前のページに戻る


教育工学・視聴覚教育

第4回目の課題(ek4)

九州大学 久米 弘


回答者:091817 林田 京子
  1. 冒頭の場面と最後の場面との相違点

    ・食事のとき、きちんとお箸を使って食べ、後片付けまでできるようになった。
    ・布団やシーツの端を、きれいにあわせて(タダオは、敷居が真っ直ぐであることを利用して)たためるようになった。
    ・掃除の仕方を自分であみだし、ちり一つ残さず掃除ができるようになった。
    ・身の回りのほとんどのことを自分でできるようになった。

  2. 開発されていない人間と開発された人間との相違点

    ・言葉によって自分の意思を相手に伝えることができるかどうか。
    ・ある事柄に対して、どうすれば簡単にうまくできるかということを考え、工夫するというような知恵を働かせることができるかどうか。
    ・理性の有無。

  3. 印象に残っている場面と感想

     一つの課題ができるたびに、クラッカーをご褒美として与えていた場面が、まるでペットに芸を教えるときのようで、衝撃的だった。私は、正誤を伝えるために頭をなでるという方法を考えていたが、何の概念も持っていないタダオやシゲコの頭をなでても、二人はそのことが何を意味するのか分からないだろう。それに対し、クラッカーを与えるという行為は、誰もが生まれながらに持っている食欲という本能を満たすことができ、これが外的動機付けとなり
    、学習を継続させる有効な手立てとなったと思われる。
     また、ダダオが暑くてやる気をなくしているとき、タダオの好きなトマトを、梅津先生が切ってあげていたように、間違ったから、できないからと言って罰を与えるよりも、できたことを誉め、報酬を与えて、一つ一つ課題解決をしていく方が、のみこみが早いのだろうと思った。
     アの発音の練習で、見た事も聞いた事もなく、自分の耳で確認することもできない言葉を、口のかたち、のどに力をいれる、息をだす、のそれぞれの段階をクリアして、発声できるようになったのは、すごいと思った。私達は知らないうちにそういうことができるようになっている。意識はしていないとしても、目や耳から入ってくる情報の多さには改めて驚かされるが、このような情報を根本的なところから、小さなステップを踏んで、一つ一つ解決させていければ、誰でも、何でもできるようになりそうな、そんな教育の可能性を感じた。


前のページに戻る