回答者:083017 吉田 真貴子
この一週間ずっと、土着の信念・知識体系を考えてきました。何かのきっかけがないとなかなか気づかないものです。私が、高校生のときはっと思ったことがありました。土着の信念・知識体系ではないかもしれませんが。
課題1
問1 「情けは人の為ならず」という言葉がある。この言葉の意味を誤って覚えていたのだ。情けをかけるとその人の為にならない。と思い込んでいた。というのは、母も祖母も情けをかけすぎるとその人の為にならないのでほどほどにするべきだ。とこの言葉の意味をとっていたからで、私にそのように教えられたからだ。よく考えてみると、この言葉には2つの意味があると思う。
・情けをかけるとその人の為にならない。
・情けをかけるとその人の為にならず、結局は自分に帰っ
てくる。
「ず」の示す言葉がそこで完全に終わっているか、それともまだ続いた感じで余韻を持たしているのかである。「ず」は、一般的に否定をあらわす「ない」であるため
「情けは人の為にならない」としてしまう。しかし、本来のこの言葉の裏には、情けをかけると、その人と為にならずに、自分に帰ってくるという意味である。
問2 「ず」の持つ意味を考えるとき 「ない」という意味がほとんどであるが、ない と終わらずにその後に含まれている言葉を読み取る必要がある。例えば、か、や などの語句がそれに当たるのではないかと考える。か、や は、反語と疑問を示す。その見分け方は前後の文章の意味から考えることが多い。しかし、このような日本独自の言葉である慣用句的ものは、前後の文章なり、言葉がない為難しいだろう。したがって、この場合「情けは人の為ならず」の意味をどんな時に使用するのか、をまず考えてみる。実態調査で確認するしかないだろう。大半の人が間違って使っていると考えられるし、間違って覚えていることだろう。
よくよく考えてみると、情けは人の為ならずは、情けは人の為にならないから、どうなんだと問い掛けてみる。とすると、人の為ではなく、自分の為であるといえるのではなかろうか。
国語では、色々な方法を使って強調したり、訴えたりと表現にはあらゆる手段がある。その中の一つであると考えられないだろうか。
言葉は気づかないところで誤って覚えている。しかも自然に。このような例は、数多くある。漢字の書き順であったり、ローマ字の書き順であったり。いつのまにか、自分の書きやすいように変換されているのである。「ず」も自然に ない の意味に変換され、そこでとまってしまったのであろう。言葉の含む領域を考え直し、何を言いたいのか考えるとよいのではなかろうか。