、一つ一つ段階をふませていかなければならない。しかし、その段階をどのように設定し、伝えていくことが、いかに難しいかがわかった。また繰り返し反復させることが、次の段階に進むための大切なステップになると感じた。
 教えることの難しさを改めて痛感した。

3

092807
高野 富貴
2001/01/30
2:11:24

問1

前回と同じです。

問2

前回と同じです。

問3

 前回の授業を聞いて、先生の言われたポイントについて、自分が全然考えてもいなかったので、それについて考えたことを少し書き出したいと思う。
 まずはうまくできたときにあげていたクラッカーのことについてだが、ただご褒美として与えるのではなく、自分のやったことが正解だと教えているのだと知らせられて、自分は気づいてなかったなと思った。クラッカー欲しさにやっているのならば、年をだんだん重ねていっても、クラッカーはずっと必要であったはずである。しかし、のちのちクラッカーが必要でなくなったの思い出して、クラッカー欲しさにやっているのではなく、クラッカーが正解ということを知らせる合図であることがわかった。
 次に賞罰についてだが、あのビデオの中では罰を与えるシーンはなく、罰を与えなくても教えることはうまくいくことがわかった。その相手が障害をもっていようがいまいが、それは関係ないことを再認識させられた。
 そして一番気づかされなかったのが、親の気持ちだった。聾学校に入る前までの話がナレーターによってされていたが、たしかに内容は痛々しく、なんでそんなひどいことをしていたのだろうと思うばかりだった。しかし、親の立場に立ってと言われたとき、そういう手段しか方法がなかった、せざるをえなかったと考えると、そうしている親もきっと自分の子どもにそんなことはしたくなかったのではないかとも思われた。
 他の人の意見をみて思ったが、自分も障害児はみんな一緒で、目が見えない、耳が聞こえない障害児は知的には何も問題がない人もいることを知らなかった。障害を持っているというだけで、ひとまとめにしてはいけないなと思った。 

4

093006
河原 知栄
2001/01/23
16:02:30

問1

・冒頭では柱にくくりつけられ、人間として扱われていなかったが、最後の場面では人間として他の人から触れられていたように思う。
・冒頭ではまるで動物のような生活習慣だったが、最後には自分の下着を気にするまでになっていた。また、自分の身のまわりのことは自分でできるようになっていた。
・冒頭ではあまり表情が豊かでなかった気がするが、言葉を学んでから、笑ったり表情が豊かになった気がした。

問2

・開発された人間は自分の欲求に合うような行動をする事ができ、それが人間らしさのように思う。
・自分の意志を人に伝えることができ、また、人の考えや思いも感じることができる。

問3

・冒頭の場面では、動物のようだったのが、外にでて歩くようになって、手話により人と話す事ができるようになるのはすごいことだと思った。また、指導するのに、一つのことを教えるのに何回もの段階を乗り越え指導しなければならないことも大変だと思った。この題名は「人間開発」とあるが、障害を持って生まれたひとが何かを学んで人間らしい生活を送ることができるようになった事を「開発」と呼ぶのか疑問に思った。健常者であればこれは単に成長しただけのことと思われ、これは障害者においても、同じ事だと思い、「開発」ではなく、「成長」だと思った。

5

093006
河原 知栄
2001/01/29
22:03:18

問1

前回の回答とほとんど同じですが、初めのほうにクラッカーをもらう事で正誤を判断していたのが、最後のほうには頭をなでられる事などで判断するようになったのはすごい成長だと思いました。

問2

前回の回答と同じですが、他の受講生の回答を見て、自分が考えていなかった点などもあり、考えさせられました。

問3

 今から考えても、冒頭のシゲコが柱にくくりつけられている場面は、人間として扱われていないようでショックでした。しかし、先生が授業で言われたように、親の気持ちを考えてみると、どうしようもなかったのだろうと思います。今でこそ障害を持つ人に対する教育について様々な研究が行われ、障害をもつ子どもを持つ親がどのように子どもを育てているか、どのような学校があるかなどテレビなどを通じて紹介されることにより、人々の知識も増え、意識も変わってきたと思いますが、あの時代では、柱にくくりつけ、ご飯をそばに置いておくことが、子どもを安全にしておくのに精一杯できる事だったのだろうと思います。
 他の受講生の回答で、ヘレン・ケラーと比べるとヘレンは恵まれていたと思った、という回答がありましたが、私も同じように感じました。ヘレンは自分の思うままに行動させてくれるような周りの環境が最初にあったことで、自分の欲求を表に出していたように思います。また、そのことで始めのほうの場面でも小さい子どもが暴れているような人間らしさを感じました。それに比べ、シゲコとタダオは何にでも興味を示して触ってはみるけれども、何かをしたいというような欲求はみられなかったように思います。このような違いも、感動的な出来事がなく、たんたんとした中で自然に連鎖が行われるということに関係があったのかもしれないと思った。
 積み重ねて、一つ一つの課題を解決していくよう教育を行う事は大変だと思い、その後二人がどうなったのか、学んだことを忘れる事はなかったのか、教育がどの程度続けられたのか、知りたいと思った。

