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教育工学・視聴覚教育

第4回目の課題(ek4)

九州大学 久米 弘


回答者:085112 豊岡 藍子
  1. 冒頭の場面と最後の場面との相違点

    言葉というものを理解できるようになった。
    なにかをして、クラッカーをもらうことが無くなった。
    誰かに支えられるのではなく、タダシとシゲコの二人で外を歩けるようになった。
    身だしなみを整えるようになった。
    シゲコは、下着の好みを持った。
    泣いた時、その理由が言えるようになった。
    発音が上手になった。
    指示されたことをこなすのではなく、自発的に意思を示すようになった。
    掃除ができるだけでなく、その方法を開発できた。

  2. 開発されていない人間と開発された人間との相違点

    一番大きな違いは、開発された人間は、言葉というものの存在を知っていること。
    開発された人間は、わからないことを知ろうとする知的欲求を持つ。
    シゲコは開発されてない時には、柱につながれていたが、開発されたことによって、自分のしたいことをできる自由をもつようになった。
    開発されていない時は、周りの人は彼らが何をしても、動物的だと思っていたが、開発されたら、彼らの行動や考えを、ひとつの人格として認めるようになった。
    開発されて、善悪の判断ができるようになった。
    開発されたら、好き嫌いの好みを持つ。

  3. 印象に残っている場面と感想

    一番印象に残っているのは、シゲコが好みの下着を選んでいたところです。いわゆる人間らしさを身につけただけではなく、女の子らしさも身についたのだとうれしく感じました。また、「あ」の発音ができて周りが喜んだとき、シゲコもすごくうれしそうにしていたのが、よかった。目が見えず、耳も聞こえないのに、周りの反応がわかっているのかと不思議でした。
    少し悲しかったのは、指示どおりにできたとき、クラッカーを与えていたことです。モノで、しかも食べ物を用いるところが、とても動物的でした。有効な手段だとも思いますが、もう少し、ほかの方法もあったのではないでしょうか。
    この、シゲコとタダシへの教育を否定するわけではないのですが、人間らしさとは何だろうと考えてしまいました。確かに、言葉を使い、意思の疎通をはかることは人間独自の能力かもしれません。この二人もそれができるようになり、生活のレベルは上がりました。しかし、実験的な教育をなされ、本来の二人らしさは教育によって打ち消されたようにも感じられます。見方を変えると、二人らしさが引き出されたとも言えるのでしょうが。この二人の目覚しい進歩に驚き、感動も覚えますが、なんだか少し、もどかしさも残りました。


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