回答者:081605 古賀 しおり
課題1
問1 私は今まで教授活動と言えるようなことは何一つとして行えなかったように思う。それは、5週間の附属小学校での実習、2週間の出身校での実習という短い間だけでは、それまでの子供たちの姿(現在の発達水準)を把握することもできず、またその後の子供たちの姿(未来の発達水準)も分からないからである。また、実際に子供に接する時間の短さもある。しかしそれ以上に、自分の力不足ということが一番に挙げられるだろう。私にとって、教育実習はやはり自分は教師になる資格はないのではないかと実感させられたものであった。そんな私でも、自分一人の勘違いかもしれないが、自信を持たせくれた出来事があった。それについて今から書いていこうと思う。
ある時、授業の関係で附属幼稚園の子供たちと接する機会があった。初めて附属幼稚園に行ったとき、私はとてもうらやましく感じた。それは、園が大きな自然に囲まれていたからだった。私の通った幼稚園は、ただ園庭にいくつかの遊具が置かれているだけの殺風景なところだった。もし、この豊かな自然を子供たちが全身で感じることができたら、どんなに素晴らしいことだろうと私は思った。その日はたまたま園庭の中にある畑を、年配の男の人が耕しに来ていて、耕した畑からは色々な虫や幼虫、蟻の行列が出てきた。私はその日一日、子供たちと一緒になって園庭を駆け回って遊んだ。それは本当にとても楽しい一日だった。(子供たちよりも私のほうが楽しんでいたかもしれないが・・・。)「わー。強そうな虫だね。挟まれたら痛そう。」「きれいな実だね。どこで拾ったの?」「ありさんたちはどこまでつながっているのかな?」子供たちは私が投げかけるたった一言にでも素直に反応し、興味を持ったり、そのおもしろさや美しさに気づいたりしていたように思う。
今の子供たちは、一日中家の中でゲームをしたり、漫画を読んだりしている。たとえ自然に囲まれていても、そのことに気づかず、外で遊ぶこと、自然と触れ合うことを忘れているのだ。たった一日のことである。その子達は何も変わってないかも知れない。しかし唯一私にとっては、たとえ子供たちに何も教えることはできなくても、何らかのきっかけを与えることができるのではないだろうかと信じさせてくれた大切な一日であり、また子供たちから様々なことを教わった忘れられない一日であった。
問2 私たちは未だ学生である。決して教師ではない。たった何週間かの先生もどきでは子供たちに何も教えることはできないだろう。もし何十年と教師をやっていても、子供のすべてを理解しきることはできないと私は思う。しかし、子供たちは私たちが教えようとした何十倍ものことを教えてくれる。
そもそも教師というのは教師である以上に学生でなければならないのではないだろうか。教師は教師として学生に教えることよりも、学生として学生に学ぶべきものであるように私は思う。
私たちはまだ経験がない。「援助」などというのは、今から子供という教師に習って考えていかなければならないだろう。