6

093007
島本 佐知子
2001/01/24
13:37:37

問1

初めは家族にすら人間として扱われていなかった。(柱に縛り付けられ、足下におにぎりをころがされていて、排泄もそのままそこで行っていた。)→一緒に散歩をし、デパートに買い物に行き、釣りをし、周りの人間との円滑なコミュニケーションをとれるようになった。つまり、一人の人間として、人格を大切にされる状態にまでなった。
嫌なことを泣いてて伝えるだけでなく、なぜ泣くのか手話で周りに伝えるようになった。又、感情を抑えることが出来るようになった用に見える。
服をただ着ていただけだったのが自分の好きな下着まで選ぶようになった。

問2

開発されていない人間はただ生きているだけで、野生動物と余り変わりがない。しかし開発された人間は、より良く生きようとする。
言葉や数字記号の概念を理解できるか出来ないか。
自分一人でも、何かをしようとする勇気を持っているか、いないか。
複雑な環境に合う行動が出来るか、出来ないか。

問3

映像はなかったが、最初、繁子が柱に縛り付けられていたところ。いくら手が掛かるからと言ってそんなことをするなんて親としてひどいと思った。そしてヘレンは恵まれていたんだなと思った。
何かを教えるのに一つ一つ見本あわせで教え、順序よく少しずつステップアップさせていくのは、教育の手段として、ものすごく成果があるなと思った。
繁子が、お客さんに抱きついたところ。触った洋服の生地でその人が誰であるかが判るのは、ものすごい記憶力だと思った。

7

093118
八木 優子
2001/01/17
13:21:30

問1

言葉は悪いけれど,「人間らしく」なったと思う。
・自分の気持ちを表現できる。
・「他」を認識するようになった。(つまり、自我を認識するようになった。)

問2

・言葉のない世界から出てきた。
・表情が違うと思った。
・自分の身の回りのことができる。

問3

先生が、「赤ん坊は、おなかがすけば簡単な表現はできる。しかし、複雑な表現はできない。それができることが人間らしいということである。それを可能にするのが言葉である。」とおっしゃった。
盲聾二重障害者が自分を表現できる手段は,やはり言葉なんだと思った。五体満足の人間が、外国に行ったときは、「言葉なんか通じなくても・・・」と言ったりするけれど,それは、言葉を使えるものが意思疎通を十分に計ることができることが基盤にあって、初めて言えることだと思った。

8

101109
岡崎 春美
2001/01/22
13:24:40

問1

・最初は、快、不快を泣いて表現しているだけであった
が、最後は自分の思っていることや要求を言葉 (指文
字)で伝えていた。
・基本的生活習慣やマナーがしっかりと身についていた。

問2

・開発された人間は、褒美がなくても努力することができ
るが、開発されていない人間は、褒美がなくては努力す
ることができない。(シゲコとタダオはクラッカーを与
えられていた。)
・開発されていない人間は、自分の要求を表すだけである
が、開発された人間は、自分の要求や伝えたいことが相
手に伝わっているか確認する。

問3

タダオが点字タイルで方程式を学んでいる場面に驚いた。未知数x(エックス)という概念を、どういった方法で伝えたのか、またそのxの求め方をどのように指導したのかに興味が湧いた。
また、シゲコが直接目に見えないものの運動について学習していた。目の見える人にとっては何もためらうことのない「ボールを投げる」という行為に、恐る恐る挑戦している姿が印象的だった。健常者にとっては何でもないことでも、障害者にとっては大変なこともある。ということを改めて感じた。

9

101143
山下 恵美子
2001/01/23
0:28:50

問1

〇泣くことくらいでしか自分の感情を表現することができなかったが、最後には指文字を使い言葉を使って表現できるようになった。
〇人につかまったり、壁をつたうなどして恐る恐るでなければ、(屋外を)歩くことができなかったが、最後には自分たちだけで落ち着いて歩いていくことができるようになった。
〇日常生活において、歯磨き・着替え・そうじなどが自分でできるようになった。

問2

〇開発されていない人間は、
  ・「言葉」を知らない
  ・自分の感情を表現することができない
  ・人とコミュニケーションをとることができない
  ・自分の身のまわりのことを自分ですることができな   い(歯磨き・着替え・排泄など)

