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教育工学・視聴覚教育

第4回目の課題(ek4)

九州大学 久米 弘


回答者:082510 真鍋 佐知子
  1. 冒頭の場面と最後の場面との相違点

    変更ありません。

  2. 開発されていない人間と開発された人間との相違点

    変更ありません。

  3. 印象に残っている場面と感想

    皆さんの回答では、クラッカーを与えている場面を挙げている人が多いように感じました。私はそれが悪いことだとは思わなかったので、自分の回答の中では、開発された人間と開発されていない人間の違いのところでしか述べませんでした。そこで、そのことについて付け加えたいと思います。私は、小学生を相手に勉強を教えることがあります。相手は子供なので、そのときの気分次第で、学習が進む場合もあれば、なかなか集中できない場合もあります。ところが、知り合いに小学生を教えるのが非常に上手な人がいます(正確にはいました)。彼女が教える子供は、小学校低学年であっても、そのほとんどが学習に集中しており、時間いっぱい取り組むことができるのです。その理由は、”この問題ができたらシールをあげる”という、ごほうびにあったのです。確かに、子供にシールを見せ、学習させる様子は、まるで馬の前ににんじんをぶら下げて走らせるようだと言う人もいました。しかし、例えば大学生であっても、単位がほしいというだけで、全く自分が興味がない授業を受講することだってあるはずです。広い意味で言えば、そのような人々も開発されていない人間なのではないでしょうか。話が飛躍しましたが、5、6歳の子供に、足し算のおもしろさを語ったところで実際勉強してくれるかどうかといえば違うのです。ましてや、全盲、聾唖のシゲコとタダオに、”これが正しい”ということを伝えることなど不可能です。しかし、最後の場面では、シゲコとタダオは自分の感情を持つまでになっていました。この段階では、誰かがごほうびのクラッカーを与えなくても、自分自身の意思を持って、意欲的に学習に取り組むはずです。動機付けは段階を踏めばいいことであって、クラッカーは正しい方法であったと私
    は思います。


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