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教育工学・視聴覚教育

第6回目の課題(ek6)

九州大学 久米 弘


回答者:082510 真鍋 佐知子

課題2
問1
 私が共感できたのは、血液型による性格判断についての回答です。それに比べ、他の多くの方々の回答は、言ってみれば普段私たちが勘違いをしている事実について述べているだけのように感じました。つまり、ruを持たないegである、ft(ファクト)について述べていたのです。しかし、”血液型によって性格が決定される”というru(ここではruとして扱わせていただきます)は、”A型ならば几帳面”だとか、”B型ならば自分勝手”などに代表される、4つのegが明確で分かりやすく、誰もがなんとなくもっている、まさに土着の信念・知識体系であると感じました。
 また、プレゼンテーションについては、皆さんの回答では、実際に体験させることや、目で見せて実感させるなどの回答が見られました。私自身も、理由を述べたりデータを見せて納得させると考えました。しかし、理屈が不明な場合や、実際に見ても納得できない場合もあるのです。
 血液型の話においても、その”血液型によって性格が決定される”というル・バー自体がルールとして確立され過ぎており、例えデータを用いたとしても、「やっぱりA型の人は几帳面じゃないか!」というようになってしまうのではないでしょうか(不思議なんですけどね)。また、理屈で言えば、地球上のすべての人間の性格を4つのグループに分けることなど不可能だし、輸血でいちいち性格が変わるとしたら大変なことです(A型の人がO型の血液を輸血したら性格が大雑把になるとか!?)。そんなことはみんな分かっているのです。それなのに、飲み会でもあれば「血液型は何型?」だとか、「絶対B型でしょ!」などという会話が成り立つのです。ここまで一般化され浸透している土着の信念・知識体系はおそらくないでしょう。ここまでくると、「血液型で性格を判断することは不可能である」という新しいruを内在化させることは、果てしなく不可能に近いように思います。
 そもそも、ルールとは何なのでしょうか。ここまで誰もが信じ、使っている土着の信念・知識体系を、「正しい」「正しくない」という2つの枠にはめこむことにとらわれる必要があるのでしょうか。何が正しくて何が間違っているのか、判断する基準がルール(常識)だとすれば、それ自体が正しいか正しくないかの判断をすること、つまりそのルールを覆すことが難しいことはいうまでもありません。”世界が丸い”ことも、それが認識されるまでは、非常識なことだったのです。この例は、ルールとして成り立つためには、人々の間に浸透するという条件もあるということを示しています。私は、”絶対に正しいルール”などあり得ないと思います。そもそも”正しい”とはどういうことなのでしょうか・・・。
問2
 自分の回答を見直してみると、他の方の回答に比べ、余り一般的ではないように感じました。動物を飼ったことがある人にとっては違うかもしれませんが。皆さんいろいろなことに注目されていて、興味深かったです。動物の大きさと子ども(卵)の数について取り上げた理由は、以前、金魚を飼っていたことがあり、彼女らに、水槽いっぱいの大量な卵を生まれてしまって困ったことがあったので・・・(残念ながら2匹ともメスだったようで卵はかえりませんでした)。その頃は、自分の中では、何となくですが、体の大きさが小さい動物はたくさん生むという認識をしていたのです。親になることができる確率が低い魚類なんかは、たくさん卵を生むという理屈さえ分かれば、どうってことないことなんですけどね。理屈が分かれば組み替えが可能である例だったので、理屈や実際に見ても新しいruを内在化できないパターンについて知ることができて、非常に有意義でした。



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