〇開発された人間は、
  ・言葉を学習することで複雑な要求に合う行動ができ   るようになる
  ・人とコミュニケーションをとり、自分の感情を表現   することができる
  ・多くのものの概念を学ぶことができる

問3

 言葉の概念や指文字を教えることはできるだろうと思っていたが、聞くことのできない言葉を話すことができるようになるとは思わなかった。口の形を教えている場面では、音の振動を伝えることは考えることはできたが、その先までできたことに驚きであり、感動した。赤ちゃんが言葉を知り、考えるという行為が可能になるように、シゲコとタダオも言葉を知って健常者と同様に物事について考え、自分の要求に合う行動が可能になったと思う。また、物事それぞれの概念を知ることで代数や方向、物体を投げてその動きを理解することができるようになったことは、今後様々なことを獲得していく可能性を表しているのではないかと思う。
 概念を知ることから始まる学習は現在の教育についても大切なことではないかと思う。理論だけ、公式だけの学習ではなく、なぜそうなるのかを体験して概念を知ることで理解が深まり、本当の意味での知識の獲得につながっていくと思う。また、フラストレーションが起こらないようにさせることは、意欲的な学習につながると思う。

10

101906
石橋 絵美
2001/01/23
15:11:45

問1

最初の場面では、言い方は悪いが、シゲコもタダオも動物同然で、自分の意志や感情を表現するすべも知らなかったし、ましてや自分の身の回りのことすらできなかったが、訓練により、基本的生活習慣が身につき、手話によって意志や感情を表現することができるようになっただけでなく、伝達することができるようになった。また、発声練習により言葉を話すこともできるようになった。意志疎通がかなったことで、周りに対する警戒心が和らいだせいか、一人で外へ出かけられるようになった。

問2

開発された人間は、自分自身や自分の行動、自分の感情を把握し、コントロールすることができる。
また、自分のことは自分で考えて処理することができる。
手話や点字などの意志疎通のツールを使うことができる。

問3

印象に残っているのは、課題ができたらクラッカーをあげるという動物の調教のような訓練のやり方です。最初はそんな方法で本当の意味で理解できるようになるのかと疑問でした。しかし、最後の方の場面では、与えられた課題を正しくやるという以上のこと(方程式を解く等)を成し遂げるようになりました。もし、この対象が動物だったとしたら、いくら訓練をかさねても課題達成以上のことはできなかったかもしれません。人間だからこそ、もともとそういう能力を備えている人間だからこそ訓練を積み重ねる意味があったのだとと思います。
そして、この映画全体を通して、人間にとって視覚や聴覚がどれだけ大切な情報源でありうるのか、また同時にそれだけ大切な視覚や聴覚をなくしても、人間はそれを補い、克服できるだけの能力をもっているのだということを実感しました。

11

101935
深見 吏沙
2001/01/21
14:58:59

問1

人間らしい生活が出来るようになった(食事やトイレットマナー等)。
コミュニケーションが取れるようになった(点字や指文字
をつかって)

学ぶことに意欲的になった。

問2

開発された人は知識をどんどん身につけ、秘められた可能性を実現していけるが、開発されていない人は可能性を実現するきっかけがないので、体は生きていても人として生きていないと思う。ビデオの最後でも言っていたが、まさに「生きる屍」だと思う。
開発されなければ、人は自分を表現することも出来ないし、表現することの意味も理解できない。この世の中の全てのことも理解できない。野生の動物同然だと思う。

問3

最初のシゲコとタダオの状態に驚いた。両親は自分の子どもなのにあそこまでほおっておくものかと思った。もし、施設に引き取られることなく過ごしていたのならば、どうなっていたのだろうかとぞっとする。
シゲコに発声を教えていた時、ヘレンの時のように突然「ア」といえるようになったが、いくら教えてもなかなか言うことが出来ず、それでもあきらめずに教えてくれた人がいたからこそ、シゲコは発声できたのだと思う。教える側としては、なかなか身につかなかったらもどかしくなり、嫌気も差してくると思うが、あきらめず教えつづけたことが、シゲコの奇跡へと結びついたのではないか。
最後に、シゲコとタダオが手を取り合って歩いていたが、この先大人になって、周りの環境が変わっていった時、この二人の人生はどうなってしまうのだろうかと心配になった。

12

101943
山口 亜紗子
2001/01/23
15:35:58

問1

物の左右や長さ、代数などの概念まで理解できた点。
食事や掃除もきちんとでき、基本的な生活ができた点。
外を怖がらず、買い物を楽しむ程の社会性がついた点。
点字や指文字、口で話す言葉を使って意志を表せた点。
ボールを投げたり、飛んだりする身体的能力がついた点。

