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教育工学・視聴覚教育

第4回目の課題(ek4)

九州大学 久米 弘


回答者:081605 古賀 しおり
  1. 冒頭の場面と最後の場面との相違点

    自分の感情が、他に対して表わせるようになった。
    人間として生きていく上で必要な生活習慣を学んだ。
    言葉を発することができるようになった。
    ものに名前があることを学んだ。
    わけがわからず、他にさせられるがままではなくて、自分から興味を持って学ぶことができるようになった。

  2. 開発されていない人間と開発された人間との相違点

    人間として、生きることを楽しむことができるという点。
    (様々なことを学んだり、感じたりすることができるという点)
    ただ態度とかで自分の感情を表わすだけではなくて、言葉で正確に自分の感情を相手に伝えたり、また相手の感情を言葉で理解したりすることができるという点。

  3. 印象に残っている場面と感想

    先週見たヘレン・ケラーの映画でのサリバン先生よりも、教育者たちの熱心さが伝わってきて、よくここまでできたなと感動した。このビデオを見れば、「奇跡の人」とは、サリバン先生だったかも知れないと改めて思った。初めのころのシゲコやタダオと、最後の方の2人とは全く異なった。人間として生きていくこと、様々なことを感じ、学んでいくことのすばらしさをこの2人は気づかせてくれたと思う。私にとって先生がおっしゃったビスケットのシーン
    は別に衝撃的でもなかった。私は思い付かなかったが、とてもいい作戦だと思う。(確かに暴力よりもそちらの方がいいと私も思うから。)しかし、先生がおっしゃった言葉に私は疑問を持った。「罰を与えなかったから、2人とも教育者(名前は忘れた)を慕っていた。私もそのようなやり方をしたい。その教育者を尊敬する。」・・・もし、そのようにただ単に子供たちに慕われたい、嫌われたくないという理由で、教育をするのなら、それは間違っていると思う。別に子供に嫌われてもいい。その子のためになるのなら、自分は嫌われてもいいから、例えば本当に危険なことをしたりしたときなどは叩いたりすることが真の教育者であると私は思う。私はそこまでして子供たちに好かれたいと思わないし、あのやり方は一歩間違えれば子供たちのためには全くならないものになるだろう。あのビデオでもただそういう場面はでできてないだけではないだろうかと私は思う。


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