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回答者:081608 高添 比登美
冒頭の場面のシゲコとタダオは少々、悪く言えば、人間ではなく、野生の動物の赤ちゃん、よく言えば、生まれたばかりの人間の赤ちゃんにみえた。 それは本人たちが何を言いたいのかがわからず、ただ泣く、もしくはうなるというように通常の人間のとる行動ではなかったからである。 しかし、最後の場面では二人はそれぞれの道を歩いているように見えた.しかも、自分自身の足で。 それは、二人が人間以外の何にも見えなかったからであろう。
・開発されていない人間は、問1でも答えたように人間とはいえない、獣のような行動をとるしかない。それは彼らが思っていること、こちら側の言葉も届かないからだと思う。・コミュニケーションをとることで相手の立場も考えられるようになっていく。シゲコとタダオは人を思いやる、やさしさも備わったと感じた。・知るということの喜びを知った。
・「あ」を発音した時 発生の訓練を長い間、受けて、自分では発生の原理を分かっているのに、なかなか声が出ず、悔しそうに見えた。しかし、あの出た時のシゲコのうれしさを本当に忘れられない。・シゲコとタダオの散歩 シゲコが始めてタダオを頼り、自分たちだけで歩いた。それは最後の場面の前兆でもあるように思われる。そして、おそらく、始めて本気で人に頼られた喜びを感じたに違いない。・シゲコが「梅津先生に合いたい」と書いた時 梅津先生はシゲコとタダオにとって本当によき「先生」であったことが覗える。久米先生もおっしゃったように、本当に罰を与える訓練であるならば、シゲコもタダオも梅津先生を嫌っていたのだと思う