問2

本能の赴くままでなく、考えて行動する点。
目的を持って生きる点。

問3

最後にシゲコとタダオが手を取り合って歩いていく場面。私達にとって想像し難い世界からスタートした彼らの、少しずつではあるが一生懸命周りとコミニケーションしていく姿が、人間にとって大事なことを教えてくれたと思う。これからどんなことを考えていくのだろう?毎日を当たり前に過ごしている私達には分からない発見をして欲しい。

13

101946
山村 真樹子
2001/01/23
14:58:05

問1

“生かされている”が“生きている”へ。
“動物のような生活”が“人間らしい生活”へ。
“孤独な生活”から“支える人・仲間のいる生活”へ。
学ぶことを知るようになった。
感情のコントロールがきくようになった。
主体性をもち、生活に意欲的になった。

問2

開発されていない人間 開発されている人間
・無感動 ・感動がある
・人との関わりがもてない ・人との関わりがもてる
・自分の欲求を理解できない ・自分の欲求を理解でき

・意欲的でない ・意欲的である
・生かされている ・生きている

問3

まず、1つめに、シゲコとタダオが東京に行く場面で、電車の中の人たちが冷たい視線で2人を見ていたのが頭に焼き付いています。今でもまだまだ障害者に対しての理解がないのだから、当時としては当たり前だったのかもしれませんが、あまりにあからさまな態度をとっていたので、腹が立ちましたし、悲しかったです。
2つめは、タダオとシゲコが2人だけで外の道を歩いている、最後の場面です。なんだか、とても温かい気持ちになれました。どんな人間でも、教育を施す価値は十分にあるし、その結果も個人差はあれど、必ず得られるのだなと思いました。

14

101947
吉田 かおり
2001/01/23
15:51:29

問1

・外に出ることさえ怖がっていたのに、買い物を楽しむよ うになった。
・手探りで空をつかむような動作から、物を認識して、物の大きさや長さという概念を理解するようになった。

問2

本能(欲)のまま、弱肉強食の生活をする人間は、開発されておらず、目的や目標に対して効率よく・合理的に行動したり、社会性を身につけた人間を開発された人間と判断するのだと思う。

問3

買い物に行ったシゲコが「物を買う」意味を理解しておらず、レジの人に選んだ物を渡すのを拒んだ場面。

15

102001
板井 智裕
2001/01/23
11:06:27

問1

・少し大まかな点であるかもしれないが、冒頭の場面と比 べて全体的に人間らしくなったところ
・言葉を用いて、人とコミュニケーションをとっていたところ
・「しつけられた動物から人間を開発する」という言い回 しがビデオの中であった。冒頭では、しげことただおが 正誤の判別の際にクラッカーが与えられて、何か動物の ような感じがうかかがえたが、最後の場面では普通のひ とと対等に話していたということが「変わった」点の一 つだと思う。
・言葉を正確に発声していたところ
・コミュニケーションをとるのに複雑な指文字を用いていたところ

問2

・その人に「人間らしさ」がうかがえるか、そうでないか
・物の概念をとらえることができるかどうか
・ビデオを見ていて「言葉を会得することで人間を開発す る」という言い回しがあったが、言葉を会得していると ころ  
・言葉や文字(ビデオの中では指文字)を用いて意思交換 ができるところ
・相手の言葉や相手を理解して、喜怒哀楽の感情を表すと ころ

問3

 しげこが言葉を発声する教育を受けているシーンが大変印象に残った。発声教育を始めて50日目、「あ」の音を発声できるはずなのに発声できず教育が不可能と思われたが、教育段階を最初に戻し、「あ」の口の形をくり抜いた紙をあてさせたところ「あ」を発音することができた。「奇跡の人」におけるヘレン・ケラーの「water」のような盛り上がりには少し欠けていたが、しげこが「あ」を発声したときは驚きとともに感動をおぼえた。

16

102408
小島 大樹
2001/01/23
16:07:49

問1

言葉を知らない人間と知っている人間がここまで意思疎通を取ることが大変なのかと思った。

問2

言葉を知らないから、何がよくて何が間違ったことかがわからない。

問3

最後の手を取り合いシゲコとタダオが歩いていたところ。顔も声も聞こえないのに意思の疎通ができているんだな、と思った。

17

102416
宮口 匠邦
2001/01/23
15:43:12

問1

はじめの方は全く他者とコミュニケーションを図ることができなかったが次第に図れるようになった。

問2

開発されていない人間というのは、つまり家で生活しているだけのペットと同様で便も垂れ流しで用を足す場所を教えるのも一苦労であるが開発されて言葉を覚えるとものを教えることも容易になり人間らしさをもつことができると思う。

