From: "Hiroki Matsuo" <Hiroki.Matsuo@ma5.seikyou.ne.jp>
Date: Sun, 17 Jan 1999 19:49:01 +0900
問一
(1)現代には「情報戦」という言葉がある。つまり、「情報を制した者が社会にお
いて上位を占めることができる」という観点で定義された言葉であるが、これは情報
の重要性を如実に語っていると言うことができる。
過去においても、歴史的に勝者とみなされた人々は、須く情報の重要性を理解し、
有効に活用してきたが故に、その地位を築くことができたと言えよう。例えば、織田
信長は、今川義元が桶狭間に駐屯しているという情報と、桶狭間の地形に関する情報
を把握することができたため、歴史的な大勝をおさめることができたのであり、これ
らの情報がなければ、その後の織田家の飛躍はなかったであろう。このように、過去
においても情報の重要性は不変であった。
現在はこの情報が様々なメディアを通して取得範囲が広大な範囲に及ぶようになっ
てきている。このような様相に対応するため、「情報化社会」が設定されるに至る。
当然この設定は、膨大な量の情報を一個人では管理運営できないためになされたわけ
で、個人個人に「知識を体系的に整理し、記憶している」能力が完全に備わっている
のであれば、「情報が整備された社会」は必要ないと考えられる。故に、このような
「情報化社会」が設定されていること自体、「知識を体系的に整理し、記憶してい
る」能力が現在において重要視されていないことを物語っていると思う。
では、この「情報化社会」において、人間にはどのような能力が重要性を帯びてく
るのか。それは、これらの膨大な情報を使いこなす「情報経営能力」であると考え
る。与えられた情報を有効に活用できなければ、体系的に整理された情報であろうと
も、単なる字数の羅列でしかない。また、相互の情報を有効に総合・活用できるだけ
の、自己のメモリなりOSなりに組み込んでおく、「情報操作のための情報」は記憶
しておく必要がある。膨大な「知識を体系的に整理し、記憶している」能力は人間に
は必要ないと考えるが、膨大な情報を活用する際の「知識を体系的に整理し、記憶し
ている」能力は、「情報化社会」においては非常に重要なことであると考える。
(2)「情報系営能力」を養う際には、当然、利用する情報に関する最低限の知識を
保持しておく必要がある。これは大前提なので詳言を避ける。次ぎに、この能力を養
うためには、操作する情報に対して明確な目的を持たせるようにすべきであろう。情
報を操作して、何らかの結果を出そうとする際、その「結果」という目標がなけれ
ば、情報を操作する方向性が定まらない。どの情報から、どのような知識を得ればよ
いのか判別が不可能になる。更に、この、情報操作に対して目標を設定する能力を養
うためには、やはり「体験」を通してその必要性を理解させることから始めるしかな
い。「柔法」といわれる関節技を修得する際もそうで、まず、先生なりの技を見た
り、実際かかったりして、完成形へのイメージを持った後、現在保持している関節技
の手法を活用して組み立てていき、技を完成させる。情報の活用が全てこのような
「修得」に関するものに収斂されるわけではないが、情報を「結果に至る手段の一
部」とすれば、このような活用が大部分を占めるだろう。
そして、今度は「手段としての情報」を活用する際の利用方法を養う必要があろ
う。結果に対して、どのように組み立てればよいのか、その「情報の組立て方」を知
らなければ、当然「結果」に至ることはない。木とひもとハンゴーを与えられただけ
で、その使い方を知らなければ、「米を炊いて食べる」という目標があっても、それ
に至ることはできない。やはりこれも、体験などを通して、各素材の使い方に関する
知識を構築していくしかない。
「情報化社会」において、「情報」を活用する際、これをやれば絶対に近道だとい
う学習は存在しない。存在するとすれば、それは、各素材に対する情報を地道に構築
するという当然の営みであろう。その中に、「体験」や「試行錯誤」などといった構
築へ大きく帰与するものが存在するわけで、「情報を的確に処理できる能力」を身に
つける方法に、「これだけやれば、簡単にできる」というものは、決して存在しない
と考えている。
※年始より、こちら(福岡)に永くいなかったので、提出が大幅に遅れてしまいまし
た。大変申し訳ありませんでした。
2LT98015K 松尾 弘毅