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教育工学・視聴覚教育

第7回目の課題(ek7)

九州大学 久米 弘


回答者:083017 吉田 真貴子

課題1
問1 私が小学生の時、算数は嫌いではなかった。しかし、公式をなかなか覚えられず、父に問題を出されたとき答えることができなかった。父は公式は覚えるものではなく、理屈を理解すれば、覚えなくてもいいものなのだと言った。私はその当時訳が分からなかったが、今になってみると「そういうことだったのか」と思う。
特に算数から数学と呼び方が変わる時期(小学校から中学校)、ふと感じたことがあったのだ。父は、公式がどのようにしてできたのか説明してくれた。記憶に今でも残っているのは、三角形、四角形、台形、扇形などの面積の求め方がそれである。単に公式を覚えた人がいるかもしれないが、公式を覚えただけでは役に立たないと思う。わすれてしまえば、もう面積はでないのだから。それに比べ、公式は覚えずして、理屈を知れば公式なんて要らないだろう。私は、数学のそういう部分を知ってから面白いと感じ、なにかに付けて考えたり、しくみに興味を持つようになったのである。小学校のときは、覚えることで算数の点をとっていたが、父の言った言葉の意味を知ることで、違った方向からものを見るようになったと思う。もし、小学校のときこの経験がなければ、数学を嫌いになっていたかもしれない。
「現在の発達水準」は、公式などの決まった事柄についてどうしてだろうと一度立ち止まるのである。例えばそれは、何かのルールを見つけるかもしれないし、より簡単に公式を考え直すかもしれないのである。しかし、そのきっかけを作ってくれたのが、父であると同時に偶然の重なりであると思う。私が私であるためには、このような多くの経験やきっかけであると感じた。きっかけが、「可能性としての未来の発達水準」ではないだろうか。



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