問3

発声ということを教える場面で発声に必要な要素をひとつずつ段階を踏んで学習者にフラストレーションが溜まらないように気をつけている所が印象的だった。

18

102718
実渕 直美
2001/01/17
16:38:40

問1

○身の回りのことが自分でできるようになった。
○人とのコミュニケーションが手話の形で取れるようになった。
○訓練に成長がみられるようになった。
○喜怒哀楽を出せるようになった。

問2

開発されていない人間
○感情を感じることができない。
○学習能力がない。
○言葉を使い、相手と話すことができない。
○一人では、何もできない。

問3

ナレーターが、「目、耳が使えなければ、体が大きくなっても、中身は赤ん坊のまま」といったのに、それもそうであるけど、ショックでした。目、耳が不自由であると生活ができず、補助が必要になります。目が見えないということは、明かりのない、夜に一人で歩くことといっしょで、周りに何があるかわからないといった、恐怖心に襲われ、また、耳が聞こえなければ、危険性はなおさら大きい。だから、怖いあまりに暴力をふるってしまうのが、当たり前だと思います。人間的な行動をとるには、コミュニケーションの最大の手段である言葉を覚えることがまず、先手です。しげことただおは訓練の結果、点字をおぼえ、指文字をおぼえて、言葉を理解することができるところまで成長できて本当によかったと思います。一番印象に残った場面は、言葉を覚えて褒美をもらっていた、しげこの喜んでいる姿を見れたことです。言葉を理解させるのにも、いろんな方法があることに気づかされました。発音をするための訓練のとき、紙に口の形をあけて口に当てて、それと同じ大きさにあけているときの風景には、本当に驚きました。普段、身近に考えないようなことを考え、また、知ることができていい勉強になりました。

19

103005
木内 理恵
2001/01/31
15:26:01

問1

冒頭の場面では、「人間」ではなく、「ヒト」と呼んだ方が相応しいと思った。暴れないように、邪魔にならないように柱に縛り付けられていた状態であったり、コミュニケーションの手段である言葉が理解できなかったり、といった具合だったのが、人間としてのルールや言葉の理解などができるようになり、だんだんと人間らしくなって、ついには男らしさや女らしさがでてきたことが驚きだった。

問2

コミュニケーションをとることや、人間社会に生きていくための最低限のルール(排せつはトイレで行う、など)を守ること、理性を持ち、自分で考えることなどが挙げられると思う。

問3

シゲコとタダオが発達の過程において、物事を理解する時に、感覚をフルに使って丁寧に理解していく姿を見て、泣きそうになった。現在お世話になっている書道の先生から最初に教わったことは、「人間には五感というものがあってね、観る・嗅ぐ・味わう・聴く・触れる、これら全てを私たち『すきもの』は日常の中で強く感じられることが大事ね。」ということだ。それをすっかり忘れていて、自分が情けなかった。この授業で思い出すことができてよかった。

20

103007
篠崎 美枝子
2001/01/27
21:24:37

問1

シゲコは初め日常生活のしつけがなされてないため、ひもで柱に縛られていて、トイレも垂れ流しの状態だったのが、梅津先生の教授により、最後は、整理整頓ができ、みだしなみも良くなった。タダオも、シゲコと同様な状態から、シーツが引けるようになり、掃除や食器洗いが出来るようになった。また、言葉を学習することで、コミュニケーションが取れるようになった。

問2

開発されていない人間は、言葉によるコミュニケーションを行う違いがあると思う。それは、言葉を発するというだけでなく、点字や手話などでも良いと思う。また、コミュニケーションを取ることによって、信頼関係が生まれることも開発されていない人間との相違点だと思う。

問3

普段は先生にしかつかまって歩かないシゲコがタダオにつかまってシゲコが歩いたところが、タダオとシゲコに信頼関係が生まれ、感動しました。盲目二重障害児の人の振る舞いが正しいか、間違っているかを伝えるには顔や体の一部を触れると正解だと理解できると思っていた。しかし、このビデオを見て、頭をなでることで正解と理解するまでにはその前を理解するため、時間がかかることが分かった。発声練習の息を出す練習は、管を使って繰り返し練習することが大事だと思った。

21

103009
野間 智奈都
2001/01/31
15:08:16

問1

表情が変わった、豊かになった。自分の意思で生活している、生きている。

問2

生かされいるか、生きているか。物事の区別がつく。正しか正しくないか判断できる。よりわかりやすく、自分の意思を相手に伝えることができる。

問3

授業で言われなければ、誤解したままだった。正解したらクラッカーをあげるのを、与えているようですこしだけ違和感を感じていた。けれど、正しいのか間違っているのか、一番わかりやすく伝える方法、「しるし」。     点字を覚えるのに、どんな方法をとるのかと思っていたら、四角形や三角形の区別をすることから、つながっていくとは!                        

22

103010
萩原 江里
2001/01/22
17:01:29

問1

最初は目も見えず耳も聞こえず口も話せずにただ自分の知識力で手足を使うことしかできなかった。時折そのもどかしさにいらだったりして暴力的であったが、最後では発声教育によって「ア」という言葉を出すことができるようになり、さらには口で話すことができるようになった。また点字教育によって四角形の概念をもつようになり左右上下の区別ができるようになった。タダオは独創的な掃除法を身につけ、そして点字タイプで方程式を解くことができた。シゲコは口で話すだけでなく理由を伝えられるようになった。ある日、外に出て二人でなんとか自力で歩けるようになった。方角も知ることができるようになった。ボールも投げれるようになった。あと、自分の気持ちも指文字で相手に伝えられるようになった。触覚を使うことで性の区別もできるようになった。                       

問2

開発されていない人間と開発された人間との違いはまず指文字や点字が使えるか否かというのが1つで、次に発声教育によって言葉を話せるか否かである。さらに言葉と意味を結びつけるかどうかである。そうすることによって前者では、赤ん坊,暴力的な面が見られたのに対して、後者では、自立的、感情的になる。例えば、身の回りの整頓を一人でできるようになったり、感情を指文字で伝えられるようになった。このように、前者と後者との決定的な違いは人間らしい考えと、感情という点にあると思う。

問3

発声教育や点字教育が私にとって最も印象に残っている。まずいくつかの指導方法を順序よくふまえていって、その1つ1つを見て、それに到達するために類似した例を並べていく。そして正しくできた時は、ご褒美、もしくは頭をなでて褒めることも大事だと思った。しかし間違ってる時はどうするかというと、これは点字教育の所で出てきた通り、子供と一緒に手をもちながら教えることが大切だと思った。また「人間開発」によって、この2人が、人間とは、言葉とは何か、を考えさせられた。視覚,聴覚を失っていても、言葉を開発することで人間らしい生き方、人間らしい考えと感情をそなえつけることができるということを深く考えさせられた。

23

103014
吉田 陽香
2001/01/23
10:42:46

問1

自分で身の回りのことができるようになったこと。
周りの状況が把握できるようになったこと。
美的感覚が養われたこと。
自分の感情を他人に伝えることができたこと。

問2

自分の感情を表現したり、コントロールすること。
文字や数字の概念を理解すること。

問3

前回は映画だったので、こういう人もいるんだということが理解できたけれど他人が演技して表現する間接的なものであるのでどこか現実みが感じられないところもありました。それに対し今回は生の映像だったのでこれが現実だと認識し非常に衝撃的でした。今回の映像を見て、小さいときからのしつけなどの教育は大事なものだということを感じました。タダオとシゲコは目と耳が見えないだけで別に知的には障害がないはずなのに、小さいころ何にも教えられなかったせいか、最初に見たとき知的に障害があるのかなと思ってしまいました。またいかに私たちがただ見るだけ、ただ聞くだけでいろんなことを学んできたかを知ることができました。

24

103501
小原 明日香
2001/01/22
14:08:50

問1

・始めは一人では出歩けなかったのに、最後は一人で出歩けるようにまでなった点。
・始めは大小便を垂れ流し状態であったのに、最後は自分のことは自分ででき、生活上の事はほぼ五体満足の人と変わりなくできるようになった点。
・最後には指文字を使って、意思交換できるようになった点。
・自分の感情を言葉や指文字を使って、他人に伝えられるようになった点。
・複雑な要求を伝えられ、行動できるようになった点。
・自分自身のこと以外にも掃除をしたりなど、礼儀正しくなった点。

問2

・外出できて、杖などを使ってでも一人で出歩くことができるという点。
・自分の考えを指文字や言葉などを使って、他人と意思交換できる点。
・自分の感情やその理由を相手に指文字や言葉などで、伝えることができる点。
・自分の身の回りのことは自分でできて、人と共に生活できる点。
・より複雑な要求が生まれてくるし、そしてそれを伝えることができて、それに合うような行動が取れるようになる点。
・他人から見て、礼儀正しくあることができる点。
・勉強をするという態度を持つことができる点。

問3

ヘレン・ケラーの「water」に相当するような劇的な場面は、省略されてしまっていたのか、それとも実際に見当たらなかったのか、このビデオにはうつってなくてどうだったのだろうかと思いました。
また、ビデオで見た学習は、見本合わせ法が多く、部屋の中での学習がほとんどで、ヘレン・ケラーがアン・サリバン先生と川に行ったり、木に触れたりというような所が見あたらなくて、実際にもそのような経験や学習はあまり行われなかったのだろうかと思いました。
シゲコが「あ」の発音がなかなか出来なくて、発音するためのことは全て教えていて理論上は出来るようになるはずになっているのに、出来るようになるまでは長期間かかって、ある時ふと出来たのは、ヘレン・ケラーの場合と似ているように思いました。それだけ教える側には根気と時間が必要なものだと感じさせられました。
始めの頃、何にでもよく触って、とても知識用欲盛で、すでに丸い石とかけている石を区別しているのには驚きました。
クラッカーを与えて正解かどうかということを伝えているのを見て、クラッカー欲しさに課題をやるというよりも、むしろ、それでいい、合っている、と知るための手段のように機械的な感じでクラッカーを食べていたのが、印象的でした。
シゲコとタダオは次々と課題をクリアしていって、覚えるのがとても速く、それに最後には指文字と点字と話し言葉も覚えていったのに驚きました。
それにすごく礼儀正しくなって、代数の方程式まで解けるようになったのには、教育のすごさとすばらしさを感じさせられました。

25

103501
小原 明日香
2001/01/30
14:08:32

問1

前回と同じです。

問2

前回と同じです。

問3

授業での先生のお話や、他の人の回答を読んでみて、改めて大切なことではないかと気づいたのは、賞罰、特に罰についてでした。
間違った答えを出した時でも、罰を与えるのではなく、正しい答えの方に先生が援助をして、賞であるクラッカーを与えたことに感銘しました。
人に罰を与えて変えようとしても、その場しのぎであって、将来的には良い方向には変わっていかないと思います。
罰など与えずに、教えていくことこそが、より大変で難しいことかもしれないけれども、障害者であれその人の人権を大切にした方法だと思いました。

26

103502
角田 佳昭
2001/01/22
13:16:32

問1

"人"として生きていけるようになったと思う。
また、生活を楽しむことができるようになったのではないかと思う。

問2

「何も知らない」から、「少しは分かる」に変わった。
表情が豊かになった。
他人とコミュニケーションをとれるようになった。
他人と共通の認識を持つことができるようになった。

問3

シゲコに発声の仕方を教えているところが一番印象に残っています。耳が聞こえなくて、さらに目も見えない状況で発声の仕方を教えるのは、とても難しいことだと思います。それでも、本人と周りが最後まであきらめずに努力した結果、声を出せたのだと思います。
また、タダオが点字の機械を使って計算を進めているのも印象に残りました。問題を読みとり、さらに頭の中で問題を展開し、点字に打ち出すのは非常に難しいことだと思いました。

27

105007
黒木 由紀恵
2001/01/22
1:50:15

問1

・最初は野生児のようだったのが、自分で身の回りのことができるようになった。
・訓練をするときに、始めは褒美にクラッカーを与えていたのに、そのうちに頭をなでるといったことが褒美に代わった。
・コミュニケーションが取れるようになった。
・ただ「生かされている」という状態から、自分で「生きている」という感じになった。

問2

・自分の意志を相手に伝えることができるかどうか。また、相手の意思を理解できるかどうか。
・自ら学ぶことができるかどうか。

問3

家族からも見放されて、ただ「生かされて」いた動物のようだった二人が開発されていくにつれて明るくなっていったようなきがします。点字や指文字を覚えてからは特に、自分の意思を相手にはっきりと示せるようになってさらに生き生きとしていたように思いました。やはり私たちが生きていく上で、「言葉」というものは非常に大切なものなのだと感じました。
特に印象に残っているのは、訓練をしている際の褒美がクラッカーから食べ物以外のことに変わったところです。芸を教えられる動物から、学ぶ人間への変化がそこに見られました。教育が人に与える影響はやはり大きなものだと思いました。

28

105007
黒木 由紀恵
2001/01/30
1:46:30

問1

前回と同じ。

問2

前回と同じ。

問3

実は、私が『人間開発』のビデオを見たときに抱いた感想というのは「クラッカーで芸を仕込まれる動物のようでかわいそうだった。」というものでした。しかし、その後の授業を聞いて、確かに耳も聞こえず目も見えない人間に物事の良し悪しを教える方法はほかにはないと思いました。いかに自分が見た目だけで判断していたのかがわかりました。シゲコたちの両親のことにしても、「柱に縛り付けられていたなんてかわいそう。」としか考えていませんでしたが、両親の気持ちを考えるとそう簡単には言い切れません。自分の目の届かないところで我が子にもしものことがあったら・・・そう考えると、柱に縛り付けておく以外に方法がなかったのでしょう。また、実際に縛り付けるときも辛かっただろうと思います。教育を受けるにつれて徐々にコミュニケーションが取れるようになっていく我が子を見ていた両親も、シゲコたち同様に(もしかしたらそれ以上に)嬉しかったことでしょう。
これからは、物事の表面を感情のままに受け入れるのではなく頭でも考えてみようと思います。

29

105107
古賀 秀和
2001/01/22
16:59:05

問1

・自分で身の回りのことができるようになった。
・自分の意見や感情、要求を手話を使って他者に伝えるこ とができるようになった。

問2

・生活の基本動作(マナーなど)ができる。
・自分の意思を相手に伝えることができるのと同時に相手 の意思も理解できる。
・自分で考えて行動できる。

問3

○△□の概念から方程式の理解に至るまでの努力はすごいと思った。特にタダオが方程式を理解しているのには驚かされた。ヘレン・ケラーのwaterのように劇的に変化があり、発展したわけではないが、「つみかさね型」のとおり細かく段階をふみ一歩一歩確実に前進していて良い学び方だと思った。その後、シゲコとタダオがどのような成長を遂げたのか興味がある。

30

105501
犬束 順子
2001/01/22
12:59:46

問1

・身の回りのことが出来るようになった点
・他の人と手話などでコミュニケーション出来るようになった点

問2

・言葉を獲得することで、自分の感情を相手に伝えられ、また相手のことも理解出来る点
・身の回りのことが出来る点
・自分で新たなことにチャレンジ出来る点

問3

言葉を獲得していく過程が印象に残りました。。言葉を獲得したことがシゲコとタダオにとって、大きな意味があったと思います。彼らが言葉を獲得した後では、表情が生き生きしていました。言葉がない世界でも、学び取ろうという姿勢はあったのだろうけど、相手との意志の疎通が出来ないので、なかなか成長しなかったのだと思います。それが、言葉を獲得したことで彼らの世界が広がり、成長してゆくようになったんだと思います。
また、「ア」の発声訓練をしている場面も印象に残りました。子どもが、意識せずに何気なく出来ることを細かく、段階を経てやっているのに驚きました。あるレベルでは出来なくとも、一つずつステップを踏ませることで、出来るようになるんだと思いました。そして、援助する側の教え方が、その子の能力に大きな影響を与えることを改めて考えされられました。

31

105501
犬束 順子
2001/01/30
9:44:50

問1

前回と同じです。

問2

前回と同じです。

問3

先生の話やほかの人の意見を見て、クラッカーのことについて改めて考えてみました。ビデオで最初にクラッカーを与えている場面を見たときは、欲求をうまく利用して相手に正しいことを伝えているんだと思いました。先生の話でもありましたが、ヘレンのように首を縦に振ることが正しいの合図であるなど、相手の呼びかけが何を意味するのか分からなかった彼らにとっては、クラッカーを与えることで伝えるしかなかったんだと思います。また、最初はクラッカーをもらうために訓練をしていたかもしれませんが、いつしか正しい答かどうかを確かめるためのものに変わっていったのだと思います。

32

105506
川村 啓子
2001/01/23
15:07:21

問1

・他人に意思を伝えることができ、他人の意思を理解する
 ことができるようになった(コミュニケーションが取れ
 るようになった)こと
・落ち着きなく(意味なく)動き回ることがなくなったこ
 と
・表情が豊かに、明るくなったこと

問2

・他人とコミュニケーションが取れること
・言葉を知ること
・信頼感を共有すること
・感情(喜怒哀楽)を表現すること

問3

 冒頭の、しげこは家で昼間柱に縛り付けられ、汚物を垂れ流していた、というところ。親の「どうしていいのか分からない」という気持ちが一番表れていると思う。何とかしたいと思っても、何をしていいのか分からないというのは、親にしてみればすごくつらいことだと思う。
 「幼いころから目が見えず、耳が聞こえない人」に文字や言葉を教えることは、「目が見える人」や「以前は耳が聞こえていたが聞こえなくなった人」に教えることと比べはるかに難しいと言っていたところ。「奇跡の人」の映画でもそれを教えることにサリバン先生は一番苦労していた。コミュニケーション手段である文字や言葉(の存在)を知らない人と、コミュニケーションを取ることは難しく、それを教えるには研究と根気が必要なのだと思う。